
誰もが知る胃腸薬「ラッパのマークの正露丸」と、二酸化塩素を使用した除菌製品のパイオニア「クレベリン」。国民的ブランドとして定着する両製品が、同じ会社から生まれている事実は意外と知られていません。
1946年の創業以来、大幸薬品は絶対的なブランドをいかにして築き上げ、さらにまったく新しい市場を創造し得たのでしょうか。その原動力は、創業家に生まれ、自らも外科医として人の命と向き合ってきた柴田高社長の稀有な経歴にありました。
医師だからこそ貫徹する「サイエンス」へのこだわりと、その先に描く壮大な未来構想。老舗企業がイノベーションを生み出し続けるDNAの源泉に迫ります。
目次
誰もが知る「正露丸」の、誰も知らなかった誕生秘話
冨田 事業の変遷についてうかがいたいと思います。1946年の設立から今日に至るまで、事業の多角化や統合、拡大など、社会や顧客のニーズに応じた様々な変化があったと思いますが、その中で、転換点となった出来事などとあわせて聞かせてください。
柴田 私が四代目社長を務める大幸薬品の前身は、1940年に私の祖父である柴田音治郎が、大阪で様々な商売を手掛ける中で設立した「柴田製薬所」です。当時は風邪薬や乗り物酔いの薬など、多種多様な医薬品を製造していました。
戦争中には、軍に協力するため太陽製薬第4工場として他の製薬所とともに企業合同体に入りました。そして終戦後、陸軍少尉として復員し、社長となった父が、戦地で用いていた「征露丸」の主成分である木(もく)クレオソートが、兵士たちのお腹の調子に非常に効果があったことを体験していました。そのような折、もともと「忠勇征露丸」という商品を製造販売していた会社を継承することになりました。
これを機に、父が昼食ラッパのイメージで『ラッパのマークを付けた正露丸』として本格的に製造販売を開始したのが1946年のことです。これが、今日まで続く大幸薬品の基盤となりました。
冨田 そのような経緯があったのですね。創業当初から正露丸一本だったわけではないとは。
柴田 しかし、その後は困難の連続でした。戦前から多くの会社が征露丸を製造していたため、「正露丸」という名称の商標をめぐって裁判になりました。残念ながら最高裁で敗訴し、普通名称であるとの判断が下されたのです。
そこで我々は、「ラッパのマークの正露丸」を天面や正面に強調したパッケージで販売戦略を強化しました。ラジオやテレビCMなどでは、元日本軍の昼食ラッパのメロディを使用し、こちらもブランドの差別化に大きく貢献しました。なお、2017年には、このラッパのメロディが、「音の商標」として日本で初めて認められました。
現会長・柴田仁氏の代では、より飲みやすい糖衣錠タイプの「セイロガン糖衣A」を発売するなど、製品ラインアップを拡充していきました。海外展開にも早くから取り組み、1954年には香港、台湾を中心にアジアでの販売を開始しました。
日本軍が駐留していた地域で既に需要があったのです。現在では安全性、有効性を証明し、アメリカ、カナダをはじめ、世界各国で「SEIROGAN」は販売されています。先日も、モンゴルの代理店の方がごあいさつに来られました。
小説『白い巨塔』に感銘 科学の力で「正露丸」の真価を解き明かす
冨田 社長ご自身は、創業家にお生まれになりながら、一度は医師の道へ進まれています。そのご経験が、どのように現在の経営につながっているのでしょうか。
柴田 私は創業家の三男でして、幼い頃、父に「何になりたいか」と聞かれ、「正露丸の社長になりたい」と答えたことがありました。しかし父からは、「兄弟げんかになるからやめておけ」と言われました。そして高い授業料を払ってもらい、川崎医科大学を卒業しました。
その後、山崎豊子さんの小説『白い巨塔』に感銘を受け、その舞台となった大阪大学の第二外科に入局しました。当時の教授は神前五郎先生。そして助教授は東先生、内科には里見先生もおられました。小説の中で人名だけが独り歩きし、話題となった環境に飛び込んだのです。
医師としてキャリアを積む中で、大阪大学の最初の研修先として千里救命救急センターに配属されました。そこの所長が、国際医療救助隊としてアフリカに医療支援に行かれており、「正露丸はものすごく効くな。なぜだ?」と聞かれたのです。私が「腸の消毒剤のようなものだからで殺菌効果ではないでしょうか」と答えると、彼は「それはおかしい。消毒剤なら腹痛には効かないし腸内細菌まで殺して大変なことになってしまう。」と指摘されました。
この一言が、私にとって大きなヒントとなりました。3年間の初期研修が終わり、私は大学で論文博士取得のための研究活動と研修医の指導に従事していました。その時「正露丸がなぜ効くのか、そのメカニズムを科学的に解明しなければ、大幸薬品は生き残れない」と強く感じ、父や兄たちに正露丸の安全性と有効性を解明できる研究所の立ち上げを提案し、大学で知り合った専門家を研究顧問とし、徹底的に基礎研究に乗り出しました。
