山口産業株式会社

炭鉱用テントから出発し、東日本大震災での需要拡大を機に全国展開を果たした山口産業。66歳の山口篤樹社長が掲げるのは、膜構造を「第4の素材」と位置づけ、陸上養殖や海外展開に挑む成長戦略だ。「できない」と言わず、営業から施工まで一貫対応する体制が競争力の源泉だ。

父の急逝で36歳で社長に就任し、借金を抱えながら組織を十数人から150人へと拡大。大阪・関西万博への出展で認知度を高め、2027年に売り上げ61億円、その先には100億円企業を見すえる。おごらない姿勢を貫き、次世代へ引き継ぐ土台づくりに挑む経営者の軌跡に迫った。

山口 篤樹(やまぐち  あつき)──代表取締役
1959年、佐賀県生まれ。専修大学卒業後、自動化機器メーカーの営業を経て1987年に山口産業株式会社に入社。1995年より現職。膜を「第4の素材」と位置づけ、事業領域を陸から海へと拡大するなど膜構造の可能性を追求し続けている。DXセレクション準グランプリや中小企業版SBT認証取得など、イノベーションとサステナビリティを推進し、2027年に売り上げ61億円、2029年に売り上げ80億円を目指す。
山口産業 株式会社
創業1972年、1976年12月設立の膜構造総合メーカー。膜構造建築物、各種産業資材の製造販売、建設業を展開。設計、製造、施⼯まで一貫した自社体制により、短納期・低コスト・高品質を実現。膜を「第4の素材」と位置づけ、「WRAP THE FUTURE」をビジョンに、陸上養殖への参入やGX/DX推進を通じ、社会課題の解決を目指している。
企業サイト:https://membry.jp/

目次

  1. サラリーマンから家業の社長へ
  2. 強みは「できない」と言わない姿勢
  3. 海外展開などやるべきことは多い。会社が成長しても「おごらない」

サラリーマンから家業の社長へ

── 現在までの事業の変遷について、社長就任以前も含めて教えてください。

山口 山口産業は創業1972年、設立は1976年です。私が社長になって30年になります。もともとは父が創業した会社で、創業当時は私は学生でしたので、事業についてはまったく考えていませんでした。その後、サラリーマンを経て、28歳頃に家業に戻りました。父が資材を扱う会社を営んでおり、それを手伝いながら配達なども行っていました。

その後、エネルギー革命により炭鉱が衰退していったため、現在の膜構造建築物の事業へと移行しました。私が36歳の時に父が亡くなり、社長に就任しました。現在66歳ですので、社長になって30年になります。

当初、膜構造建築への転換は、父が以前の会社で多少経験があったため、それほど難しいことではありませんでした。

しかし、当時は十数名程度の小規模な組織でしたので、現場作業、設計、営業など、すべてをオールマイティーにこなす必要がありました。その後、人数も増え、売り上げも向上し、現在に至っています。

── 炭鉱関連の事業から現在の膜構造建築へと、外部から見ると非常に大きな変化のように感じますが、うまく転換できたのですね。

山口 はい。もともとテントを使った送風管を作っていたため、生産設備自体は大きく変わらなかったのです。テントを作るという点では、大きな変化はありませんでした。ただし、鉄骨製作などが新たに加わったため、その部分は新しい人材を入れて対応しました。

── 十数人だった組織が、現在150人ほどまで拡大できた要因は何だと分析していますか?

山口 東日本大震災におけるがれき処理場など、様々な用途で、産業用膜構造建築の需要が高まったことが大きいです。

東日本大震災で膜構造が社会に貢献できることを再認識したことを機に、仙台に営業所を開設し、その後、需要に対応するために茨城に工場を建設しました。東京営業所も開設し、東京市場に対応できる体制を整えました。名古屋にも営業所を展開し、北九州と佐賀にあった拠点を全国に展開していきました。

── 社長就任前はサラリーマンだったとのことですが、社長として直面した壁や試練、そしてそれをどう乗り越えられたかを教えてください。

山口 私が家業に戻ったのは28歳頃で、父と一緒に仕事をしたのは10年弱です。その間に、事業内容を理解し、勉強させてもらいました。建築分野への転換にあたり、建築の知識が必要だと感じ、二級建築士の資格を取得するなど、建築の知識を深めました。

父が亡くなり、私が社長に就任したのは必然的な流れでしたが、当時、周囲からは「社長で大丈夫か?」という声も聞かれました。前社長が市場を開拓してきた人物であったのに対し、私は営業経験も浅く、何も知らない人間だと思われていたのでしょう。

