ウェブメディア事業を手堅く運営していた株式会社オトナル。しかし同社は2019年、その事業を売却し、当時まだ黎明期にあったデジタル音声広告の市場へ参入する。私たちは日々、膨大な量の「見る」情報に囲まれて生きている。テキストを読み、動画を眺める。そんな視覚優位の時代に、なぜ彼らは「音」に事業の軸を移したのか。その独自の着眼点と、市場の開拓者として見据える「音の未来」とは──。
企業サイト:https://otonal.co.jp/
目次
スマートスピーカーの登場がもたらした事業転換の確信
── 創業から現在までの事業の変遷について教えてください。
八木氏(以下、敬称略) 我々は2013年に創業し、2018年まではウェブメディア事業を運営していました。自社メディアやオウンドメディアのご支援などを5年間手がけてきたのですが、2019年から現在の音声広告事業にピボットしました。
そのきっかけは、2018年に日本でスマートスピーカーが本格的に発売されたことでした。Amazon AlexaやGoogle Homeが登場したのを⾒て、「家庭にもう⼀度、⾳のデバイスが普及する」と直感したのです。テレビはあっても、家にラジオの専⽤機がある⼈は少ないですよね。スマートスピーカーが普及すれば、再び「⾳が主役の時代」が来ると感じました。
── ウェブメディア事業から音声事業へ、というのは大きな決断だったかと思います。当時、メディア事業も盛んだったと思いますが、何が背中を押したのでしょうか?
八木 実は、個人的な原体験も大きく影響しています。ちょうどそのころ⼦どもが⽣まれたのですが、育児をしていると何もできない時間があることに気づきました。パソコンのタイピングもままならない。そんなとき、唯⼀機能するのが「⽿」でした。
スマートスピーカーに話しかければインプットができますし、⾳声⼊⼒を使えばキーボードを打たずに仕事もできる。この「ながら時間」に価値を提供できるのは⾳のメディアだと確信したのです。スマートスピーカーの登場というテクノロジーの波と、⾃⾝の原体験、そしてアメリカではすでに⾳声広告市場が成⻑していたという事実。この3つが重なり、事業転換を決意しました。
── 技術的なつながりもあったのでしょうか?
八木 はい。ウェブメディアは、グノシーやスマートニュースのようなニュースアプリにRSSフィードという技術で記事を配信します。実はこれ、スマートスピーカーやポッドキャストにコンテンツを配信する技術とまったく同じなんです。当時から、例えば1,000⽂字の記事をAlexaに読み上げさせることは可能でした。つまり、我々がもつ活字メディアのノウハウは、すべて⾳声領域の事業に転用できる。そこに⼤きな可能性を感じました。
「音好き」が集まる専門家集団。模倣困難な強み
── 音声広告の領域で、御社がここまで成長を遂げられた要因や、事業ならではの強みはどこにあると分析していますか?
八木 端的に⾔えば「⾳声のことばかりやっているから」に尽きるのですが、もう少し言語化すると、当社の事業成長は2つの強みに支えられていると考えています。
⼀つは、⾳声広告に特化した独⾃のテクノロジーです。⾳声広告の市場は、ポッドキャスト、インターネットラジオのradiko、⾳楽ストリーミングサービスなど、プラットフォームが点在していて複雑です。我々は、それらの間に⽴って、さまざまなサービスを横断して広告配信ができる独⾃の技術やノウハウを保有しています。この複雑性が参⼊障壁となり、我々の強みになっています。
もう⼀つは、専⾨性の⾼い提案⼒や制作⼒です。先ほども⾔ったように、我々は⾳のことだけを追求してきました。動画のプロはたくさんいますが、⾳声広告のプロは国内にほとんどいません。
大手の広告代理店ですら、かつては存在したラジオ部⾨が縮⼩・統合されています。そんな中、我々は⾳声に特化し続けてきた。創業当初は「動画の時代になぜ⾳声を?」と不思議がられましたが、その選択が今、独⾃のポジションを築く根幹になっています。
── どのようなバックグラウンドをもつ方が集まっているのでしょうか?
