ChatGPTをはじめとした生成AIの台頭により、さまざまなビジネスの形態が変化しています。製薬業界も例外ではなく、医薬品開発では「AI創薬」という言葉が聞かれるようになりました。
AI創薬とは、人工知能(AI)を活用して、新しい医薬品の開発を効率化し、加速させる取り組みです。
医薬品の開発にAIを導入することによって、どのような効果が期待できるのでしょうか。
本記事ではAI創薬が注目されている理由に加えて、現時点で懸念される課題や、実際のAI創薬事例について紹介します。
AI創薬の実用化に向けて動き出している
AI創薬は世界中で注目されており、国内の大学や製薬会社でも実用化に向けた研究が行われています。
AIを活用した医薬品には、2022年時点ですでに臨床試験に入ったものがあり、現在もさまざまな創薬プロセスへのAI導入が模索されています。
厚生労働省の資料には、AI創薬によって「開発スピードの短縮」「開発コスト削減」が期待できると記載されています。2017年の試算では、開発期間は4年短縮され、開発費については業界全体で1.2兆円削減できるという試算結果が掲載されており、その場合1品目あたりで600億円のコスト削減につながると予想されています。
AIはすでに一部の創薬プロセスで実用化が進んでおり、厚生労働省や国立研究開発法人AMED(日本医療研究開発機構)のほか、製薬企業やベンチャー企業で、さまざまな取り組みが行われています。現状では導入が難しいプロセスも存在しますが、将来的には多くの創薬プロセスにAIが導入されると予想されます。
参考:厚生労働省「創薬における人工知能応用」
AI創薬が注目されている背景
AI創薬が注目されている背景には、「新薬開発における成功率の低さ」や「研究開発費の高騰」があります。日本製薬工業協会の資料によると、2018年~2022年に臨床試験までたどり着いた新薬は全体の約0.01%であり、研究開発費は1990年代から上昇傾向が続いています。
時期 | 前臨床試験開始 | 臨床試験開始 | 承認取得(自社) | 承認取得数(自社) |
---|---|---|---|---|
2003~2007年 | 1:2,790 | 1:6,790 | 1:21,677 | 26 |
2008~2012年 | 1:3,750 | 1:10,457 | 1:29,699 | 25 |
2013~2017年 | 1:4,277 | 1:9,607 | 1:26,020 | 24 |
2018~2022年 | 1:2,447 | 1:9,475 | 1:23,439 | 19 |
AI創薬実用化により期待される3つの効果
AI創薬の実用化が進むことで、製薬業界、そして薬を服用するユーザーにさまざまな恩恵がもたらされることが予想されています。期待される主な効果としては、以下の3つが挙げられます。
1.開発スピードの短縮
2.開発コストの削減
3.新しい発見・仮説につながる可能性
実際にどれくらいの恩恵があるのか、AI創薬の仕組みとあわせて解説します。
1.開発スピードの短縮
AIは大量のデータを短時間で処理・分析できるため、開発スピードを大きく短縮できる可能性があります。一般的な創薬プロセスの初期フェーズでは、研究員が論文などをもとにリード化合物(新しい薬の開発の出発点となる化合物)の候補分子を探します。今は個人の知識に大きく頼っている状況ですが、近い将来、論文検索や候補分子探索にはAIを活用できるかもしれません。また、それに伴って研究員の負担が軽減されることになり、見落としなどの人為的ミスを防ぐことにもつながる可能性があります。
2.開発コストの削減
薬物動態予測や安全性評価なども、AIの活用が見込まれているプロセスです。薬物動態予測とは、薬が体内に投与された後、体内でどのように変化し、最終的に体外へ排出されるのかを事前に予測することです。薬物動態予測や安全性評価を膨大なデータをもとにAIが分析し、コンピュータ上で臨床試験のようなテストができれば開発コストを大きく削減することにつながるでしょう。
3.新しい発見・仮説につながる可能性
人間のようにバイアスがかからないAIは、あらゆるデータを論理的かつ網羅的に収集し分析できる特性があります。人間では思いつかないアイデアを出してくれる可能性もあるため、AI創薬は新しい発見・仮説につながる可能性があります。
すでに別の業界では、新規事業のアイデア創出などに生成AIが使われ始めています。生成AIによるアイデア創出のような手法は創薬分野でも応用できる可能性が考えられます。
AI創薬で懸念される課題
AI創薬にはさまざまな可能性がある一方で、現時点ではいくつかの課題も指摘されています。
主に以下の3つが課題として挙げられます。
1.予測モデルの精度
2.AIに精通した人材の確保
3.プライバシーの侵害リスク
1.予測モデルの精度
AI創薬の予測モデルは、蓄積したデータの量によって精度が変わります。データが膨大であるほど精度は上がる傾向にありますが、製薬業界のデータベースは、データベースごとに実験環境や単位などが統一されていません。
つまり、AIに膨大なデータを学習させるには、事前に手作業による編集などが必要になります。また、このプロセスで人間のバイアスが入ると、学習用データの客観性や網羅性が損なわれてしまうため、慎重な対応が求められます。
2.AIに精通した人材の確保