さらに、私が社長になった直後に、現在の工場を建設・移転したばかりで、借金も抱えていました。土地購入や建物建設で1億円以上の借金があり、その返済もしていかなければなりませんでした。そういった状況で周囲から心配されるのは当然のことだったと思いますが、なんとか乗り越えられました。

仕事をする上で、多くの失敗も経験しました。特に社長になってからの仕事で難しかった点としては、がむしゃらにやってきたため、社長としての仕事で失敗したというよりは、仕事上の失敗が多かったように思います。

売り上げが落ち込んだ時期もありました。その際は、妻と一緒に福岡のデパートに赴き、「テントを使った防災用リュックを扱ってもらえませんか?」と営業したこともあります。また、運動会用のテントなどを近所の地域の方々に直接営業したこともありました。BtoBだった事業をBtoCでも展開するなど、何を売れば良いのか分からない状況もありましたが、そのようなことも経験しました。

── そのような状況から、事業が軌道に乗ってきたと感じられたのはいつ頃ですか?

山口 テント倉庫の事業を始めてから、この業界で大型膜構造建築を手掛ける企業は少ないということに気づきました。小規模なテント屋さんが当社に声をかけてくれるようになり、それをやり続けるうちに認知度が高まっていきました。

その後、組織が40名ほどの規模になった際に、いち早くISO9001を取得しました。当時、ISOを取得している企業は少なかったのですが、組織を強化する目的で挑戦しました。これにより、大手企業との取引が若干できるようになり、「ISOを持っているから信用できる」という形で注文をいただくことも増えました。竹中工務店様など、現在お取引のある大手企業様との関係も、その頃から築かれました。

強みは「できない」と言わない姿勢

── 市場の成長性や、他社と比較した場合の競争優位性はどう分析していますか?

山口 当社の強みは、お客様の要望に対して基本的に断らない姿勢です。「できません」とは言わず、検討し、ほぼ受けるようにしています。その挑戦する姿勢が技術力につながっていると考えています。

また、山口産業は営業から設計、製造、施工まで、すべてを一貫して自社で行います。テント製作だけでなく鉄骨製作も自社で行い、現場にも行きます。このように一貫して対応できる会社は業界でも珍しく、下請けに頼る場合と比べて、短納期・低コスト・高品質を実現できるメリットがあります。対応の早さも、お客様からの信用を得ている要因だと考えています。

── 社長が常に新しい物事に挑戦される姿勢は理解できますが、社員がその期待にこたえられているのはなぜでしょうか?

山口 会社の風土だと思います。厳しく指導しているわけではありませんが、皆、「やらなければならない」という意識を持っているようです。それを実行することで、面白い経験ができるという感覚もあるのではないでしょうか。

「できない」と言わないこと、そして最初から完璧を求めず、まずはやってみるという姿勢が、当社のスタンダードです。失敗はありますが、やったことのないことに挑戦するのですから、それも当然だと考えています。お客様も、簡単にできるものではないと理解した上で依頼してくださっているため、失敗しても「仕方ない」という側面もあります。

── マーケティング戦略について、現在注力していることや、今後考えている施策を教えてください。

山口 直近では大阪・関西万博への出展が、山口産業の認知度向上に大きく貢献しました。メディアにも取り上げられ、技術力も向上しました。万博で初めて手掛けるようなことも多く、会社としての体制も変化しました。

現在、今年10月に発表した2027年までの3カ年の中期経営計画を推進しています。約7割を占める産業用テントの売り上げを維持・向上させつつも、公共施設や農業といった分野に注力し、売上比率を高めていきたいと考えています。

公共施設分野では、ファブリックファサードという外装材のシェア拡大に注力しています。ファサードとは、建物の正面のことですが、ここにメッシュ状の膜素材を張り、建物に新たなデザイン性と機能性を付与する工法です。

一次産業分野では、畜舎や陸上養殖施設の建設に力を入れていきます。食料自給率向上に貢献するため、陸上養殖は今後必ず主力になると考えています。

営業面では、専門性のある人材を育成・導入し、プロジェクトを進める考えです。既存の産業用テントの業者やエンドユーザーとの接点も重要ですが、ブランド責任者を立て、浸透させることで、事業を広げていきます。防衛分野などにも専門性のある人材を配置し、売上向上を目指します。これらの施策は、数年かけて取り組んでいく計画です。

── 商品・サービスを今後どう磨く計画ですか?

