20150615121328_top.morikawa

(この記事は6月15日に「 アナザーライフ 」に掲載されたものです。)

2015年3月にLINE株式会社の代表を退き、同4月より「動画ファッション雑誌」という分野で新しい挑戦を行う森川さん。エンターテイメント・IT・グローバルを軸に、テレビ局や電機メーカー・デジタルベンチャーで幅広く活躍をしながらも、48歳のタイミングで抱いた危機感。再スタートの背景にある「日本を元気にしたい」という思いとは?お話を伺いました。


エンターテイメントはコンピューターの時代になる

私は神奈川県川崎市に生まれ、小さい頃から音楽が好きな少年でした。中でも歌うことが特に好きだったため、小学生になると、親から「向いていそうだから受けてみたら?」と言われてオーディションを経て合唱団で活動を行うようになりました。

その合唱団はいわゆる合唱曲だけでなく、ロック風のアレンジで歌ってみたり、ミュージシャンのバックコーラスを務めたりすることもあり、その活動を通じてそれまで以上に音楽が好きになっていきました。ピンクレディさんや五木ひろしさんのコーラスも務める機会もありましたね。

そして、次第に歌だけでなく楽器にも関心を抱くようになり、ドラムを叩き始め、中学高校では仲間とバンドを始めるようにもなったんです。しかし、ちょうど同じタイミングで、シンセサイザーの進化を筆頭に、音楽にもコンピューターの波が来始めました。自動でドラムパートの演奏を行うドラムマシンを初めて見た時は、「ドラムを叩く人が必要なくなってしまう」と衝撃を受けました。きっと、音楽以外の色々な分野にも普及していき、今後エンターテイメントはコンピューターの時代になると感じたんです。

そんな背景から、コンピューターに関心を持ち、大学からは筑波大学で情報工学を専攻することに決めました。ただ、大学生になってからはバンド活動により一層力を入れていたため、毎日音楽に打ち込む日々でしたね。コンピューターに関心を持って入学しながらも、実際に触れてみるとあまり好きになれなかったこともあり、あまり授業にも出ず、いやいやコーディングをするような学生生活を過ごしました。(笑)

そして、就職活動の時期を迎えると、これまでの経験からもエンターテイメントの仕事がしたいと考えていました。その中でも特に、音楽とコンピューターを融合するような仕事ができたらと考えていたんです。

すると、たまたま学校に行った日に学内で日本テレビのセミナーの告知があったので、遊び半分で参加してみることにしました。「実家方面に近いし、行ってみようかな」というくらいの感覚でしたが、ありがたいことに内定をいただくことができたんです。他には就職活動をしていなかったこともあり、そのまま日本テレビに就職することに決めました。正直、すごく考えて選択した訳ではありませんでしたね。

実際に入社してからは、元々の希望通り、音楽番組を担当してミキサーの仕事がしたいと考えていました。自分自身に馴染みがあり、興味のある分野で仕事ができたらと思ったんです。

ところが、実際に配属されたのは社内のIT機能を担う部署。裏方でシステム開発を行う仕事に就くことになりました。正直、IT単体に関心が合った訳ではなかったので、あまり前向きになれませんでした。周りからもやや同情されるような感覚で、モヤモヤを抱えたまま社会人生活が始まったんです。