グローバル展開への思いと32歳の転職

ただ、部署内の上司からは「一通り仕事を覚えないと部署から卒業はできない」と言われていたため、早く他の仕事をするためにも、システム開発の勉強に力を入れるようになりました。財務システムの開発や、報道のデジタル化の一環として、選挙の出口調査の電子化を行うプロジェクトに携わり、開発の要件を決めて、開発会社を選定し、実際に運用まで行うという、一通りのプロセス全てに参加しました。

すると、いくつかプロジェクトを担当していくうちに、次第に部署の中核を担わせてもらえるようになっていったんです。それどころか、自分より後に入った後輩が先に異動することもあり、結局その部署で仕事を続けることになりました。

そんな状況に、話が違うなとは思いながらも、経験を積むことで仕事に楽しさも感じるようになっていたんです。ITの領域は変化が早いからこそ、最先端技術に触れながらものづくりを行うことに非常にやりがいを感じていました。ぼんやりとですが、「新しいものを生み出し、世の中を喜ばせたい」と思うようになったんです。

しかし、次に携わった視聴率の計測システム開発の大きな仕事が一段落着くと、そろそろさすがにエンターテイメントの仕事がしたいと考えるようになりました。そこで、ITの部署で6年程働いたタイミングで、「社内でできないのであれば」と転職を考え会社に辞表を出すと、引き止められて新規事業を立ち上げる部署に異動することになったんです。

新しい部署ではネット事業に始まり、映像配信やモバイル領域など多数の新規事業立ち上げに携わることができました。また、自社の番組を海外にも配信する国際放送の事業にも携わっていたため、欧米を中心に海外に出張に行かせてもらう機会も増えていきました。

そして、アメリカやイギリス・ドイツのテレビ局を訪れると、コンテンツに国境が無くなっていることを痛感したんです。特に、衛星放送が発達した欧米では、国を越えての放送が盛んに行われていました。それを見て、「日本もいずれ必ずそうなるだろうな」という感覚を抱きましたね。ちょうど並行で通い始めた大学院でも、修士論文のテーマをコンテンツのグローバル展開とし、どんどん関心を強めていきました。

ところが、「グローバルで通用する番組をつくらなければ」という思いとは裏腹に、日本のテレビ局は地上派が中心に視聴され、収益の中心となっていたため、現時点のビジネスモデルでは、すぐに取り組めない葛藤がありました。

そこで、もう少し多角的にグローバル展開を出来る会社に行きたいと考えるようになり、32歳のタイミングで、「デジタルコンテンツをネットワークで結びつける」という方向に舵を切ろうとしていたソニーに転職することを決めました。年収はそれまでの半分になるような転職でしたが、務めていた環境と自らが進みたい方向が異なっていたため、飛び込むことに迷いは無かったですね。