第4章 合理的だという自意識過剰。「行動ファイナンス」で損失は減らせるか
<第2話>損失を減らしたいから、リスクをとる。その心は?
「君、いろいろと会社に不満があるようだけど、転職を考えたことがありますか?」
先生のおもむろな問いに、隆一は、たじろいだ。
「いやそりゃ、辞めたいと思ったことは何度もありますけど」
「君の就職相談に乗るわけではないので、あくまで例え話として聞いてください。仮に、今の会社より少し条件のよさそうな会社が、君のような営業マンを中途採用で募集していたといましょう」
どんな話になるのかわからず、隆一は、ともかく「はぁ」と、生返事をした。
「誰しも今の会社に不満があったら、今の会社にとどまるべきか、思い切って転職して新天地でがんばるか、迷うと思います。でも、仕事も慣れ、人脈もある、今の会社にいたほうがやっぱりいいのか、あるいは、チャンスのありそうな新たな会社の方がいい結果になるのか、将来はわりませんよね。『隣の芝生は青く見える』ということで、転職先が青く見えているだけかもしれません」
「そうですね」
まだ、隆一は、先生が何を言いたいのか、わからない。
「君だったら、どちらの選択をしますか? もちろん、実際には、転職先での処遇や社風などの情報がないと決められませんが、これはあくまで、今いったような限られた情報で、どちらの選択をするのかという性格診断みたいなものです。だから、気軽に答えてください」
気軽に、と言われたので、隆一はすぐ
「そうですね。やっぱり、もう少し、今の会社で我慢するのかな」と、答えた。
「なるほど。これは、あなたが不確実な将来に対して、どのような選択をするのか、という心理的傾向を測る質問です。『リストラされた訳じゃないのに、わざわざ転職しなくとも』という選択もあるのに転職してしまい、結果は失敗だった、というときの後悔は少なくないでしょう。意思決定をする前に、『後悔するんじゃないか?』と、悪い方の予測が頭に浮かんでくる人は、転職というリスクを回避しようと行動します。そういう人は、リスク回避型のタイプです。逆に、『今、転職しなかったら後で後悔するんじゃないか?』と、考える人は、転職してチャンスをつかもうとするでしょう。そういう人は、リスク選好型のタイプと見ることができるかもしれません」
隆一は、そんなつもりもないけどな、という表情だ。
100%で25万円。50%で50万円。仕事するならどっち?
先生はそんな訝しげな隆一の反応を見て続けた。
「ではたとえば、『Aという仕事では確実に25万円もらえる』『Bという仕事では50%の確率で50万円もらえる』という選択を迫られた時、どちらを選びますか」
「そりゃ、Aですよ。だって、Bだと、せっかく仕事をしても、半分の確率で何にも得られないじゃないですか。やっぱり、確実にもらえる方がいいですよ」
「そうですね。多くの人は、Aの仕事を選ぶかもしれません。でも、期待収益額を計算すれば、どちらも25万円で同じです。ではなぜ、多くの人がAを選ぶのかといえば、Bの方は、何ももらえないというリスクがあるからですよね」
「それは、嫌ですよ、みんな」
「実は、この質問、Aが20万円、Bが50%の確率で50万円と、若干、Bの方の期待収益額が多くした場合(Bの期待収益額は25万円でAより5万円多い)でも、Aの仕事を選ぶ人が多くいることがわかっています。もちろん、リスク選好度は人にもよりますよ。ギャンブル好きの人は、Bを選ぶというようにね。でも、君はAを選ぶタイプ。確実に儲かる方がいい、といって、期待収益額の高い投資Bを選ばないのは、『損失回避』タイプだということです。別の言い方をすると、『確実性効果』といって、無意識に0%や100%など、確実性の高い選択の方が望ましい、という心理が働くということです」
「そう言われてみれば、そういうタイプかもしれません」と、隆一は頷く。
「『プロスペクト理論』という理論があります。人は<利益を得られる場面ではリスクを回避して確実に手に入れる>選択をし、<損失をこうむる場面では損失を回避するようにリスクをとってしまう>心理的傾向がある、ということも知られています。さっきは、『Aという仕事では確実に25万円もらえる』『Bという仕事では50%の確率で50万円もらえる』という、儲かる方の質問だったけど、同じ人に『Aというクジでは確実に1万円損する』が、『Bというクジでは50%の確率で損はしないけど、50%の確率で2万円損する』という、損する方の選択だと、今度は同じ人がBを選んだりします。確実に損するのは、みんな嫌がるのでしょうね。君はどうですか。Bを選びそうですね」
同じ1万円。利益への期待よりも、損失への不安が大きくなる?
