この記事は2024年7月18日に「テレ東BIZ」で公開された「どんな立地でも客を呼ぶ! 新体験ホテルの秘密:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。
目次
神々が宿る島で驚きのもてなしから~支配人がお米も自分で育てる
一生に一度は泊まってみたくなる注目の宿が九州の玄界灘に浮かぶ長崎・壱岐島にある。ここは旅好きの間では有名なパワースポット。干潮の時に数時間だけ参道が現れる小島神社など、150以上の神社が一つの島に集まっている。
そんなスピリチュアルな島に、離島で唯一、ミシュランの五つ星を獲得したホテルが「壱岐リトリート海里村上」(1泊2食付き1人4万8,000円~)だ。「リトリート」とは隠れ家のこと。1日12組限定で、夏の稼働率は8割を超える。
横浜から来た三宅弘高さん・則子さん夫妻は、旅の一番の目的は観光ではなく、「このホテルに泊まること」だと言う。
宿の売りの1つが1700年の歴史を持つ湯本温泉で、鉄分の多い赤褐色の湯だ。穏やかな波が模様を描く海も飽きることがない。源泉掛け流しの湯は露天風呂でも楽しめ、壱岐の塩やハーブを使ったスパも完備されている。ゆったりとした時間を満喫できる。
▽「このホテルに泊まること」と語る横浜から来た三宅弘高さん・則子さん夫妻
夕食の幕開けは壱岐のクラフトビール。さらに地元の食材を使ったご馳走が次から次に出てくる。年間900頭しか出荷されない貴重な壱岐牛のすき焼きに、玄界灘の荒海で育ったアワビだ。アワビはまず、しゃぶしゃぶで味わい、次に炭火で軽く炙ったら特製のアンチョビソースをつけていただく。ふと気がつけば、窓の外は自然の絶景劇場が広がる。
この「旅の目的地になるホテル」を運営するのが2011年創業の温故知新だ。温故知新はオーナーから施設を借りて運営にあたるビジネススタイル。唯一無二の個性的なホテルやレストランを全国に14施設手がけ、売上は23億円に達する。
「壱岐リトリート海里村上」でしか食べられない味を生み出しているのは支配人兼料理長の大田誠一だ。ウニの炊き込みご飯も「お客様が入られる時間に合わせてご飯を炊く」というこだわりがある。おいしい物を出すためなら手間を惜しまない。大田は実家の田んぼで自分で育てた米をホテルで提供している。
▽大田さんは実家の田んぼで自分で育てた米をホテルで提供している
「『おいしかった』『また来るよ』と言われると、きつくてもやって良かったと励みになります」(大田)
食事を豊かにする酒も造った。壱岐は麦焼酎の発祥の地とも言われる焼酎の名産地。そこで地元の蔵元「壱岐の蔵酒造」と組み、壱岐の特産品を焼酎に漬け込み新たな味を生み出した。イチゴや柑橘だけでなく「ウニの殻を漬け込んだリ、温泉成分を入れたり。最初は『え?』と思いましたが、『ぜひやりたい』と」(「壱岐の蔵酒造」社長・石橋福太郎さん)。
2年の試行錯誤を経て完成したのが「クラフトジン カグラ」(2,970円)。もちろんホテルでも食事と共に味わえる。
▽2年の試行錯誤を経て完成した「クラフトジン カグラ」
わざわざ行きたくなる宿が続々~唯一無二でライバルと差別化
愛媛・松山市の山中にも温故知新が運営する施設がある。緑の中にたたずむコンクリート打ちっぱなしの建物。世界的建築家・安藤忠雄氏が設計した美術館をホテルに改装した「瀬戸内リトリート青凪」(1泊2食付き1人11万2,266円~)だ。客室には装飾を排除した空間が広がる。湯船の半分を浅くし横になれるようにしている「フルフラット寝湯」付きの客室もある。
「瀬戸内リトリート青凪」は山の中にポツンと建っている。温故知新の創業社長、松山知樹(51)はこんなアクセスが悪い場所でも勝負する。
▽世界的建築家・安藤忠雄氏が設計した美術館をホテルに改装した「瀬戸内リトリート青凪」