山口 「MEMBRANE LAB.」(メンブレンラボ、注)という商品開発を担うプロジェクトで、膜の可能性で社会課題解決に貢献することをテーマに新しい商材の探索・開発を進めています。新たな商材をゼロから開発するのは難しいですが、お客様の要望はもちろん、現存する社会課題の探求から需要を把握し、商品化を目指していきます。

注:山口産業が50年以上の歴史の中で培ってきた技術と経験に異業種の知見を掛け合わせることで、これからの膜構造の可能性を追求するためのプロジェクト。MEMBRANE は「Membrane(膜)」と「Brilliant(輝かしい)」を組み合わせた造語。

たとえば、鉄骨と膜の組み合わせだけでなく、木材や竹と膜を組み合わせる要望もいただいています。これは、国産材の活用や放置竹林の有効活用など、地域課題や社会課題とつながっている部分があります。異業種とも連携し、これらの課題解決に挑戦していますが、事業化に至っていないことが課題です。MEMBRANE LAB.を通じて、事業化まで進めたいと考えています。

海外展開などやるべきことは多い。会社が成長しても「おごらない」

── 組織の強み、今後強化したい点や課題を教えてください。

山口 人材育成と新規雇用は、今後の重要な課題です。山口産業のこれからを担う若い管理職は増えてきましたが、売り上げ・利益をさらに伸ばすためには、より一層の人材育成が必要です。また、海外展開も視野に入れているため、海外での人材確保も真剣に取り組む必要があります。

現在、製造現場にはミャンマー人のリーダー職が、設計部門には優秀なベトナム人のスタッフが活躍しています。彼らが母国に帰ることも想定し、帰国後も山口産業の仕事に携わってもらえるような体制を構築する必要があります。優秀な人材を失わないために、現地法人設立なども視野に入れ、今から準備を進めていきます。

── 今後の投資先や資金調達の構想はいかがですか?

山口 現在は売り上げも順調に伸び、回収体制も改善しているため、資金繰りに苦労することはありません。

しかし、今後は設備投資の規模拡大や人材増加に伴い、より多くの資金が必要になるでしょう。M&Aで会社を売却する考えは一切なく、むしろ購入する側でありたいと考えています。山口産業を残しつつ、上場なども含めて、今後の資金調達方法を検討する必要があります。金利上昇なども考慮し、投資のタイミングを見極めることが重要です。

── 経営者としてのこだわりや、大切にされていることをお聞かせください。

山口 会社が大きくなるにつれて、おごりが出ないように常に注意しています。お客様に対して横柄な態度をとったり、「できません」と言ったりすることは絶対に避けたいと考えています。お客様を神様のように大切にする姿勢を忘れないようにしています。

時々、大手建設会社の現場監督など、勘違いしていると思われる方を見かけることがありますが、下請けであっても、仕事を共にする仲間への対応は丁寧に行うべきだと考えています。社員に対しても同様で、偉そうな態度は取らないように心がけています。

十数人規模の会社で社長をしていた頃は、社員から「怖い社長」と思われていたようですが、今は優しく接するようにしています。優しさの中に厳しさも持ちつつ、規模が大きくなるにつれて、接し方も変わってきました。

── 最後に今後の事業展望と、注目してほしい点をお願いします。

山口 人材確保、海外展開、新しい分野への挑戦、既存事業の伸長など、やるべきことは多岐にわたります。8~9年後には売り上げ100億円企業を目指しており、それを確実に達成することが目標です。私自身がその時まで代表取締役でない可能性も考慮し、次の世代に引き継げる土台を作りたいと考えています。

山口産業は、膜構造の可能性を追求し、9年後の売上100億円達成を目標としています。

売上追及だけでなく、「モノを作って終わりではない循環する社会の実現」に貢献するため取り組む「廃棄ZEROプロジェクト」では、年間約100トンに及ぶテント膜の廃棄物の削減を目指し、産学連携でファッションアイテムにアップサイクルする革新的な挑戦を推進しています。

また、DXセレクション2024で準グランプリを受賞したDX計画では、メタバース活用により、「山口産業メタバースCITY」で高精度の製品を仮想空間で体現し、顧客への訴求力向上と営業活動の効率化を図っています。これらの挑戦を通じ、社会課題を解決する「WRAP THE FUTURE」の実現を追求していきます。

氏名
山口 篤樹(やまぐち  あつき)
社名
山口産業 株式会社
役職
代表取締役

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