LINEが越えたグローバル展開の壁

入社した直後は、何もやることが決まらないまま1ヶ月が過ぎてしまいました。「まずは、ゲームをやっていて」と言われていたので、ずっとゲームをしていたのですが、さすがに辛くなって来て、自らそれまでのネットワークを通じてアライアンスに動いたり、新規顧客の獲得施策を考えたりするようになりました。

すると、ある日、全社のミーティングで突然、事業責任者に指名されたんです。私自身が驚いたのはもちろん、周りでも外から来た人間がそれまでの順番も抜かして責任者になることに、「えー・・・」というような反応でした。しかし、その反応に対し、「毎月事業責任者が変わっているんだから、ダメなら変わればいいんじゃないか」と告げられ、周りも多少は納得したような雰囲気でした。それまでとの環境との変化に、本当に衝撃を受けましたね。

そして、実際に事業部長になってからは、幸いにも数字は好調に伸びていっていました。創業メンバーでなく、ゲームにも詳しくないのに責任者を務めているということで、依然周囲からの反発もありましたが、なんとか事業は成長を続けていました。

ところが、ある時、大きなシステム障害が起こってしまい、1週間程サービスを停止せざるを得なくなってしまったんです。本当に大きな危機でしたが、「なんとかしなければいけない」という一心でようやくサービスが復活すると、チーム全体の雰囲気が変わったような感覚がありました。それまで以上に仲間意識を感じるようになり、再び数字も好転していったんです。

その後、会社の合併等を経て、それまでの功績が評価され、2007年からは代表取締役を務めるようになりました。そして、2011年6月、命運をかけた勝負としてリリースした「LINE」が1年半でユーザー1億人を突破する急成長を遂げたんです。社員は多国籍だったものの、それまでの事業のターゲットは国内、日本人が使うことが中心だったのですが、LINEはその壁を大きく越える経験となりました。それまでずっと考えていた、本当の意味でのグローバル展開を成し遂げるサービスとなったんです。

ただ、私自身は、既に現場からは離れていました。ゲーム事業の時代は中身まで自分で決めていたのですが、2008年に原宿に無料のカフェを出す施策を行って失敗して以来、「自分の感性は先を行き過ぎる」というような感覚があったんです。それからは現場の支援やエンパワメントに周り、社長として、自らの意志よりも会社の成功のためにマネジメントに力を注ぐようにしていました。

その後もLINEは順調に成長をしていき、それまでに無い全く新しいプラットフォーム展開を行うフェーズに到達しました。