八木 ラジオ、⾳楽、ポッドキャストなど、何かしら⾳に対する情熱がある⼈を採⽤しています。少し抽象的ですが、⼀番⼤切にしているのは「⾳が好きな⼈」であることです。
というのも、この領域は市場が新しいため、経験者が存在しません。「⾳声広告をやっていました」「⾳声アドテクを開発していました」という⼈はいないのです。
なので、社外にノウハウを求めるのではなく、社内に蓄積されたナレッジでプロフェッショナルに育成していく。結果として、他社には真似のできない事業を推進できる組織だと感じます。
目先の利益より市場創造を。パイオニアとしての哲学
── 経営者として、創業時から大切にされているこだわりや哲学があれば教えてください。
八木 アメリカではすでに1兆円規模の市場がありますが、我々が参⼊した当初、⽇本にデジタル⾳声広告の市場は存在しませんでした。だからこそ、⾃分たちが儲けることよりも市場を創造することを常に最優先してきました。
⽬先の利益を追求するのではなく、⾳声広告の価値を理解してくれる⼈を⼀⼈でも増やす。そのために、直接的な利益にはならなくても、⾃社でお⾦を出して市場調査レポートを作成し、無償で公開するといった活動を続けています。
そうして⾳の価値が世の中に正しく伝われば、巡り巡って我々に返ってくると信じているからです。市場を創り、そのリーダーになれば、結果は⾃ずとついてくる。そのような⾼い視座をもつようにしています。
── 競合となる企業は存在するのでしょうか?
八木 我々のビジネスモデルは少し特殊で、広告の販売と広告枠を掲載するメディアの開拓、両⽅を⼿がけています。海外のパートナーからも「どっちの会社なの?」と聞かれることがあるくらい、世界的に⾒ても珍しい存在です。
そのため、明確な⼀社を競合として挙げるのが難しい。広告販売の領域では広告代理店が競合にもなり得ますが、メディア開拓の領域で我々が作った独⾃の広告枠を、その代理店に買っていただくこともある。
⼀⽅で、メディア開拓側で一見競合となる会社の広告枠を、我々が販売するパートナーになることもある。このように、競合でありパートナーでもあるという、複雑な網⽬構造になっているのが特徴です。全⽅位で事業を展開しているからこそ、⽣まれるユニークな⽴ち位置ですね。
「沈黙の時代」の終わり。音声メディアの復権と成長性
──今後の音声市場の成長性については、どのように見ていますか?
八木 間違いなく、これからも⼤きく伸びていくと考えています。
スマートフォンが登場した2000年代後半以降、⼈々はデバイスをマナーモードにして、ウェブサイトやSNSといった「⾳のない」活字メディアを中⼼に情報を得ていました。いわば、インターネットは「沈黙の時代」だったのです。
しかし今、TikTokやYouTubeショートといった⾳ありきの動画コンテンツが主流になっています。また、テレビCM中にスマートフォンを操作する「ながら視聴」が当たり前になり、映像が⾒られていなくても、⾳で情報を伝える重要性が再認識されています。これまで⾳と無縁だったインターネットの世界に、再び⾳が戻ってきているのです。
── 巨大プラットフォーマーの動きも活発です。
八木 動画の巨⼈であるYouTubeが、ポッドキャストの配信に対応したり、⾳声主体の広告メニューを導⼊したりと、本格的に⾳声領域に参⼊し始めました。最強のプラットフォーマーが動いたことで、市場が拡⼤していくのは間違いないでしょう。
また、⽇本はもともと⾳楽市場がアメリカに次ぐ世界2位という「⾳好き」の⼟壌があります。アメリカのデジタル広告市場では「⾳声」は⼀つの独⽴したカテゴリーとして確⽴されていますが、⽇本ではまだその分類すらありません。これは裏を返せば、それだけ⽇本の市場に伸びしろがあるということです。
音声広告の枠を超え、「音の市場」そのものを創造する
── 広告という領域を超えて、オトナルは「音」を通じて、世の中をどのように変えていきたいと考えていますか?
八木 我々は「デジタル音声広告の発展を通じて音声市場を拡大する」というビジョンを掲げています。広告事業を軸に、より⼤きな「デジタル⾳声市場」を創造したいと考えています。誤解を恐れずにいうと、今後は広告という枠に縛られず、「聴く」という五感の⼀つを軸に、事業を広げていきたいと考えています。
具体的には、主⼒であるデジタル⾳声広告事業の⾜場を固めながら、横への展開を加速させていきます。それは⾳楽事業かもしれないし、イベント事業、あるいはナレーションスクールのような教育事業かもしれません。
最近では、M&Aや資本業務提携を視野に、事業シナジーを生み出せる領域のパートナーを探しています。ゆくゆくは、ラジオ局の運営にも関わっていきたいという意思もあります。ラジオ局なら、音声広告事業とのシナジーも大きく、またフェス等のようなイベントビジネスも仕掛けられる。
⾳はコミュニケーションの根幹です。我々は「⾳」の可能性を解放し、⼈と⼈、⼈とコンテンツをつなげるハブになることで、社会に新たな価値を提供していきたい。そう考えています。
- 氏名
- 八木太亮(やぎ たいすけ)
- 社名
- 株式会社オトナル
- 役職
- 代表取締役

