不世出のデザイナーが逝去した。彼がいなければ、イタリアは未だに「世界の豪華ファッションの下請け工場」という地位に甘んじていたかもしれない。ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)が残した功績はそれほど大きく、また多彩と言える。
東京・銀座のアルマーニタワーを訪ねれば、誰もがあらためて感心するはずだ。服や装飾品はむろんのこと、一階の奥にはビューティー(化粧品)とドルチ(主にチョコレート)、最上階2フロアはリストランテ、そして地下にはアルマーニ カーザ(インテリア用品)。日本一地価の高い東京のど真ん中で、地下2階まである11階建てのビルを、自らのブランドの商品だけでいっぱいにするという芸当を、他の人物が成しえるとは思えない。
ミラノやドバイにはアルマーニのホテルもあり(ドバイではブルジュ・ハリファ内)、アルマーニのフラワーショップもある。また原宿にある「エンポリオ・アルマーニ(Emporio Armani)」ブティックに併設のカフェでは、魅力的なパフェやアフタヌーンティーも楽しめる。まさに一人百貨店、いやテーマパーク状態。怪物としか言いようがない。
しかし、不思議なことに、誰も彼をそんなふうに表現したことがない。彼の静謐で謙虚に見える姿からは、威圧感よりも畏怖の念を感じる。それは、彼の作る服の印象と重なるものではないかと思う。

彼の最大の「発明」は、ウールジョーゼットという、本来は女性用に使われていた柔らかい布を紳士服に使用したこと。そして、背広の骨格を支えていた芯地や肩パッドを取り除き、男性の体に自由を与えたこと。これは、ココ・シャネル(Coco Chanel)が女性をコルセットから解放したことに似ているとも言える。そうしてできたスーツは、遠目から見ても異質でよく目立つ。誰もがなんだろうあれは?と、二度見するような存在感の背広。それはバブルの80年代においても、とても高価でおいそれとは手が出せない。だからこそ憧れがつのる。当時そのスタイルは「ソフトスーツ」と呼ばれ、世界的に一世を風靡した。
そして第二の発明は「グレージュ」。イタリアの建築やモダンアート、スポーツカーなどには「赤」のイメージがあるが、アルマーニの代表色は灰色とベージュを混ぜたような砂色(サンドカラー)、すなわちグレージュだ。この、それまでになかった中間色は、灰色が基本だった紳士服にも、パステルなどのカラフルさが多かった女性服にも、とても新鮮で衝撃的だった。
さて、三つめの重要な発明は「女性の服に媚(こび)を持ち込まないこと」。これ見よがしの可愛さやセクシーさを排除した、かっこよくて品のある服。着ていると、自然と人に尊敬されそうな服。まるでジョルジオその人のように。これは、とくにイタリアおいて、本当に革命的発想だったと言える。
なぜなら、イタリアという国で夜、テレビを付けてみればよくわかる。ごく最近まで登場するほとんどの女性は、たいてい長い髪をカールさせ、体にぴったりした胸の谷間が覗くような衣装を身に着けていた。つまり、わかりやすいセクシーを前面に押し出すというのが、イタリアにおける女性ファッションの常識だった。それだけに、その真反対を行く服が「待ってました」とばかりにイタリア、ひいては世界中の女性に受け入れられていったのは、一種痛快な出来事だった。
まだセクハラやパワハラの言葉もない頃、そんな発想すらない頃に、センシュアル(官能的)ではあっても、安易なセクシーとは無縁の服は、着るだけで「知的で上質な人間像」を形作ってくれたのだ。ゆえに、今でも映画祭の授賞式などでアルマーニをまとうスターは数えきれない。
アリアナ・グランデ、アンナ・サワイ、ケイト・ブランシェット、レオナルド・ディカプリオ、すなわち人種、年齢、キャリア、男女の関係なく、セレブリティたちに支持されている。トム・クルーズも来日時のほとんどの場合、銀座のアルマーニにもある「メード トウ メージャー(仕立服)」による服を身に着けているようだ。
そう、まだアルマーニのシアターがミラノのボルゴヌオーボ通りのオフィス兼自宅の地下にあった頃、ジョージ・クルーニーとブラッド・ピットがフロントロウに並んで座り、ショーが始まると照明は、ランウェイのモデルと彼らを交互に照らし、私たち観客は目を交互に忙しく動かしたことを思い出す。そのランウェイは下から照明が照らす仕様で、服とモデルが輝いて見えた。
ある時は、同じ建物の中庭に面したサロンでパーティーが行われ、奥の部屋にあったアルマーニ自身のクローゼットをのぞかせてもらうと、同じ型、同じ色のネイビーのジャケットだけが何枚も掛かっていて驚いた。それはいつもショーのフィナーレで現れる時のTシャツと同じ色だった。その後作られたベルゴニョーネ通りの巨大シアターは安藤忠雄氏の設計。初めて足を踏み入れた時、床が畳(靴で歩ける特殊な素材のもの)で驚嘆した。
9月6日、7日にはそのシアターで、一般弔問客を迎えるという。そういえばアルマーニ・カーサには、日本の帯地によく似たファブリックが多く見つかる。彼は日本を本当に愛してくれていた。ありがとう、アルマーニさん。偉大なデザイナーに合掌。