「あまりホテルの常識は関係ない。わざわざ行きたくなるかどうか。これだけです」(松山)
温故知新が手がけるホテルには客を満足させる為の工夫や手間が詰まっている。例えば、「温泉は38度希望。奥様はLサイズのパジャマ」といった具合に、リピーターをもてなす情報を細かく共有している。
「瀬戸内リトリート青凪」総支配人・下窪日登美は「お客様の情報が私たちにとって宝だと思っています。次に来ていただいた時に満足度を上げられるポイントになる」と言う。
貸し切りプールを照らす水中ライトの電球が切れたとする。サービス担当・俊野芳明はまず地下に降りて、直径60センチほどの穴に入っていく。迷路のような配管をくぐり抜けた先で交換。電球一個変えるのにこれだけ大変な思いをしなければならない。
▽「大冒険ですよ。ドラクエの世界。」と語るサービス担当・俊野芳明さん
だからスタッフはこのホテルのエキスパート揃いになる。
「大冒険ですよ。ドラクエの世界。やりがいはめちゃめちゃあります」(俊野)
他にも温故知新には唯一無二のコンセプトを打ち出したホテルが各地にある。
岡山・玉野市に作ったのは競輪場が目の前にある珍しい「ケイリンホテル10」。
レースだけではなく、練習する選手の気迫、努力を肌で感じてもらおうというホテルだ。
2024年、大阪・心斎橋にオープンさせた「キュヴェ・ジェイツー・ホテル オオサカ」はシャンパンを前面に打ち出したホテル。フランスの名だたる生産者と組み入手困難な銘柄も揃えた。寿司に合わせて5種類のシャンパンが味わえるディナーも用意されている。
「1泊12万円」ホテルに客を呼ぶ~スタッフ集団退社からの復活
温故知新の本社は東京・新宿。一室だけのシェアオフィスだ。従業員は420人いるが、ほとんどは各地のホテルで働いているのでここで十分だと言う。
▽温故知新の本社は東京・新宿。一室だけのシェアオフィス。
現在、松山の元には運営の依頼が年間100件近く来ている。集客が難しそうなホテルの駆け込み寺にもなっているのだ。
「見たことがないようなホテルが多いです。業界の人間でも知らないものが来る。マーケットがない?マーケットがないのは得意です。マーケットは作る派」(松山)
1973年、アメリカ・デトロイトで生まれた松山。外資系コンサルティング会社を経て、星野リゾートに入社した。任されたのは旅館の再生事業。そこで宿泊業の面白さにのめり込み、一生の仕事にしようと決意した。
「レストラン業も一部だし、不動産業も一部。やることや知ることが無限にあって難しいんです。難しいから面白い」(松山)
星野リゾートを辞め、2011年2月、37歳で温故知新を創業する。だが、そのわずか1カ月後、東日本大震災が発生。日本中が観光どころではなくなる非常事態で、松山が用意していたプロジェクトも全てストップした。
松山は旅館へのコンサルティング業務で急場をしのぐが、その一方で「自分の理想に近い宿をつくりたいと思っていました」と言う。
転機は4年後。松山の元に初めてホテルの運営依頼が舞い込む。それがあの安藤忠雄氏が手がけた美術館の再生案件だった。
「他のホテルにはない圧倒的なぜいたくさがあって、普通ではないから、やりようかもしれないと」(松山)
広々としたぜいたくな空間に付けた値段は1人1泊12万5,000円。しかし、山の中にある高級ホテルに客は来てくれず、毎月300万円の赤字を出すことになった。
▽広々としたぜいたくな空間に付けた値段は1人1泊12万5,000円
焦った松山は現場に細かく口を出し、ホテルの修繕まで求めた。当時を知る前出の総支配人・下窪は「建物のスタイリッシュな印象で入社する人も多かったので、『そこまでやるの?』ということが負担になっていた」と言う。
そんな中、当時支配人だった社員や厨房スタッフが集団退社。ホテルを開けることすらままならなくなり、破産寸前まで追い詰められた。
