クラウド人事労務ソフトSmartHRの利用企業数が、今年2月、1万社を突破した。2015年11月のサービス開始から、わずか2年3カ月での快挙だ。その名前を、テレビや口コミなどで知った人も多いだろう。なぜ、これほど急速に利用企業を増やすことができたのか? 〔株〕SmartHRの宮田昇始CEOに取材した。
ヒントは自身の闘病経験から。約200社にヒアリングして開発
――これまでの成長を、どう見ていますか?
宮田 思っていた以上に、順調に伸びていますね。
――その理由はなんだと?
宮田 まず、選んだジャンルがすごくよかったと思います。
たとえば、会計のジャンルを選んで給与計算ソフトを作っても、それほど売れなかったでしょう。既にたくさんのソフトウェアが存在しているからです。でも、人事労務は、たまたま市場が空いていたジャンルだったのです。
社会保険手続きや年末調整、雇用契約の締結などは、昔ながらのワークフローが今も残っていて、ペーパーワークがたくさんあります。煩雑な書類に手で記入して、郵送したり、役所に直接持っていったり、ということをしているわけです。特に人事労務担当の方にとっては面倒で手間のかかる作業ですが、従業員のために避けては通れません。
ところが、SmartHRを使えば、労務手続きや労務管理がオンライン上で簡単にできてしまう。それで、多くの企業様に使っていただいているのだと思います。
これまでになかったソリューションなので、機能を知り、お試しいただけると、多くの企業様に導入を決めていただけているような状態です。
――積極的に営業活動をしているわけではない?
宮田 B to Bのビジネスだと、営業マンが新規のお客様に電話をかける「アウトバウンド営業」が一般的だと思いますが、我々は今のところやっていません。展示会に出展したり、広告を見てお問い合わせをいただいたお客様にご案内したりはしています。
――先ほど、「たまたま人事労務ジャンルの市場が空いていた」といわれましたが、他の企業が参入しなかったということは、参入が難しいジャンルだということではないのですか?
宮田 課題が根深く、専門知識も必要なので、手が出しづらい領域だとは思います。
また、クラウド型のソフトウェアが登場するまでは、中小企業のコストに見合うソフトが作れなかったことも、市場が空いていた理由だと思います。
正確には、SmartHRに先行するソフトがまったくなかったわけではなくて、複数の企業を顧客に持つ社会保険労務士向けには、何十万~何百万円もするパッケージソフトがありました。でも、価格や細かい機能の面で、企業にはマッチしていないのです。
では、社労士向けのソフトを作っている開発会社が、企業向けの開発にシフトするかといえば、なかなか難しい。社労士の仕事を奪うと見られたり、開発理念が定まらなかったりするでしょう。
新たにベンチャーが参入しなかったのは、人事労務の業務が見えにくく、実は困っている、という企業が多いということに気づかなかったからではないでしょうか。
会計だと、会社を立ち上げてすぐに管理しなければならず、会社が大きくなっても経営に近い部門なので、大変な仕事だということは、みんな気がつくんです。そこで、「会計を管理できる便利なソフトを開発しよう」という起業家は、けっこう多いように感じます。
一方で、社会保険手続きについては、会社が軌道に乗り、社員を雇うタイミングになって気がつくケースがほとんどです。つまり、会社が順調に伸びてきてから、その大変さに気がつく。その段階になってから、「社会保険手続きを簡単にできるサービスを開発しよう」と路線変更をすることは難しいわけです。
さらに我々にとって幸運だったのは、SmartHRの開発を開始した時期に、国が運営する電子政府「e-Gov」がAPIを開放したことです。これによって、我々のようなベンダーが国のシステムとダイレクトに繋がり、役所へのオンライン申請が可能なシステムの開発ができるようになりました。
それまでは、従業員の方々の情報を集めて自動で書類を作るところまでしかできなかったのが、役所へのオンライン申請までできるようになったことで、企業に導入を検討していただけるレベルに達したのだと思います。
――他のベンチャーが気づけなかった「人事労務の仕事が面倒で大変だ」という課題に気づけたのは、なぜですか?
宮田 SmartHRのサービスを開始する9カ月前、2015年2月に、きっかけとなる出来事がありました。当時、妊娠中の妻が、自宅で自分の産休・育休の手続きをしているのを目撃したんです。本来なら会社がやるべき仕事を、会社がやってくれなくて、従業員が自分自身でやっていたんですよね。
「こういう状態の中小企業は、世の中にたくさんあるんじゃないかな」と、そのときに思いました。
それから、サービスを公開するまでに約200社にヒアリングをしたところ、やはり手続きの煩雑さに困っている企業が多く、それを解決するソリューションも世の中にないことがわかりました。
さらに、それ以前から、私は社会保険に関心があったんです。というのは、6年ほど前にハント症候群という珍しい病気になったことがあるからです。顔面が麻痺したり、耳が聞こえなくなったり、味覚がなくなったりして、車イス生活を送っていた時期もあります。
2カ月間ほどまったく働けない期間があったのですが、そのとき、傷病手当金を受給できたおかげで、リハビリに専念できました。
傷病手当金は社会保険制度の一つなので、社会保険制度に興味を持ち、調べたことがあったのです。
――開発の時点では、人事労務の専門的な知識はなかった?
宮田 ありませんでした。専門書を読んだり、実際に、いつ、どんな時に困っているのかを企業にヒアリングしたりしながら開発しました。ヒアリングで課題を引き出すうえでは、アイデアを形にしていくWebディレクターの経験が活きたかもしれません。