「ええ、そうすると思います」
意図がいまだにつかめない隆一は不満そうだ。そんな表情をみて先生は少し愉快そうだ。
「こんな話をしたのは、人は、同額のおカネだったら、利益から得られる満足より、損失で受ける苦痛の方が大きい。だから、損失を利益より大きく評価してしまう、という心理傾向を伝えたかったからです」
「当たり前な気がしますよ。でも、それがどうしたんですか? 別に、悪いことでもないと思いますが」
「もちろん、人柄や好みの善し悪しを言っているのではありません。ただ、自分がどういう心理で選択をしているのか、は知っておかねばなりません。投資では、君のようなタイプの人が陥りやすい罠があるからです」
どうやら、ここからが本題のようだ、と隆一は椅子に座りなおした。
「自分が『損失回避』を優先する行動をとりやすいのなら、投資において、どういうことに気を付けないといけないのか。たとえば、そういう人は、
〇損を嫌いますから、株価が下がっても、あらかじめ決めた通りに損切りができません。決めた通り損切りができないのは、損失が現実になるのが嫌だからです。
〇値上がりした場合、タイミングよく利益確定の売りができません。利益確定売りができないのは、今売ったら儲け損なうのでは、という心理が働くからです。
そういうことに注意しないと、得るべき利益が小さくなったり、大損したりします」
隆一は、「ああ、おれのことね、やりがちだ」と、先生が何を言いたかったのか、やっとわかりはじめた。
長期投資なのに、底値で買いたい、という矛盾
「そして、損を実際のものとして目の前に現れると、これまた危ない。人は誰しも損を抱えると合理的な判断が鈍るからです。他人の損害には冷静でいられても、自分の損害には冷静でいられないのが、普通の人です。だから、自分が損を抱えると、非合理的な投資行動に走ってしまうことがあります」
「たしかに、損は、誰でも嫌でしょうね」
隆一は、自分のことを「誰でも」と言った。
「ええ、でも、心のメカニズムを知っていれば、防ぎやすくなります。投資の初心者に、よくあるケースですが、長期投資のつもりで投資を始めたら、
〇購入時の価格を下回って元本割れをしてしまった。慌てて売ってしまったら、今度は値上がりして、損失だけが残った。
こんな経験です。こうした失敗をするのは、利益への期待が、思いもよらぬ損失という結果となったことで、冷静な判断できなくなるからです。投資では、株価が底値の時に買いたい、と誰もが思います。でも、底値かどうかは、後でないと誰もわかりません。でも、長期投資のつもりで始めたのであれば、合理的に考えれば、底値で買えなかったことは、慌てて売る理由にはならないはずです」
「確かに、自分に都合よくないと、あわてるのか。メンタルだな」
損を取り返そうとして、より大きなリスクを取る
「ふむ。損失によって生じる心理効果は、他にもあります。相場には『損して休むは上の上』という格言があります。損を出した後に、『何とか取り戻そう』という気持ちになるのを、いましめる経験則です。損を取り戻そうとはやる気持ちになったら、冷静になるまで、しばしの間、休むのが肝要ということですが、実際には、これがなかなかできないわけです。その結果、
〇損を出すと、その損を取り戻そうとして、普段よりも大きなリスクをとってしまいます。
10%の収益を目指して100万円の投資をしたけど、逆に20%も損してしまった。それなら、次は、その20%を取り戻すように、より大きなリスクをとってしまったりします。これは『ブレークイーブン効果』と呼ばれています。
〇反対に、いったん損をしてしまうと、また損をするのではないかと、リスクを取らなくなる。
こんな心理状態に陥ることもあります。合理的に考えれば、過去に損失が出たということと、将来も損失が出るということは、因果関係があるわけではありません。でも、損の記憶が、心理を委縮させ、次の収益チャンスを見逃す結果につながるということです。こちらは、『スネークバイト効果』とよばれています。
どちらも、表裏一体の心理効果ですよね」
「先生、よくわかりました。つまり、損が嫌だという気持ちにならなければ、投資で成功するんですか?」
「いや、そこまで単純な話でもありません。とはいえ、自分はどんなことに後悔するタイプなのか、損失を避けようとする心理がどのような投資行動につながるのか、を知っていれば、いまより合理的な投資行動ができますよ」
隆一が「はぁ」と、とりあえず頷いたので、先生も一息ついた。
投資小説:もう投資なんてしない
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中桐 啓貴(なかぎり ひろき)
FP法人GAIA代表 ファイナンシャルプランナー
1973年、兵庫県生まれ。大学卒業後、山一證券、メリルリンチ日本証券で資産運用コンサルティング業務を行う。留学してMBA(経営学修士)を取得後、IFAガイアを設立。社員26名、資産相談の顧問契約者約645名、仲介預かり資産は260億円超。
(提供=トウシル)
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