振り返れば、2008年9月に起きたリーマンショックは、日本の大手金融機関のみならず、全国の第二地銀にも大きな影響を与えていた。宮崎県の第二地銀、宮崎太陽銀行<8560>もその1つかもしれない。
同行もリーマンショック後の余波を受けたかたちで2009年3月期には経常利益・当期純利益がマイナスになるなど業績が厳しくなり、2010年には改正金融機能強化法に基づいて130億円の公的資金の注入を受けた。
公的資金を3年前倒しで完済
宮崎太陽銀行は経営のフリーハンドを取り戻すため、公的資金の早期返済に邁進した。そのため、地元中小企業向けの融資に積極的に取り組んだ。2021年には業務改革部門を新設し、経営体力の強化に向けて業務の抜本的な見直しを進めた。
そして、2025年3月の返済期限を前倒しして2022年10月末に公的資金を完済。同年11月末には整理回収機構が保有する宮崎太陽銀行の株式を34.94%から2.05%にまで減らした。
同様に、少しでも早期に公的資金を返済した地方銀行は、鹿児島の南日本銀行などいくつもある。
県下4つの無尽が大同団結して誕生
宮崎太陽銀行は昭明無尽・高鍋無尽・日州無尽・日向無尽という4つの無尽会社が合併し、宮崎無尽として1941(昭和16)年8月に創立した。昭明無尽と日州無尽は1929年に誕生した無尽会社。高鍋無尽と日向無尽はともに1915年に、高鍋無尽が高鍋勧業貯金として、日向無尽が西諸県貯金として発足した。いずれも宮崎県内の“同格”の地域金融が大同団結したかたちである。
宮崎無尽は無尽組織として、個人に対する資金の融通や零細企業・商店・農家に対する経営・生業資金の融通などを手がける庶民金融を行ってきた。1951年10月、相互銀行法の施行に伴い、商号を宮崎相互銀行に変更した。
1970年代後半には、九州地方の主要相互銀行による共同オンライン構想が生まれていた。そこで1977年7月、宮崎相互銀行は全国初の試みとして、相銀における共同オンラインである事業組合相銀九州共同オンラインセンターを設立した。同オンラインセンターは同年10月に相銀8行による共同オンラインシステムを稼働させている。
1989年、普銀転換で宮崎太陽銀行に
普通銀行への転換に伴い、商号を宮崎太陽銀行に変更したのは1989年2月のこと。M&Aとしては、1993年10月に行われた日向市信用組合との合併が挙げられる。
この合併により、日向市信用組合の細島支店、富高支店、財光寺支店は、宮崎太陽銀行の細島支店、富高支店、日向南支店となった。合併による新株式の割り当ては、日向市信用組合の出資6口につき、宮崎太陽銀行1株を割り当てた。
現在、宮崎太陽銀行は福岡県と大分県に各1、鹿児島県に5、宮崎県内に117の拠点(店舗・ATMコーナー)を持つ。スマートフォンで口座開設、インターネットバンキングなどが行える公式アプリを開設するなど、地域社会の繁栄に向けて事業展開している。
文:菱田秀則(ライター)