この記事は2026年7月10日に三菱UFJ信託銀行で公開された「不動産マーケットリサーチレポートvol.309『オフィス賃料急上昇の影で進む「空室消化の遅れ」』」を一部編集し、転載したものです。
目次
この記事の概要
• 低水準の空室率にもかかわらず、ダウンタイムが長期化傾向
• コスト前提の見直しに伴う移転判断の遅れが、ダウンタイムの長期化として顕在化
• 賃料上昇局面においては、意思決定の先送りがコスト増要因になり得る
低水準の空室率にもかかわらず、ダウンタイムが長期化傾向
現状の東京オフィス市場は、マクロ的には安定した需給環境にある。空室率は2%前後と低水準にとどまり、企業のオフィス需要は堅調と言える(図表1)。しかしながら、低い空室率が続くオフィス市場でこのところ目立つのが、ダウンタイムの長期化である。直近の推定ダウンタイムは約7ヵ月と、2026年に入って以降やや長期化している(図表2)。
本来、オフィス需給がひっ迫して空室率が低水準にある時期は、空室は短期間で消化されるのが一般的である。空室率が2%と相当低いにもかかわらずダウンタイムが長期化している現状は、単純な需給のミスマッチだけでは十分に説明できない。賃料をはじめとした環境変化のスピードに対してテナント側の意思決定(予算の再設定や代替物件の比較)が長期化していることや、空室の早期消化よりも高値での契約を優先する場合もあるといったオーナー側の動向を受け、成約に至るまでの調整期間が延びている可能性を示唆している。
また、ネット・アブソープションは直近で月平均5千坪程度のプラスであり、需要量自体が減少しているわけではない一方、その増加ペースは鈍化している(図表3)。こうした動きも、空室が成約するまでの期間が長期化している状況と整合的と言える。
空室消化の時間的調整は、景気後退局面におけるオフィス床の縮小とは異なる性質を有し、現在の市場を特徴付ける動きである。
大規模ビル主導で進む想定以上の賃料上昇
ダウンタイム長期化の主因の一つとして考えられるのは、賃料上昇の勢いがこのところ強いことである。平均想定賃料は直近で3.2万円/坪に近付き、前年比上昇率が10%超にまで高まるなど、想定を上回るペースで賃料上昇が加速している(図表4)。
賃料上昇の動きは特定のビルグレードに限定されたものではなく、市場全体に波及しているものの、特に注目すべきは大規模ビルの動きである。築年数と延床面積をもとに6分類したところ、築浅・大規模ビルの賃料水準は足元で5万円に迫る水準まで上昇しており、コロナ禍拡大前の2020年頃の水準を大きく上回っている(図表5)。さらに、築古・大規模ビルも4万円程度まで水準が切り上がっている。これは、大規模ビルの賃料上昇が単なる新築プレミアムにとどまらず、既存ビルでも共通していることを意味する。結果として、大規模ビルが賃料上昇のけん引役となり、オフィス市場全体の賃料相場を押し上げているとみられる。
なお、大規模ビルの賃料上昇が強い点については、過去のレポート<1>)でも指摘したところである。当時は、企業の拠点集約ニーズの拡大などを背景に大型床の需要が底堅く、賃料上昇の主要なドライバーとして機能していると分析された。今回のデータも、こうした動きが一過性のものではなく、継続的かつ構造的な現象として定着しつつあることを示している。
1:『オフィス賃料の上昇を牽引する周辺相場へのキャッチアップと大規模選好』、2025年9月10日付不動産マーケットリサーチレポート
オフィス賃料の大幅上昇が広域的に見られる
賃料上昇の広がりは、サブエリア別のデータからも確認される。
丸の内・大手町や日本橋・八重洲・京橋といった賃料水準の高いエリアでは、直近の平均想定賃料が2020年の水準を大きく上回っている(図表6)。これらのエリアでは、本社機能や金融機関の集積による強い立地優位性が維持されていることや、大規模再開発による高グレードビルの供給が継続していることが、賃料相場を押し上げる要因となっている。とりわけ大規模再開発の影響は大きく、新築・大規模ビルが設定する高額の賃料水準が、周辺の既存ビルにも波及する形でエリア全体の賃料水準を底上げしている。実際に、築20年程度のビルにおいて、従前に比べて坪2万円近い賃料単価の上昇も見受けられる。
一方で、賃料上昇は東京駅周辺のエリアにとどまらない。六本木では再開発や外資系企業の需要の取り込みにより、渋谷ではIT企業の集積等を背景に、賃料相場は上昇基調を辿っている。池袋や北品川・東品川などの都心5区周辺エリアにおいても、値ごろな賃料帯の空室が先んじて消化されたことも影響し、平均賃料は上向いている。各ビルの賃料水準を6ヵ月前と比較した図表7を見ても、ほぼすべてのエリアにおいて「上昇」の比率が高い。これは、賃料相場の改善傾向が局所的な現象ではなく、広域的であることを意味する。
コスト前提の見直しに伴う移転判断の遅れが、ダウンタイムの長期化として顕在化
オフィス需要自体は引き続き底堅いものの、広域にわたる急速な賃料上昇を受けて、企業側では新たな賃料水準を前提としたコストの見直しが不可欠となっている。その結果、予算の再設定や代替物件の比較検討に時間を要し、移転判断の遅れにつながっている。
加えて、移転に伴う工事費の上昇も意思決定のハードルを高めており、移転需要はあるものの成約に至らない状態が生じやすくなっている。特にコスト感度の高い企業では、従来の費用前提を踏まえた意思決定が難しくなり、条件交渉の長期化、ビルグレードやエリアの見直し、さらには移転の見送りといった対応も広がっている。コスト上振れによって、契約直前になって社内承認が得られず、オフィス戦略の方針を見直すことになった企業もある。
こうした動きの下、空室率は低水準にとどまり需給はひっ迫しているにもかかわらず、需給のマッチングに時間を要するケースが増加し、ダウンタイムの長期化として顕在化している。
賃料上昇局面においては、意思決定のタイミングが一層重要に
現在の東京オフィス市場は、需要は堅調で賃料も上昇局面にある一方、成約までの期間が長期化しているという、従来とは異なる動向を示している。その背景には、賃料上昇のスピードに対して企業側の意思決定が追い付かないといった事情があり、需給のマッチングを遅らせていると考えられる。さらに、中東情勢不安など外部環境の不透明感も意識されており、企業の投資判断や移転判断に対して一定の慎重姿勢がうかがえる。
このような環境下では、短期的に意思決定を先送りする動きが生じやすく、その結果として、空室消化までに時間を要する状況が足元のダウンタイムに反映されている可能性がある。一方で、賃料上昇が継続している現状を踏まえれば、判断を先送りする間に市場賃料がさらに上昇し、結果としてより高い賃料負担につながる可能性もあり、意思決定のタイミングが一層重要となる。
この状況に変化をもたらし得る要因として、賃料相場の上昇ペース、企業の賃料負担力の改善、外部環境の不確実性の低下などが挙げられる。賃料の上昇ペースに企業の賃料負担力が追い付き、マクロ経済の先行き不透明感が薄まれば、需給のマッチングは再び円滑に進み、ダウンタイムは短縮に向かうと考えられる。一方で、乖離が広がる場合には、現在のような状態がしばらく続くことも想定される。今後の市場分析においては、従来の空室率だけでなく、ダウンタイムという時間軸の指標の変化にも目を向ける必要があろう。