
これまでの事業変遷
—— 事業変遷について教えてください。
株式会社キーワードマーケティング 代表取締役会長・滝井 秀典氏(以下社名、氏名略) もともと私は広告代理店に勤めていましたが、2000年初頭に独立してインターネット上でECサイトを立ち上げたのが始まりです。当時、インターネット市場は非常に小さく、ADSLすら普及していない時代でした。しかし、ちょうどその頃、Google アドワーズ(現在のGoogle 広告)が日本でサービスを開始し、この新しい広告手法に出会いました。
試しに広告を運用してみると、投資した広告費に対する反応が非常に良く、費用対効果が抜群でした。当時、新聞広告などオフラインの広告では効果測定が難しく、電話で確認作業をしたり、手作業で分析をするのが当たり前でした。それがGoogle広告では、管理画面からすぐにデータが確認できる。この革命的な仕組みをもっと広めたいという思いで、事業をECサイトから広告支援の方向へとシフトさせました。
ECサイトは売却し、得た資金を元手に「ニッチマーケティング研究所」という名前で、新たな事業をスタートしました。当時はまだ市場規模が小さい中で、特にオーダー家具のような高単価でリアルでは提供が難しいニッチなサービスがインターネット上で注目を集めていた時代です。私は全国のニッチサービス事業者を集め、オンラインでコンサルティングを行う形で新たな会社を立ち上げました。
—— どのように現在の広告代理店事業へと発展されたのですか?
滝井 初期はコンサルティングが主な事業でしたが、2000年代後半から広告の高度化・複雑化が進みました。特に、Yahoo!広告やGoogle広告が新しい仕組みを導入し、品質スコアの概念などが登場。これにより、より専門的な知識が求められるようになり、クライアントから「広告を任せたい」という依頼が急増しました。
2011年、東日本大震災の直前に広告代理店事業に本格参入を決断しました。当時はリーマンショック後の厳しい時期で、広告業界全体が縮小傾向にありましたが、それでも市場の成長性を信じて組織化を進めました。これが転機となり、広告代理店としての基盤が整いました。激しい値下げ競争や人材確保の難しさといった課題に直面しましたが、2017年に広告事業が黒字化を果たしました。
—— 事業ポートフォリオについて教えていただけますか?
滝井 現在、会社の売上の約9割は広告代理店事業が占めています。創業当初のコンサルティング事業も継続していますが、売上比率は1割程度です。創業当初はコンサルティングが主力でしたが、徐々に広告代理店事業にシフトし、現在ではこちらが会社の柱となっています。
自社事業の強みやケイパビリティ
—— 自社事業の強みやケイパビリティについて教えてください。
滝井 弊社はネット広告代理店として2000年代初頭からリスティング広告を中心に事業を展開しています。特に、GoogleやYahoo!といった検索エンジン広告を専門に扱っており、継続率が高い点が一つの特徴です。顧客との長期的な関係を構築できるのは、広告効果をしっかりと実感いただいているからだと考えています。
また、2年前にPR分野で強みを持つベクトルグループと業務提携を結び、インフルエンサーマーケティングやPR活動を含む統合的なマーケティングサービスの提供を開始しました。ネット広告の即時的なコンバージョン効果に、PRの信頼性や認知拡大の力を加えることで、クライアントに対してより高い価値を提供しています。
—— PRとネット広告の融合がどのように機能しているのでしょうか?
滝井 ネット広告は、商品の販売や資料請求、問い合わせといった具体的な成果を生み出すことに非常に優れています。一方で、新商品の認知拡大やブランドイメージの構築には向いていません。その点で、PRは大きな役割を果たします。第三者の視点からの発信は信頼性が高く、広告では届かない層にも効果的にアプローチできます。
例えば、PRで取り上げられた商品やサービスが消費者に認知されると、固有名詞検索が増える傾向があります。検索結果のデータを分析することで、PRの効果を数値的に測定することが可能です。これは、ネット広告の得意とするデータ分析の手法とPRの活動を結びつける点で非常に優れた仕組みです。
インフルエンサーマーケティングも同様で、インフルエンサーが紹介する商品が消費者の検索行動に影響を与えます。これを当社の広告運用に活用することで、効果的なマーケティング施策を実現しています。
—— PRやインフルエンサーマーケティングの課題は何でしょうか?