それでも松山は諦めない。かつてコンサルティングをした旅館などに出資を募り、3,200万円を集め、再建に乗り出す。経営者としてのやり方も変えた。現場に口を出すのをやめたのだ。
「『やれ』と言われたら嫌になるけど、自分で思いついたらやるじゃないですか。僕が思いつくことではなくて、思いついてもらうことのほうが大事」(松山)
そのために社員として守るべき信条を48項目書き連ねて社員に伝えるクレドを作った。
現場を任されるようになると、スタッフに変化が現れる。料理長の月原光崇は、客に季節を感じてもらおうと、自分たちで葉をとってきて飾り作ることを始めた。
「何でもチャレンジさせてもらえるので、腕が鳴ります」(月原)
自分で工夫したことだから、客が喜んでくれれば嬉しい。現場発のアイデアはどんどん増えていった。こうしたやり方で松山は、現場をやる気にさせ評判をあげていく。そして2年後には、黒字化に成功した。
北海道の離島で新たな挑戦~リニューアルに向けて「初めての味」
創業から13年の2024年、松山が大きな勝負に出た。
向かった先は北海道の礼文島。もともと観光の島だったが、コロナの影響で観光客は3割近く減少。過疎化も進み、人口はピーク時の3割ほどになってしまった。
▽礼文島で松山さんは自社で初めてホテルを所有し運営することにした
そんな礼文島で松山は、自社で初めてホテルを所有し、運営することにした。決断した理由は日本離れした景観だ。
「島ごと隠れ家。わざわざ来る価値がある眺めだと思います」(松山)
リニューアルオープンするのは海沿いにある「三井観光ホテル」。業績は堅調だったが、後継者不在で松山に声がかかり、2023年に取得した。
▽リニューアルオープンするのは海沿いにある「三井観光ホテル」
客室は全100室という規模。冬は観光客が少ないので、営業は5月から10月までという季節限定のホテルだ。
現場のスタッフからはさっそく「浸水を何とかしていただきたい」とリクエストが。厳しい冬、壁の中の水分が凍り亀裂が入ることもある。やることは山積みだ。
ホテルのリニューアルを任されたのが入社5年目の企画推進室・小林未歩。4月から住み込みでここに詰めている。過去には岡山の「ケイリンホテル10」を手がけた。自転車の部品を使ってリノベーションを行い個性をアピールした、企画室のエースだ。
小林は毎日、島中を歩き回り、客を喜ばせる素材を探している。漁師の竹野裕樹さんが水揚げしていたのは、北海道を代表する魚、真ホッケ。漁師料理のホッケのぬか漬け「ぬかほっけ」は、現地に行かないとまず味わえない料理だ。
▽漁師の竹野裕樹さんが水揚げしていたのは北海道を代表する魚、真ホッケ
興味津々で味見をした小林は、「おいしい。高級生ハムみたい。こんなジューシーなホッケは初めて食べました」と言う。「ぬかほっけ」はおにぎりとの相性が抜群。宿で出す献立のヒントを掴んだ。
竹野さんはその後、海へ。伝統的な漁法で名産のムラサキウニを獲っていく。利尻昆布を食べて育ったウニは島一番のご馳走だ。
「高いお金を払ってわざわざ足を運んでもらうまで、私たちの役割だと思います」(小林)
「観光客がもっと増えるとありがたい。期待しています」(竹野さん)
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
変わった社名だ。「古きを温めて新しきを知る」という文字通りの意味らしい。宿は余っているというのが松山氏の考え。バブル期の過剰投資に始まり、つい最近までのインバウンドブームがさらに背中を押す形で、宿泊施設は供給過多が続いているのだそうだ。
そういった宿の再生を、ひとつひとつカスタマイズする。気軽に泊まれる価格ではない。客は、自分の時間と金をどう使えば幸福感が訪れるかを考えている。そういう客は、これまで少なかった。ほとんどは皆と同じ幸福感に酔っていた。画一的な幸福感は、もう存在しない。