アースサポート株式会社

日本の在宅介護を黎明期から牽引してきた、アースサポート株式会社の森山典明代表取締役社長。もともとは空手のプロを目指していたが、50年以上前に目にした福祉施設の劣悪な実態に憤りを感じ、業界の改革を決意したと語る。

福祉の利潤追求がタブー視されていた時代に民間企業として参入し、布団丸洗い・乾燥事業や、看護師が同行する画期的な訪問入浴サービスを立ち上げた。現在では全国に事業を拡大し、重度要介護者を支える重要なインフラとなっている。

一方で、中山間地域でのサービス維持や人材不足といった深刻な課題にも直面。日本の福祉を変えるために戦い続けてきた森山氏に、在宅介護にかける思いを聞いた。

森山 典明(もりやま すけあき)──代表取締役社長
1951年、新潟県生まれ。1973年、日本初の民間在宅介護企業の設立に参加。1996年にアースサポート株式会社を創業、代表取締役社長就任。現在は一般社団法人日本在宅介護協会会長、川崎市福祉サービス協議会会長、介護保険サービス事業者調布連絡協議会会長、渋谷区地域福祉サービス事業者協議会副会長、ISO/TC314/WG8国内委員、東京都医師会委員他、多数の団体理事・委員を兼任している。
アースサポート株式会社
1996年、創業。在宅介護サービス企業。「生きがい支援」を理念に掲げ、主力の訪問入浴をはじめとする在宅介護サービスを中心に全25種類のサービスを北海道から沖縄まで全国に展開。 企業サイト:https://www.earthsupport.co.jp/

目次

  1. 劣悪な現場への憤りから福祉の世界に入る
  2. 布団の丸洗いやお風呂で要介護者の幸福感につなげる
  3. 巡回入浴サービスで重要な看護師の存在
  4. 「山間地でサービスできないかもしれない」在宅介護の現実
  5. 社会全体の持続のためフレイル予防に注力

劣悪な現場への憤りから福祉の世界に入る

── 森山社長はかつて空手のプロを目指していたそうですが、福祉の世界に関心を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

森山氏(以下、敬称略) 私はもともと、日本に武道大学を作るという大きな夢を持っていました。50年以上も前の話ですが、文部省(当時)に掛け合ったり、NHKの教育テレビで武道教育の必要性を訴えたりと、空手に明け暮れる日々を送っていました。

そんな折、ある先輩から「福祉の現場で働いている人がいるから、一度見てこい。人間が変わるかもしれんぞ」と紹介されたのが、すべての始まりです。

ところが、そこで目にしたのは当時の福祉の理不尽な実態でした。

紹介された施設は、いわゆる特別養護老人ホームでしたが、林の真ん中にある建物はボロボロで、部屋の中は異臭が漂う状況でした。スタッフも高齢の方ばかりでした。

私はあまりの惨状に驚き、施設長に詰め寄りました。「なぜこんなにおいの中で仕事をしているのか。もっと換気や掃除を徹底すべきではないか。なぜ若い人を入れないのか」と。しかし、返ってくるのは「無理だ」という言葉ばかりでした。

最後には「あなたは何のために来たのか」と問われました。私は「空手のプロを目指しており、福祉にはまったく興味がない。先輩にいわれたから渋々来ただけだ」と正直に答えたのです。すると「あなたには向いている仕事が(他に)あるから、お帰りください」といわれてしまいました。

── その悔しさが、福祉改革への原動力になったのですね。

森山 帰り道に猛烈に腹が立ちました。このままでは負ける気がしたのです。まずは3年から5年かけて、この福祉というものを改革してから空手の世界に戻ろうと決意しました。

しかし、役所に掛け合っても見放され、厚生省(当時)を紹介されるなど、前途多難なスタートでした。ここから、民間企業として福祉を変えるという私の戦いが始まったという経緯です。

── 厚生省(当時)へはアポイントなしで訪問したとか。

森山 当時は20歳そこそこで、空手とスキーに打ち込む体育会系でしたから、「アポイント」という言葉すら知りませんでした。いい加減な社会福祉法人を壊したい一心で、役所へ乗り込んだのです。

役所の人には注意されましたが、それでも食い下がると「邪魔だから霞が関に行け」といわれました。翌日、意気揚々と厚生省へ行くと、入り口の警備員に止められてしまいます。「アポイントはあるのか」と聞かれ、「何のポイントですか」と聞き返しました。約束が必要だといわれましたが、「役所から紹介されてきたんだ」と大騒ぎしたのです。

すると、奥から警備の責任者が出てきました。その責任者の方は「お前は元気いいな。俺の息子と同じくらいの年だが、なぜそんなに元気なんだ」と面白がってくれました。私が「いい加減な社会福祉法人を壊し、大改革するために来た」と伝えると、上につないでくれたのです。

── そこで出会った担当者の方が、株式会社による福祉参入のヒントをくれたのでしょうか?