滝井 PRやインフルエンサーマーケティングの課題は、確実性に欠ける点です。広告は費用を投入すれば確実に露出が得られますが、PRは記者が取材に来るかどうか、良い記事を書いてくれるかどうか、インフルエンサーがどのように発信するか、といった不確定要素が多く存在します。これがPRの難しさでもあります。
ただし、弊社ではネット広告との相性の良さを活かし、この課題を克服しつつあります。PRで認知を広げ、その後の検索データで効果を確認することで、クライアントに明確な価値を提供できるようになっています。
これまでぶつかってきた課題や変革秘話
—— これまでぶつかってきた課題や変革の秘話についてお伺いしたいと思います。
滝井 これまで私たちが直面してきた課題は、2011年以降ネット市場の急速な拡大と複雑化です。私たちは広告代理店として、広告プラットフォームの変化に対応する必要がありました。特に、GoogleとYahooの動向が影響を与えることが多く、それに振り回されることもありました。その成長に伴い、広告の管理が難しくなり、私たちもコントロールが難しくなりました。特に2015年頃には、広告のミスが増え、お客様にご迷惑をかけることもありました。
—— どのように解決しようとしたのでしょうか?
滝井 2016年に抜本的な改革を行うことを決断しました。新規の受付を一旦停止し、内部の改革を進めました。この決断により、一時的に売上と利益が大きく下がりましたが、組織としての基盤を強化するための重要なステップでした。
—— 具体的にどのような改革を行ったのですか?
滝井 創業者に依存したビジネスモデルから脱却するために、新卒採用を強化し、社内の秩序を整えました。また、評価制度をしっかりと整備し、組織全体でクオリティを担保する体制を築きました。この変革により、40人程の社員の半数が退職することになりましたが、組織としての新しいスタートを切るためには必要なプロセスでした。その頃は、私自身が率先して朝早くから夜遅くまで働くことで、組織を再建しました。
—— その後、どのように業績を回復させたのですか?
滝井 ネット広告のオペレーションを専門部隊に任せることで、ミスを減らすことができました。佐賀市にオペレーションセンターを設立し、そこでの業務に集中することで、ミスが減り、お客様の信頼を取り戻しました。これにより、マネジメント層が攻めの施策に集中できるようになり、結果として業績が回復しました。
今後の事業展開や投資領域
—— 今後の事業展開や投資領域についてお聞かせいただけますか。
滝井 PRとネット広告の掛け合わせを進めていきたいと考えています。投資の第一は人材への投資です。ネット広告で活躍するミドル層、特に20代後半から30代の方々は、ネット広告の上限に悩んでいることが多いです。ネット広告は問い合わせや資料請求、ECでの購入を促す力はありますが、新しいマーケットを作り出すのは難しいです。そのため、行き詰まっているプレイヤーをサポートすることが重要だと考えています。
滝井 ネット広告での経験を持つ中途採用者には非常に響いています。お客様にはまだその価値が伝わりにくい部分もありますが、第一線で活躍している人たちはすぐにその可能性を理解してくれます。これにより、少しずつ成功の兆しが見えてきています。
—— 佐賀にオペレーションの拠点を移されたとのことですが、その地域での展開はどのように考えていますか。
滝井 まだ社員数は100人弱ですが、福岡に行くことを選ぶ人が多い中、佐賀で働きたいという優秀な人材もいます。ITの機能が少ないため、福岡に行く流れがありますが、佐賀大学との連携や共同研究も始まっており、地域の人材を活用していく方針です。
メディアユーザーへ一言
——メディアユーザーの皆様へ一言お願いいたします。
滝井 私たちの会社は、若手が活躍できる場をしっかりと作っていきたいと思っています。昨年の4月に、私は代表を20年務めた後、33歳の取締役を社長に任命しました。彼との共同代表という形で、会社の新しい形を模索しています。
広告代理店業界は、非常に変化が激しい業界です。特にアドテクノロジーの分野では、最新のスマホアプリや縦型動画など、若い世代の感性が重要です。年齢を重ねると、そうした感性を維持するのが難しくなります。大手企業でも若返りの流れが進んでおり、トップは30代が主流になりつつあります。
—— 業界の変化に対応するために、若手の力が重要だということですね。
滝井 これからも若手を中心に、新しいアイディアを取り入れながら、会社を成長させていきたいと考えています。
- 氏名
- 滝井 秀典(たきい ひでのり)
- 社名
- 株式会社キーワードマーケティング
- 役職
- 代表取締役会長