冨田 医師および研究者としての経験が、正露丸の薬効探求へとつながっていったのですね。具体的にはどのようなメカニズムを解明されたのでしょうか。
柴田 当時、正露丸の主成分である木クレオソートは、発がん性の疑いがあるという危機に直面していました。これは、東京大学の山極勝三郎博士がウサギの耳にコールタールを塗って発がん性を証明した論文で、「クレオソート油」という言葉が使われていたことに起因します。
しかし、我々の正露丸の原料は、石炭由来のクレオソート油ではなく、ブナやマツを原料とする植物由来の「木クレオソート」です。この「クレオソート」という言葉は、ギリシャ語の「クレアス」(肉)と「ソート」(保存)を語源とし、古くはエジプトでその原料の木タールでミイラの防腐処理に、また精製された木クレオソートを食肉の保存剤としても使われてきた歴史があります。おそらく、腐った肉を食べて食中毒になった人が、その原因となった肉の保存に使われていた木クレオソートを飲んで治った、という経験から薬として使われるようになったのでしょう。
研究の結果、正露丸は内服では殺菌作用がないことが明らかになりました。その作用は大きく二つあります。
一つは、腸管内の過剰な水分分泌を正常化する作用です。腸の細胞にある「塩素イオンチャネル」の働きを阻害することで、腸内の過剰な水分の分泌を抑制させます。
もう一つは、刺激やストレスなどによって過剰になった大腸の蠕動(ぜんどう)運動を正常に戻す作用です。これは、「脳腸相関」として知られるストレスホルモンによる過剰な運動を正常化するもので、セロトニンの働きを調整するところに作用します。
つまり、正露丸は腸内の善玉菌などを殺すことなく、腸の運動と水分バランスの両方を正常な状態に整えることで、下痢や軟便の症状を改善するのです。この作用メカニズムを解明し、論文として発表したことで、それまで「化学薬品(消毒剤)」に分類されていたものが、晴れて「生薬」としての分類に変更されました。
第二の柱「クレベリン」の開発ヒストリー。医師としての原体験がきっかけに
冨田 正露丸の歴史そのものが、大幸薬品の事業変遷を物語っていますね。一方で、現在では「クレベリン」も会社の大きな柱となっています。こちらはどのような経緯で開発されたのでしょうか。
柴田 私が会社に戻ることを決めた最大の理由は、副社長を務めていた次兄が退社するタイミングと重なったこと、そして「正露丸だけでは会社の未来はない」という危機感があったことです。医師を続けながら、大幸薬品で扱える新しい製品を模索していました。
21年前のある日、友人から「タバコの臭いを消す消臭剤を開発した。これは二酸化塩素の酸化作用で臭いを消すだけでなく、空間に浮遊する菌も除去できる」という話を持ちかけられました。
当初は、私が勤務していた病院で採用してくれないか、という相談でした。しかし、一介の外科部長にそのような権限はありません。そこで、大幸薬品の研究開発部でその成分を検証することにしました。
ちょうどその半年ほど前、病院で悲しい出来事がありました。急性肺炎で入院された患者さんが数日で亡くなられ、その後の解剖で結核の敗血症だったことが判明したのです。その結果、私の部下である研修医と臨床技師が結核に感染してしまいその後、病理解剖室が閉鎖されるという医療事故が起きました。
私は病理部の責任者に、「この消臭剤を閉鎖中の解剖室に置かせていただき、実際に測定させていただけないか」とお願いし了解をとりました。解剖室には特有の腐敗臭がただよっていましたが、消臭剤を設置して一週間後に行ってみると、なんとその臭いが完全に消えていたのです。さらに、空間の浮遊菌を測定するエアーサンプラーの数値が、一週間後には半分、一ヵ月後には四分の一にまで減少していました。
これは画期的な発見だと確信し、二酸化塩素の可能性に気付いた瞬間でした。
冨田 まさに、医療現場での課題意識と二酸化塩素のポテンシャルが結びついた瞬間だったのですね。
柴田 その通りです。会社に戻ってから、二酸化塩素を徹底的に検証しました。例えば、アメリカ・テキサス州のベイラー医科大学と共同で、米国の労働安全基準上、許容される二酸化塩素ガスがある環境と、ない環境でマウスのインフルエンザ感染実験を行ったところ、ガスがある環境のマウスはまったく死ななかったのに対し、ない環境のマウスは多数が死ぬという結果が得られました。この論文は権威ある学術雑誌に掲載され、新聞でも大きく取り上げられました。
販売にあたっては、まず行政に行きましたが、「安全基準はあるが有効性を認めることはできない。雑貨として自社の責任で販売するように」とのことでした。