森山 対応してくれたのは、入省したばかりの若い方でした。彼もまた、当時の封建的な福祉のあり方に疑問を抱いており、「株式会社として第一号でやってみたらどうだ」と提案してくれたのです。

当時は福祉を株式会社が運営するなど、日本では考えられないことでした。彼はコピー機で資料をプリントし、マーカーで重要な箇所を引いて「これを参考にしろ」と手渡してくれました。これが株式会社としての福祉事業の第一歩となりました。

── 空手の世界に戻る予定が、気づけば50年以上もこの業界にいるということですね。

森山 最初は5年で戻るつもりでしたが、名前が売れるにつれ、役所からも「逃げるのか」といわれるようになりました。「逃げるのは死ぬよりつらい」という思いで、今日まで続けてきたわけです。

当時は社会福祉法人をつくるには土地かお金が必要で、新潟出身の私の手元には何もありませんでした。やむなく株式会社をつくりましたが、利潤追求を目的とする株式会社への風当たりはきわめて強いものでした。

そこで私は考えました。「もっとも困っている人を助けるものであれば、対価を払ってもらえるはずだ」「他社に真似できない仕組みをつくり、若者を活用しよう」と。これは従来の福祉にはなかった発想です。

後にこの歩みは『常識への挑戦』という本になりました。ラジオ出演をきっかけに、著者の鶴巻康夫さんが「面白いから本にさせてくれ」といってくださったのです。

布団の丸洗いやお風呂で要介護者の幸福感につなげる

── 創業当初は布団の丸洗い乾燥サービスからスタートしたそうですね。

森山 はい。当時は在宅のお年寄りの家を回ると、失禁状態で布団がびしょびしょ、褥瘡(じょくそう)で骨が見えるほど苦しんでいる方がたくさんいました。「早く死にたい」という声を聞き、まずは布団をきれいにすべきだと考えました。

クリーニングに出すと1週間はかかりますが、代わりの布団がない家庭では使えません。そこで、朝預かって夕方届ける仕組みを布団乾燥車で実現しました。この事業は一気に全国へ広がりました。

── そこから訪問入浴サービスへと舵を切った経緯を教えてください。

森山 布団乾燥事業が普及し、そろそろ空手に戻ろうと考えていたとき、仲間に「次のことを考えてくれ」と引き止められました。そこで、都内の利用者4000人以上にアンケートを取ることにしたのです。

役所からは「予算が決まっているから余計な要望を増やすな」と反対されましたが、内緒で返信用封筒を入れて配りました。すると、翌日には役所から呼び出しがかかりました。

お年寄りの皆さんが、役所に内緒だといえばいうほど、民生委員などに「内緒のアンケートを書いた」と話してしまったのですね。役所の机の上には、大量のアンケート用紙が積み上げられていました。

── そのアンケート結果が、訪問入浴サービスの原点になったと。

森山 集計の結果、1位は健康不安、2位は孤独、そして3位が「死ぬ前にお風呂に入りたい」という切実な願いでした。当時、施設入浴はありましたが、寝たきりの方を外に連れ出すのは困難な家が多かったのです。

「だったら、家に浴槽を持ち込んでお風呂に入れてあげればいい」と考えました。これが現在の巡回入浴サービス(当時)の着想です。ただし、単にお風呂に入れるだけでは不十分だと感じていました。

そこで、アンケートで1位だった健康不安を解消するため、医師を同行させる仕組みを発案。しかし、医師会からは「医者を何だと思っているんだ」と猛反対を受けました。

そこで、医師の代わりに看護師を同行させることにしたのです。看護師が健康管理を行い、ヘルパーとオペレーターの3人チームで訪問する。この体制が、後に劇的な信頼を得ることにつながりました。

巡回入浴サービスで重要な看護師の存在

── 看護師の方々は、最初から協力的な姿勢だったのでしょうか?

