株式会社兼由

北海道・道東に拠点を構える株式会社兼由。1962年の法人化以来、サケやサンマといった豊富な海の幸を食卓に届けてきた老舗企業だ。しかし、時代の変化は容赦なく彼らに襲いかかる。主力であったサンマの記録的な不漁。先代が築き上げた成功の形が、もはや通用しないという厳しい現実。そんな逆境の最中に事業を引き継いだ後継ぎ社長は、いかにして会社の危機を乗り越え、新たな成長軌道を描いたのか──。伝統を守りつつも、過去の常識を打ち破ることで活路を見出した、変革と挑戦に迫る。

濱屋高男(はまや たかお)──代表取締役社長
1980年、9月生まれ。2003年に立命館大学産業社会学部を卒業後、2004年、兼由入社。東京事業所で営業を経験し、現場で培った知識と実績をもとに、2010年に常務取締役として営業・財務を統括。2015年より代表取締役社長に就任。経営全般を担いながら、展示会やSNS発信を通じて販路拡大とブランド強化に取り組み、現在に至る。
株式会社兼由
2008年にレトルト煮付けシリーズを立ち上げ、「さんまの旨煮」をはじめとする多彩な商品を全国へ展開。素材の持ち味を活かした製法にこだわり、改良を重ねながら家庭の食卓に安心と美味しさを届けてきた。創業以来、“日本の食文化を次世代につなぐ”ことを使命に、時代の変化に寄り添いながら真摯にものづくりに取り組む食品メーカー。

目次

  1. 創業は個人経営の漁業会社、社長就任直後に危機
  2. 過去の成功体験との決別。葛藤後の逆転劇
  3. 「魚離れ」の時代に挑む。100年を見据えた戦略
  4. 次代へつなぐ想い「息子だから、ではない」

創業は個人経営の漁業会社、社長就任直後に危機

── もともとは漁業から始まったと聞いています。

濱屋氏(以下、敬称略) はい、「濱屋漁業部」という漁業会社が原点です。このあたりで豊富に獲れたサケやマス、サンマなどを中心に、船を持って漁に出ていました。その後、1962年に法人化し、しばらくは漁業を主体とした経営を続けていました。

大きな転機となったのは1989年です。先代である父が水産加工業にも進出し、漁業と水産加工の二本柱で事業を展開するようになりました。

── 水産加工を始められた当初は、どのような製品を扱っていたのですか。

濱屋 何もないところからのスタートでしたから、地元で水揚げされる魚は全般的に扱っていたようです。中でも、やはり当時よく獲れていたサケやサンマが中心でしたね。水産加工事業が順調に軌道に乗ってきたこともあり、2002年には船を売却して漁業から撤退し、水産加工一本に絞ることを決断。株式会社兼由に社名を変更しました。

── 事業を引き継がれた経緯と当時の心境を教えてください。

濱屋 私自身は2004年に入社し、2010年から常務取締役を務めていました。父とは今後の経営方針、特に長期的な視点での設備投資などを巡って話し合う中で、意見がすれ違うこともあり、自分でやった方が早いのではないかと感じる場面もありました。

サンマを主力とした事業が安定した売上を上げていましたし、父としても「息子に任せても大丈夫だろう」と、社長のバトンを渡してくれたのだと思います。長年会社にいましたし、社員たちとの関係も築けていたので、承継自体は特に大きな苦労や反発もなくスムーズに進んだと感じています。

本当の苦労を味わったのは、社長になってからです。

── 具体的にはどのようなことがあったのでしょうか。

濱屋 社長に就任した2015年、これまであれほど獲れていたサンマが全く獲れなくなってしまったのです。水揚げ量の落ち込みは半減どころではありません。その状況が今日まで10年以上も続いています。

当社のビジネスモデルは、豊富なサンマを大量に加工して販売するという、まさに先代が築き上げたものでした。その大黒柱が、根底から揺らいでしまった。当初は「今年だけのたまたまの不漁だろう」と楽観視していた部分もありましたが、年を追うごとに現実は厳しくなるばかり。先代のやり方では、もはや会社が立ち行かなくなるという現実を受け入れざるを得ませんでした。

過去の成功体験との決別。葛藤後の逆転劇

── 主力事業が成り立たなくなるという危機的な状況で、どのように活路を見出していったのですか。

濱屋 正直、すぐには動けませんでした。社長になったばかりの30代半ば。これまでのやり方を否定し、新しいことにチャレンジすべきだと頭では分かっていても、なかなか一歩を踏み出せなかったのです。「サンマが獲れないのであれば、まずは固定費を削減して損益分岐点を下げるしかない」と。サンマを主軸にしつつ、何か新しいことも考えなければ、という程度の発想しかありませんでした。