ただし、安全性の規格を設けること、有害事象があれば全て報告すること、そして科学的根拠となる論文をしっかりと積み重ねること、という指導を受けました。この指導を真摯に受け止め、地道にエビデンスを積み重ねていくことを決意しました。
経営判断の軸は「サイエンス」 医師としての経験から生まれる未来構想
冨田 外科医として人の命と向き合ってこられたご経験は、経営判断においてどのような影響を与えていますか。何を最も重視して意思決定をされているのでしょうか。
柴田 私の座右の銘は「真理の探究」です。そして、医師としても経営者としても、私の生きがいの源泉は「命を託される」ことです。
経営判断において最も重視しているのは、当然ガバナンスやコンプライアンスは最優先ですが当社の特徴としては「世界のお客様に健康という大きな幸せを提供する」という当社の企業理念に沿っているか、という点です。つまり、社会課題をサイエンスの力で解明し、オリジナリティのある製品やサービスという形で社会に還元すること。医師であり研究者であり経営者である私の使命であり、それを軸として実行するのが大幸薬品です。
地球温暖化が進み、医療費が高騰し続ける現代社会において、我々に何ができるか。まず、お腹の不調に対するファーストエイドとして、安心して我々の製品を選んでいただくこと。そして、もう一つの柱である「クレベリン」という製品の価値を、正しく社会に理解していただき、二酸化塩素ガスを社会実装すること。この二つが極めて重要だと考えています。
冨田 社長ご自身のこれまでの経験から培われた強みは、まさにその「医師」と「経営者」という二つの視点を併せ持っていらっしゃる点ですね。
柴田 そうかもしれません。母から常々「お天道様が見ているよ」と言われて育ちました。常に世のため人のために何ができるかを考える、その根底には医学とサイエンスがあります。現場の医療で患者様の苦しみに触れる中で医療課題を抽出し、それをサイエンスで解決し、公益性のあるビジネスとして社会実装していく。これが私にできる唯一の仕事だと思っています。
薬学的な視点と医学的な視点は、時に分断されがちですが、根本的な人々の体のリスクを除き、病気を治すという観点から考えれば、両者は不可分です。その両方の視点から生まれる発想こそが、これからの大幸薬品の新しい価値創造につながると信じています。
冨田 未来構想についてお伺いします。どのようなテーマで社会に関わっていこうとお考えでしょうか。
柴田 短期的には、基軸である木クレオソート製剤、「ラッパのマークの正露丸」とブランド周辺製品でOTC医薬品事業の基盤を安定させ、世界中にその価値を届けていくことです。
そして、チャレンジ目標として、二酸化塩素というイノベーションマテリアルの社会実装を推進します。これは既に、一部の老健施設や診療所などで、空調に組み込む形で実用化されています。ある大学病院で半年間、この空調システムを稼働させたところ、換気回数を3分の1に減らしても室内環境に影響がなく、結果的に電力消費量を大幅に削減できるというデータも得られました。
目指すは「東洋のメディチ家」。二つのイノベーションでアジアのルネサンスを
冨田 最後に、10年、20年といった長期的なスパンで、どのような未来を描いていらっしゃいますか。
柴田 病院や学校、交通機関など、人が集まるあらゆる場所で、二酸化塩素の社会実装がスタンダードになれば、日本の産業構造すら変えるポテンシャルを秘めていると考えています。もちろん、当社一社だけで成し遂げられることではありません。我々の論文やビジョンに共感し、共に歩んでくれるパートナーの出現を期待しています。
そして、家業である「ラッパのマークの正露丸」を、地に足をつけ、大切に育て、世界中の人々の健康に貢献していく。この二つの柱を両輪として、会社を成長させていきたいです。
実は、私には密かに妄想していることがあります。ルネサンスを支えたイタリア・フィレンツェのメディチ家は、メディカルの語源になったともいわれ、元々は薬種商だったという説があります。家紋も丸薬がモチーフです。
彼らが丸薬で成功し、金融業で巨大な富を築き、文化を花開かせたように、我々も「正露丸」と「クレベリン」という二つのイノベーションをもって、日本、そしてアジアのルネサンスを起こしたい。そんな壮大な夢を描いています。
冨田 「正露丸」という巨大な市場を築き上げ、さらに「クレベリン」というまったく新しい市場を創造された。常にイノベーションの芽を生み続けていることに、大変感銘を受けました。この二つの画期的な製品が同じ会社から生まれていることは、多くの方にとって驚きだと思いました。本日は、大変貴重なお話をありがとうございました。
柴田 こちらこそ、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
- 氏名
- 柴田 高(しばた たかし)
- 社名
- 大幸薬品株式会社
- 役職
- 代表取締役社長