森山 知り合いの看護師に相談したところ、「病院では医師の指示で動くしかないが、在宅で自分の責任でやれるなら挑戦したい」と喜んでくれました。彼女たちの存在が、サービスの質を飛躍的に高めました。

── 実際にサービスを開始して、お客様からはどのような反応がありましたか?

森山 驚くほどの感謝をいただきました。褥瘡の痛みがお風呂に入ることで軽減され、表情が劇的に変わるのです。家族からも「今まで死にたいといっていた人が、歌を歌い出すほど幸せそうになった」と涙ながらにいわれました。

訪問入浴を利用される方の多くは、要介護4や5の重度の方です。医療的ケアが必要な方も多く、1年で約半数の方が亡くなったり入院したりします。つまり、人生の最期を支える仕事なのです。

ご家族が「もっと何かしてあげられなかったか」と悔やむ中で、「最後にお風呂に入って満足して天国へ行けました」といっていただける。これこそが、家族にも代替できない訪問入浴の価値だと確信しています。

── 看護師の同行は、他社との大きな差別化にもなったのですね。

森山 当時は差別化のために始めましたが、結果として時代の最先端を行く形となりました。現在は在宅診療も増えていますが、重度の方を支える上で看護師の存在は不可欠です。

現在は看護師1人、ヘルパー1人、オペレーター1人の3人体制を基本としています。体重の重い方や介助が困難な方の場合は、4人体制でうかがうこともあります。安全と安心を担保することが、私たちの誇りです。

「山間地でサービスできないかもしれない」在宅介護の現実

── 現在は北海道から沖縄まで全国で事業を展開されています。全国展開にあたっての苦労も多かったのではないでしょうか?

森山 施設であればマニュアル通りに動かせますが、在宅は一件一件の家庭に伺います。どんなに教育しても、現場に出ればスタッフ一人ひとりの判断に委ねられます。その不安は常にありました。

しかし、都市部だけを対象にしていては、本当の福祉とはいえません。すべての人に公平公正にサービスを提供してこそ福祉であると考え、採算の厳しい地域も含めて全国展開を決断しました。

── 中山間地域など、収益の出にくいエリアでの運営はきわめて困難だと思います。

森山 正直に申し上げて、大変厳しい状況です。中小事業者は赤字になれば撤退せざるを得ません。だからこそ、大手が他のエリアで得た収益でカバーしながら、地域を支える必要があります。

しかし、現在は全体的に収益性が低下しており、統廃合を進めざるを得ない状況です。このまま進行すると、山間地からサービスが消えてしまいます。保険料を払っている国民に対して、きわめて不誠実なことだと思います。

── 国に対しても、現場の窮状を強く訴えていますね。

森山 はい。山間地域のサービス提供に関する委員も務めていますが、国は「山間地は大変だ」というばかりです。しかし、サービスを維持する仕組みをつくらなければ、介護保険制度そのものが成り立ちません。

都市部でも深刻な人手不足が続いています。山間地も都市部も、それぞれ異なる困難を抱えているのです。私は在宅介護の立場から、国に対して予算の適切な配分と制度の改善を強く求めています。

社会全体の持続のためフレイル予防に注力

── アースサポートが次の10年で果たしたい役割について教えてください。

森山 アースサポートは、あくまで在宅サービスを中心に据えた大手企業であり続けます。効率を求めれば施設運営に傾きがちですが、在宅で本当に困っている人を助けることが私たちの原点です。

今後は「フレイル予防」にも力を入れたいと考えています。要介護状態になる手前の段階で、栄養、運動、社会参加の三つを徹底することで、健康寿命を延ばせます。

── 健康寿命を延ばすことは、日本社会全体の大きな課題ですね。

森山 人口減少社会において、若者だけに負担してもらうわけにはいきません。高齢者自身が健康を維持することが不可欠です。フレイル予防は収益化が難しい分野ですが、認知症と同様に早期の対策が重要です。

「3ヵ月後には歩けなくなる可能性がある」ということが科学的に分かれば、家族も対策にお金をかけるでしょう。専門家と協力し、この仕組みを実現したいと考えています。