マヤの伝説では「人間はトウモロコシから生まれた」

人類の文明には、それを支えた作物がある。黄河文明にはダイズがあり、インダス文明や長江文明にはイネがある。そして、地中海沿岸のメソポタミア文明、エジプト文明にはムギ類があり、南米のインカ文明にはジャガイモがある。

文明があったから作物が発達したのか、優れた作物が文明の発達を支えたのかはわからないが、いずれにしても、世界の文明の起源は、作物の存在と深く関係しているのである。

トウモロコシの起源地とされる中米に存在したのが、アステカ文明やマヤ文明である。

アステカ文明やマヤ文明では、トウモロコシは重要な作物であったとされている。

マヤの伝説では、人間はトウモロコシから作られたとされている。人間がトウモロコシを創り出したのではなく、人間の方が後なのだ。

伝説では、神々がトウモロコシを練って、人間を創造したと言われている。日本ではあまり見られないが、トウモロコシには黄色や白だけでなく、紫色や黒色、橙色などさまざまな色がある。そのため、トウモロコシから作られた人間もさまざまな肌の色を持っているのだという。

グローバル化した現代であれば、世界には白人や黒人、黄色人種など、肌の色の違う人々がいることを知っている。

しかし、肌の白いスペイン人が中南米にやってきたのは、コロンブスがアメリカ大陸を発見した15世紀以降のことである。そして、アフリカから黒人たちがアメリカ大陸へ連れてこられたのは17世紀以降のことである。マヤの人々はどうして世界中にさまざまな肌の色の人間がいることを知っていたのだろうか。本当に不思議である。

あの織田信長も愛した

アメリカ大陸の先住民の食糧として広く栽培されていたトウモロコシは、コロンブスの最初の航海によってヨーロッパに持ち込まれたとされている。しかし、ヨーロッパに紹介された後も、トウモロコシがヨーロッパの人々に受け入れられることはなかった。

ムギ類を見慣れたヨーロッパの人々にとって、トウモロコシは奇妙な植物であった。神が世界を創造したと信じるヨーロッパの人々にとって、自然の摂理に反するものは信じがたい。そのため、トウモロコシは珍しい植物として観賞用に栽培されるだけで、食糧となることはなかったのである。

一方、トウモロコシはアフリカ、中近東、アジアの諸国へと広まっていった。日本にはポルトガル船によって1579年に伝えられたとされている。コロンブスがアメリカ大陸を発見したのが1492年であるから、それから100年も経たないうちに、極東の島国にトウモロコシが伝えられたことになる。

日本にもイネがあったから、トウモロコシの栽培は大々的には行われなかったが、水田を拓くことができない山間地では、トウモロコシは食糧として広まっていった。現在でも、山間地では、もちもちした食感のトウモロコシを栽培していることがある。これが、戦国時代に日本に伝えられたトウモロコシの系統である。

派手好きで、新し物好きであった織田信長はトウモロコシの花を愛したという。