AI創薬を実現するためには、創薬とAIの両分野に精通した人材が必要です。製薬会社内での人材教育もひとつの選択肢になりますが、AIのスキルは短期間で習得できるものではありません。
また、経済産業省の資料(※)によると、そもそもIT人材は2015年の時点で不足しており、2030年には約41万人~79万人の供給不足になることが予測されています。そのため、AIに精通した人材を確保するだけでも、大きな労力やコストがかかる可能性が考えられます。
(※)参考:経済産業省「参考資料(IT人材育成の状況等について)」
3.プライバシーの侵害リスク
AI創薬では過去のデータに加えて、今後の臨床試験データも蓄積・利用していく必要があります。このときに懸念される課題が、患者のプライバシーを侵害するリスクです。患者のプライバシー保護には最大限の配慮が必要です。
患者の臨床試験データを匿名加工したり、暗号化技術でデータの秘匿性を高めたりするなどプライバシーを保護するする施策や、サイバー攻撃や記録媒体の紛失などで予期せず情報漏えいを防ぐためのセキュリティ施策などが求められます。
製薬業界でのAI活用事例
AIの活用によって新薬の開発コストを削減し、かつスピードを速めるには、多くの創薬プロセスにAIを導入する必要があります。実際の製薬業界では、どのようなプロセスにAIの活用が見込まれているのでしょうか。
ここからは4つ、製薬業界で今後AIの活用が見込まれている事例を紹介します。
1.AIによるターゲットの選定
2.AIによるリード化合物の最適化
3.各作業へAIロボットを導入
4.AIによる安全性情報管理業務の効率化
1.AIによるターゲットの選定
ターゲット選定とは、新薬の標的となる生体内分子を特定するプロセスです。基本的には膨大なデータベースや論文を参照し、さまざまな仮説を立てたうえで検証や評価を行うため、このプロセスだけで10年かかることも珍しくありません。
人間には負担が大きいプロセスですが、一方で、データの参照や評価などはAIの得意分野です。十分な学習用データがあれば、精度の高い仮説を立てることや、目的に合った検証方法を提案してくれる可能性があるでしょう。
そのほか、標的分子を安全性や新規性などの面でスコアリングすることにより、検証の優先順位を行うことも期待できます。
2.AIによるリード化合物の最適化
ターゲットに対して効果を発揮するリード化合物の絞り込みも、AIの活用が見込まれるプロセスです。一般的には膨大なリストから、効果があると思われる化合物をひとつずつ絞っていくため、通常は1.5~2年ほどかかると言われています。
このプロセスにAIを活用すると、有望な化合物を短時間で見つけてくれる可能性があります。実際に香港の「Insilico Medicine社」は、デジタル創薬の一環としてAIを導入し、わずか21日間でリード化合物を絞り込んだ実績があります。
参考:野村総合研究所「製薬メーカーのDX 難局を超え、提供価値を高めるデータ活用」
3.各作業へAIロボットを導入
創薬プロセスの中には、AIロボットを導入できる作業がいくつもあります。例として、化合物の合成や動物試験のモニタリング、治験薬の製造などが挙げられます。
ロボットは常に同じ品質で作業を行うため、手作業によるムラや人為的ミスを防げる可能性があります。また、危険な作業を代行してもらうことで、従業員の安全性も確保しやすくなるでしょう。そのほか、作業効率化による開発期間の短縮や、人件費の削減といった効果も期待できます。
4.AIによる安全性情報管理業務の効率化
臨床試験などからデータを収集し、リスクマネジメントにつなげる「安全性情報管理業務」においても、AIは大いに活躍すると考えられます。
AIは高速なデータ処理に加えて、課題の抽出や対策の提案、文章の生成なども行うことができます。そのため、安全性情報管理業務におけるデータの整理や分析、PMDA(医薬品医療機器総合機構)に提出する報告書の作成、リスク管理計画の策定などに役立つ可能性があるでしょう。
すでに安全性情報管理業務をサポートするAIツールも登場しており、例えば株式会社シーエーシーの提供する「Narrative Gen(ナラティブジェン)」では入力・評価業務の負担を減らすことができます。MRからの報告や文献などのインプット情報をもとに、AIが「ナラティブ(症例経過)」を自動生成してくれるため、手作業による不備や記載漏れを防げます。
また、利用データは24時間後に完全削除される仕様で、暗号化対策やIPアドレス制限などのセキュリティ機能も備わっています。利用データでAIが学習することもないため、プライバシーの観点からも安心できる仕組みになっています。
参考:株式会社シーエーシー「ナラティブを含む症例報告文章を自動で生成!ナラティブ自動生成ツール「Narrative Gen」」
AI創薬の実現には万全な体制が必要
AI創薬は、製薬業界に革命的な変化をもたらす可能性を秘めています。しかし、その実現には多くの課題が存在します。高度な専門知識を持つ人材の確保、膨大で複雑な医療データの適切な管理、倫理的配慮など課題は多く、健康に関わることなので多くの人にAI創薬に対する理解を深めるなど社会的な取り組みも必要です。
こうした課題を一つひとつ乗り越えていき、AI創薬に必要な環境を徐々に整えていく必要があるといえるでしょう。
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