度重なるCEO交代劇の背景にあったもの

1999年Googleの人気は爆発し、増資が必要となった。しかしGoogleはまだ利益がゼロだったため、ペイジ氏とブリン氏は新たな投資家を探さなければいけず、最終的にシリコンバレーで最も名高いKPCB、セコイア・キャピタルの2社から2,500万ドル(約25億円)を調達した。

この時点のペイジ氏はまだ26歳。同氏のコミュニケーションスタイルに難色を示した投資家たちは、投資の条件として「大人の」監督者を雇うことを提示した。ペイジ氏はこの条件を一旦のんだが、2カ月後、一転して投資家の条件を拒否した。ペイジ氏・ブリン氏の2人で運営すると伝え、投資家側を動揺させる。

ひと悶着の後、投資家側は、プログラマー出身でソフトウェア開発会社NovellのCEO、エリック・シュミット氏を紹介し、Googleの会長として迎え入れるとした。

しかしGoogleが成長するにつれ、エンジニアとプロジェクト・マネージャーによる「階層」組織をペイジ氏は嫌い、製品部門担当の社長となってからはわが道を進むようになった。これを見かねたシュミット氏が同氏と話し合いを続けた結果、2001年からシュミット氏がCEOとしてGoogleを監督することになった。

シュミット氏がCEOに就任してから数年で、Googleは巨大なグローバル企業に変貌を遂げた。ペイジ氏はGoogleから追い出されることこそなかったものの、シュミット氏はいつでもペイジ氏とブリン氏の話し合いの中心に立ち、役員チームを雇い、販売力を上げ、Googleを大きな会社へ育てあげていった。

当初は新たな「階層」に不満を抱いていたペイジ氏だったが、次第にシュミット氏の力を評価するようになり、同時に自身はどんどん裏方へと回るようになる。しかしますます大規模に成長するGoogleの官僚化された職務がエンジニアたちを苦しめだすと、ペイジ氏は会社のあり方について疑問を感じ始める。

シュミット氏・ブリン氏も同席した2010年秋のプロダクトレビューにて同氏は、「我々は何億もの人々が抱える大きな問題を解決するため、Android・Gmail・Googleマップ・Google検索のように技術を盛り込んだプロダクトを生み出している。これこそが我々の仕事で、人々の生活に欠かせないものを作っている。しかしこのプロダクトはそうじゃない」と発言し、これによりシュミット氏は退任し、ペイジ氏へCEOの席を譲った。

後にシュミット氏は自身のツイッターに「大人の監督者はもはや必要なかった」とつぶやいている。


返り咲いたペイジCEOがめざす「検索の次」とは?

ペイジ氏がGoogleのCEOに返り咲いて今年で4年目。株価は1株あたり500ドル(約6万円)を超え、年間収益が1000億ドル(約12兆円)を越えるのも、そう遠い日のことではないだろう。

ペイジ氏は、2014年7月にベンチャーキャピタルのKhosla Ventures主催のイベントで、次のように話している。

「今後の何年かで最も大切なのはAndroidだ。我々は、いまだにコンピューターの性能がよくないと思っている。人々はスマートフォンの画面をタッチ・スクロールして情報を探すが、コンピュータから得られる情報と、情報を得るのにかかる時間が釣り合っていない (中略)。我々の目標は、こういった問題を完全に解決することだ」。

ペイジ氏はすでに「検索の次にGoogleは何ができるか」を模索している。

(ZUU online 編集部)

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