父からすれば、自分が成功してきたやり方がすべてであり、素晴らしいものだという自負があったと思います。しかし、私自身は経営を続ける中で、日に日に「このままではダメだ」という危機感を募らせていきました。ビジネスモデルそのものを変えなければならないと本気で覚悟を決めるまで、社長に就任してから5年ほどの時間が必要でした。

── その5年間の葛藤を経て、どのような変革に踏み出したのでしょうか。

濱屋 大きく舵を切ったのは2020年です。それまでは、冷凍サンマや塩鮭といった、加工度の低い業務用商品を卸売市場に販売するBtoBビジネスが中心でした。これでは利益率も低く、原料の価格変動に経営が左右されすぎてしまう。そこで、消費者の皆さんに直接届くBtoCの商品開発に注力することにしたのです。

レトルト食品を製造できる設備はあったのですが、十分に活用できていませんでした。この設備を活かし、常温で保存できて、開けてすぐに食べられるレトルト煮付けシリーズを新たな事業の柱に据えようと決意しました。サンマに依存した大量生産モデルから、魚種を広げて質と価値を重視する戦略への転換です。

── BtoCへのシフトは簡単な道のりではなかったと思います。具体的にどのような戦略をとったのですか。

濱屋 まず、会社の知名度がほぼゼロの状態でしたから、それを高める必要がありました。そこで着手したのがSNS、特にX(旧Twitter)の活用です。

ただ、SNSで認知度が上がっても、商品を手に取ってもらう場所、つまり販路がなければ意味がありません。それまでの販路は水産問屋や卸売市場に限られていたため、まったく新しい販路を開拓する必要がありました。そこで、全国で開催される食品関連の展示会に積極的に出展するようにしたのです。ピーク時には、年間で40〜50ほどの展示会に参加しました。

この二つの戦略が、うまく噛み合ってくれました。SNSで当社のことや商品を知ってくれた方が増え、同時に展示会を通じてスーパーや小売店といった新たな取引先が着実に増えていったのです。SNSでの認知度向上と、リアルな場での販路開拓。この両輪を回し続けたことが、事業を回復させる大きな原動力になりました。

「魚離れ」の時代に挑む。100年を見据えた戦略

── 今後の事業拡大に向けた経営戦略について教えてください。

濱屋 引き続き、このレトルト煮付けシリーズをさらに伸ばしていきたいと考えています。今、日本では水揚げ量が減っているだけでなく、国内の魚の消費量自体もこの20年で半分近くまで落ち込んでいます。「魚離れ」が進む中で、水産業界全体が厳しい状況にあるのは事実です。

しかし、当社のレトルト製品は、常温で長期保存ができ、調理の手間なくすぐに食べられるという利便性があります。こうした特徴は、魚を食べたいけれど調理が面倒だと感じている方や、忙しい毎日を送る方々のニーズにこたえられるはずです。まだまだ掘り起こせる市場は大きいと信じています。

── その市場を掘り起こすために、どのような計画を立てていますか。

濱屋 これまでの展示会出展で販路はある程度開拓できました。次のステップは、そのお店で消費者の皆さんに実際に商品を買ってもらうことです。そのためには、まず一度、商品の味を知ってもらう機会を増やすことが不可欠だと考えています。

そこで、SNSでの発信は継続しつつ、お客様と直接コミュニケーションが取れる全国で開催されるイベントなどへの出展を強化しています。イベントで試食をしてもらい、商品の魅力や私たちの想いを直接伝える。こうした地道な活動を通じて、一人でも多くの方に「こんなに手軽で美味しいなら食べてみよう」と思ってもらうきっかけを作っていきたいと思っています。

次代へつなぐ想い「息子だから、ではない」

── 将来的な事業承継については、どのようにお考えですか。

濱屋 正直に言って、まだ何も考えていません。自分の子供に継がせようという気持ちはまったくないですね。私自身、父が大変そうに経営している姿を見て育ち、入社当時は会社を継ぎたいとは思っていませんでした。経営者というのは、大変な仕事です。

私が経験したように、時代が変わればビジネスモデルも変えなければならない。自分の子供に、同じような困難を乗り越える覚悟と能力があるかは分かりません。ですから、血縁にこだわるのではなく、この会社をしっかりと維持し、さらに発展させていける「本当にできる人」に任せたい。その想いが一番強いです。

── 自身の経験を踏まえてどんな心構えが必要だと感じますか。

濱屋 私自身が経験して痛感したことですが、過去の成功体験は、時として変化を妨げる固定観念になってしまうことがあります。しかし、ビジネスの世界に絶対的な「常識」は存在しません。1年前には非常識だと思われていたことが、1年後には常識になっている、ということなど日常茶飯事です。

何が起きるか分からないからこそ、頭を固くせず、常に柔軟な心でいることが大切なのではないでしょうか。

氏名
濱屋高男(はまや たかお)
社名
株式会社兼由
役職
代表取締役社長

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