お金のデザイン,THEO,ロボアドバイザー
(写真=FinTech online編集部)

2016年2月、「10万円から始められるグローバル資産運用」をうたうサービス"THEO(テオ)" をリリースしたお金のデザイン。同社で人事を担当するHead of People Operation茅根哲也氏は、昨年の入社以前の約10年間、Googleに在籍していた。

今でこそGoogle東京オフィスは既に1000人ほどの規模というが、茅根氏が入社した当時はまだ数十人だった。まさに今同じくスタートアップの「お金のデザイン」に転じ、成長・拡大を支える人材の獲得に奔走する茅根氏に、同社での仕事や採用についてうかがった。

Googleを人気の職場に

もともと人材紹介会社に6年在籍し、IT業界の担当をしていたという茅根氏。2005年にGoogleに日本初の人事系スタッフとして入社。そのミッションは、トップエンジニアを集め、「東京に最高のエンジニアリングオフィスを作ること」だったという。

当時エンジニアは9人、今では想像もつかないが、まだとても小さいエンジニアリングチームだった。茅根氏は後にアジア数カ国の技術者採用チームでマネージャーになり、日本のみならず中国と韓国と台湾、シンガポールなどでの採用も手がけた。昨年の退社時点では、東京オフィスのエンジニア組織は200人以上にまでなっていたし、アメリカや海外のオフィスに移動したエンジニアも含めれば東京で採用した数はもっと多いという。

お金のデザインに入ったのは2015年9月、同じくGoogle出身の馬場康次氏(CMO)からの誘いだった。茅根氏はGoogleの退社理由について、「Googleは間違いなく素晴らしい会社です。ただ僕が入った10年前は東京オフィス全体で50人くらいしかいなくて、一人いなくなったら本当に困るという感じだったのが、辞める頃には1000人規模になっていました。それで10年前のインテンシティ(集中力)を持って同じようにやり続けるのはなかなか……」と複雑な胸中を明かした。

だが組織が大きくなったことが直接の退社理由ではない。企業が成長すればやれることも増える。最大の理由は、「日本でももっと人材の流動性が高まらなければ」という危機感だった。

「たとえばシリコンバレーでは、GoogleやFacebookに限らず、Square、Palantirなど数えきれないほどのIT企業やスタートアップがあって、人材が流動しイノベーションを起こしています。そこでは、Googleの最高の雇用者としての地位は安泰というわけでは全くありません。しかし、『日本にも素晴らしいベンチャー企業がたくさんあるのに、どうして日本はそうならないのかな?』と考えたんです。たとえばGoogleのような、給料もいい、カルチャーも素晴らしい大企業を辞めて次に踏み出すということを考えた時、躊躇する人が多いと思うんです。僕自身はすごい会社、面白い会社、世界で勝負できるような会社がもっと日本に増えたら日本はずっと面白く素晴らしくなるのではという想いがありました。それで起業を考えました」

そしてスタートアップを人事の面から支援するビジネスをしようと会社立ち上げを準備していたところ、馬場氏から誘いを受けた。起業の予定を翻して入社を決めた理由については、(お金のデザインが)やろうとしているのがGoogleと同じく、「自分が欲しいと思う世の中に必要とされるサービスを作ろうとしていたから」という。

「自分では大して資産運用をしていませんでしたが、少子高齢化が進んでいたり、日本円も対ドルで安くなったりと、このままで資産が守れるのかという不安があった。でも世界分散投資をしっかりやろうと思ったら勉強も必要だし、でも自分の仕事も忙しいしで大変。そこを(ロボアドバイザーが)やってくれたらほんとにいいなと思いました。自分が欲しいサービスをこの会社は作ろうとしているなと。また、馬場が引きあわせてくれた、お金のデザインの共同創業者である谷家 衛の「世の中の人々がお金の心配をせず、思いっきり自分の人生を生きることができる世界を作る企業にしたい」との思いに共鳴し、『中途半端に外部からの支援という形で関わっている場合じゃないな』とも思っていました。、そこに、ちょうど正式に組織と文化を作るポジションで誘ってもらったのでジョインすることにしました」

入社してまずやったことは、全員と話すことだった。「まずはとにかく理解しようとしました。会社が何をやりたいのか、みんなが何を考えているのか、どういう方向に進もうとしているのか。当時は10人ちょっとだったので、全員と話しました。これは、テクノロジー業界から来た僕にとって金融を少しでも理解し、社内の人間関係を築き、技術と金融が融合した会社を作る試みをする上で絶対に必要なプロセスでした。そして、次に全社員で取り組んだのは、自分たちにとって何が大切かを話し合い、「私たちが大切に思うこと」をつくることでした。」