株式会社エプコは、住宅向け水回りの「配管キットのプラモデル化」という革新的な設計サービスで創業。水道法の規制緩和を機に急成長した。次に住宅会社の黒子としてコールセンター業務を行うアフターメンテナンスサービスへと事業を拡大、さらに電力小売り自由化を追い風に太陽光発電や蓄電池を含む再エネサービスを第三の柱として確立しました。
「住宅産業の脱炭素×建築DX」を旗印に、新たなビジネスを生み出してきたエプコ。今後は再エネサービスを中心にアジアや北米への展開を目指し、持続可能な社会に貢献していくと言う同社代表に、事業の変遷や変化との向き合い方などについて語ってもらいました。

「配管キットのプラモデル化」からすべては始まった
冨田 創業時に立ち上げたビジネスは、住宅向けの水回りの設計サービスだったとか。
株式会社エプコ 代表取締役グループCEO・岩崎 辰之氏(以下、社名・氏名略) ええ。具体的には、水道や給湯の配管、排水管といった水回りのパーツをプラモデルのように配管キット化するために図面をデータ化する事業でした。 それまでは職人が現場で材料を切り貼りして工事を行っていたんですよね。水回りのプラモデル配管にしたことで、配管キットとして宅急便で現場に配達できただけでなく、エプコが作成した組み立て図どおりに組み立てていくだけで水回り工事を完了させることができました。 水回りのプラモデル配管キットを作るためには、建築の図面や仕様書、構造図面などを住宅会社からデータで送ってもらう必要がありました。エプコで水回りのキット図面を作成するうちに、住宅に関わる図面一式がデータとして蓄積されていったんです。 これが創業からの事業となっており、現在でもエプコのコア事業の一つになっています。
冨田 そこから事業内容がどう広がっていったのですか?
岩崎 次に広がったのがメンテンサービス事業です。エプコの創業の頃は既に不動産バブルは崩壊していましたが、新築住宅の着工戸数はまだそれなりに旺盛でした。ただ、住宅会社の多くは新築工事で忙しく、引き渡し後のアフターメンテナンスにはあまり重きを置いていませんでした。 そこでエプコでは、住宅に関わる図面一式のデータを基に、正確なアフターメンテナンスサービスを、24時間365日で住宅会社に代わって提供しようと提案しました。これも住宅会社に非常に高評価をいただき、メンテナンスサービスというのを次のフェーズで立ち上げてきました。これも現在のコア事業の一つになっています。
冨田 三つ目の柱が再エネサービスですね。
岩崎 きっかけは2016年の電力小売りの自由化です。それまでは、関東であれば東京電力、東北であれば東北電力といった電力会社が、住宅向けの電力小売りを提供していました。それが自由化されると、たとえば関東では東京ガスが電力供給できたり、その他の新規参入業者も電力供給ができたりするようになりました。
電力会社としては、付加価値のある再エネ関連サービスをやりたいというニーズが出てきました。再エネ関連とは、太陽光発電や蓄電池を設置するサービスです。エプコは、住宅会社の設備設計やアフターメンテナンスをずっと担当してきたので、東京電力エナジーパートナー社に「一緒に住宅向けの太陽光発電などの再エネサービスを始めましょう」と提案しました。これが三つ目の柱となり、現在に至っています。
時流に合った規制緩和と自社の強みを軸に事業拡大
冨田 創業以来、経営判断や意思決定で最も重視しているのはどのような視点ですか?
岩崎 大きな事業投資や新規事業を立ち上げる際の判断は、エプコのこれまでの事業変遷にも関わってきますね。
まず、この水回りのプラモデル配管キットを始めたきっかけは、1998年にあった水道法の規制緩和です。規制緩和前は、全国3300の市町村が水道事業や下水道事業の事業主体でした。そのため、工事できる業者や材料が各市町村で指定されていて、隣の市町村に行って工事ができないといった制約がありましたし、大きな震災があっても復旧に手間取るという現状もありました。
それが規制緩和によって、工事業者が登録制になり、材料もJIS規格やISO規格に合致していればどの材料を使っても良いことになりました。ちなみに、この規制緩和を行ったのが当時の厚生大臣で、後に郵政民営化を行った小泉純一郎元首相です。
つまり、規制緩和が時代の潮流に合致しているかどうかが、経営判断をするうえで最も重要な、いわゆる新規事業をやっていくうえでの重要な判断だと考えています。
冨田 規制緩和が追い風になったと。
岩崎 そうは言っても、規制緩和をしたからといって、住宅向けの事業会社がいきなりラーメン店を始めるわけにはいきません。ポイントになるのは、自社の強みを発揮できるかどうか。一見すると、エプコは電力小売りの自由化と関わりがないように見えるかもしれません。
しかし、エプコは住宅向けの設備設計やメンテナンスサービスを手掛けていたので太陽光パネルや蓄電池をつけることで当社の強みを発揮できる領域だと考えました。
時代の潮流に合致しているか。自社の強みを発揮できるか。新規事業に参入する経営判断をするうえで、これらを最も重要視しています。
冨田 住宅関連は法規制や減税など、国の制度によって状況が変わりやすい業界のようですが、数年に一度はパラダイムシフトのような大きな変化が起きやすいのですか?
岩崎 いえ、むしろ逆です。伝統的な業界で、建築基準法などの法律は特に現代に合うように変えていく風土が弱いです。ゆえに、そのような規制緩和や法律改正が出た時が、千載一遇の好機到来だと考えています。
「こんなのもうやっていられない」業界の常識を疑え
冨田 創業者、経営者としてこれまでもずっと経営されてきていると思いますが、ご自身のバックグラウンドや強みなどをどう自己分析されますか?
岩崎 私はもともと、東芝の府中工場で働いていました。でも最初は給料が安く、結婚が早かったことで生活できないため、町の水道工事店に番頭として移ったんです。東芝府中には従業員が約2万人いましたが、私が移った水道工事店は女性社長1人と職人2人の計3人という小さな会社。月商は200万円でした。
ところが、私が勤めてから4年後には月商2000万円、職人30人の会社に成長したんです。番頭としての水道工事店での経験でしょうか。番頭は自分で何でもやらなければならないので、地に足のついた商売を経験できました。それが私の今の強みだと思います。
冨田 なぜそれが可能になったのですか?
岩崎 水道工事を行う前には、水道局や下水道局に図面を提出しなければならなかったのですが、当時は電子化やデジタル化とは無縁で、図面を和紙に書いていました。和紙は保存が効くんですよね。
水の配管は赤の万年筆、お湯の配管は紫の万年筆、建築の間取りは黒の万年筆で、平面図だけでなく立体的な立面図も書いて、保管用に正副控えと3枚も書かなければなりませんでした。「そんなのを手で書いていられない」と思いまして。
私は東芝の勤務時代、PC-98(編集部注:NECが2003年の受注終了まで販売していたパーソナルコンピューターシリーズ)というパソコンを使っていました。そこで月商200万円の会社に思い切って200万円投資させて、パソコンで図面を描くことに切り替えました。そうするときれいに早く書けるし、仕事も図面を書いた分だけこなせるので、結果的に売上が積み上がっていったんです。
門外漢が新たな業界に入る時、その業界の常識を「非常識」として見ることができるんですよね。それを具体的に行動に移していくことは、過去の経験から積み上がった強みなのかなと思います。
業界の「立ち位置」の壁を乗り越えて
岩崎 前出のプラモデル配管の件も同じなんです。職人が工事現場で材料を切ったり貼ったりしているのを見て「こんなのもうやっていられない」と思ったんです。重たいし、時間もかかるし、高いし。「もっと何かプラモデルのようにできないのかな」という発想は、業界にいなかった者としてありました。だけど、規制があったからできなかったんです。
規制が緩和されて「よし、これだ」と思って、私は独立してそこに挑むのですが、この時もやはり自社の「立ち位置」に阻まれました。材料の製品メーカー、販売店、工事業者、役所などは、業界で何十年もかけて確立された「立ち位置」があります。そこに若造がやってきて「これからはプラモデルの配管キットだ」と言っても、「おまえは何言ってるんだ?」という雰囲気が当時の業界に満ちていたわけです。
そこに自分たちの「立ち位置」をしっかり植え付けて、反対の人たちを説得しながら巻き込んでいき、ステークホルダーも巻き込んでシステムにしてビジネスに仕立てていくというのは、先ほどの水道工事店の話と共通しているんです。
冨田 これからの事業の構想を教えてください。
岩崎 やはりこれからの時代、再エネサービスは世界的な潮流です。太陽光発電や蓄電池を導入してCO2を削減しつつ、経済的なメリットも提供できるわけですから。
たとえば、太陽光パネルなどの設計、再エネのアフターメンテナンス、東京電力エナジーパートナーとの再エネ工事を支えることなど、再エネ事業をしっかり立ち上げていこうと思います。もちろん、これまでのサービスを保持していくことが前提です。
とはいえ、再エネサービスについては、エプコ単体では少し難しいところもあるので、東京電力さんとのパートナーシップのようなものを、日本だけでなくアジアや北米などにも展開していければと考えています。
- 氏名
- 岩崎 辰之(いわさき よしゆき)
- 社名
- 株式会社エプコ
- 役職
- 代表取締役グループCEO