お値打ち日本料理を堪能~穴場のお屋敷レストラン
東京・新大久保。韓国料理の店が軒を連ねている「コリアンタウン」の喧騒から5分ほど離れた場所に次々と人が吸い込まれていく。長いアプローチを抜けていくと、そこには立派な日本家屋があった。
和服姿で迎えられたそこは日本料理店。この店にはよそでは味わえないぜいたくがあるという。それが広さ350坪もある日本庭園。春には桜。冬には雪景色を目にすることもある。
しかし、値段は一番人気の「特別いろどり弁当」(2268円)をはじめお手ごろ。天ぷら付きの「鍋焼きうどん定食」(1058円)のような1000円ほどのメニューもある。
個室もふんだんにあって、誕生日などの祝い事や、あらたまった席にも利用されている。ちなみに部屋代は無料。全9品の「秋の特別御膳」(3218円)では、自家製の生湯葉を豆乳に通してしゃぶしゃぶに。子供用の「お子様メニュー」(864円)もあるから、3世代そろっての会食も可能だ。「懐石料理 椿」(9180円)など、本格懐石も味わえる。
このお屋敷の表札には「山野」と書いてある。実は美容業界の草分け、山野愛子さんのお宅だった。山野さんが亡くなったあと、お屋敷は存続の危機にあったが、2014年に内部を改装。築60年以上の日本家屋はレストランとして命を永らえることになったのだ。
山野邸の入り口に由来書きがある。それによると、かつてこの辺りは閑静なお屋敷町だったとか。山野さんの長男・正義さん(82)は、オファーは渡りに船だったという。
「電気が点いた家は素晴らしい。お貸しして良かった。家主と借主の関係は、お互いにハッピーだと思います」(山野さん)
この「がんこ新宿山野愛子邸」をはじめ、いまや全国に10店舗の「お屋敷がんこ」を展開しているのが、鉢巻姿のオヤジがトレードマークの和食チェーン、がんこフードサービスだ。発祥の地は食い倒れの街・大阪。見ると、町のあちこちに「がんこ」の看板を見かける。大阪では知らない人はいないほどの人気店だ。1963年の創業から半世紀以上、浪速っ子に親しまれてきた。
大阪・難波の「がんこ」なんば本店。寒い時期に人気なのがしゃぶしゃぶ、黒毛和牛を使った「黒毛和牛しゃぶ御膳」は3564円。しゃぶしゃぶ」。あこがれの「てっちり鍋」も1人前3218円とリーズナブルだ。
「がんこ」には様々な業態がある。例えばとんかつ専門店の一押しは、三元豚を使ったロースカツだ。きめ細やかな肉質と甘くあっさりとした脂。ちょっと分厚いのがうれしい。
JR大阪駅の駅ビルにあるのは「がんこ回転寿司」エキマルシェ大阪店だ。がんこの回転寿司は、職人が目の前で握ってくれる本格派。本マグロをはじめ、ネタもいい。
人気の一大和食チェーン~がんこ親父の3つの流儀
「がんこ」を一代で築き上げたのが会長の小嶋淳司(83)。暖簾に描かれたハチマキ親父は、若き日の小嶋がモデルだった。がんこフードサービスは日本料理や寿司など、100店舗を展開する一大和食チェーンなのだ。
人気の理由を小嶋は、「ネタは特選、調理する技術は一流。『この料理でこの値段?』というものにしていく。お値打ちで安いですよ」と、説明する。
まず特選、新鮮だというネタ。回転寿司の場合、マグロは三重県の熊野で「がんこ」が畜養で育てている本マグロだ。
「がんこ」では、全国から選りすぐりのネタを取り寄せ、ある場所に集めるという。それが和歌山県海南市にある専用のいけすだ。たとえばブリは、宮崎県でがんこのために特別に養殖されたもの。ここまで生かしたまま運び、店から注文がくると、しめて出荷。少しでも鮮度を落とさないため、手間ひまを惜しまない。これが自慢の「がんこブリ」だ。
一方、愛媛県・宇和島で、特別な方法で育てられたというのは「がんこ鯛」。こうして、しめたばかりの新鮮なネタが開店前に店に届くのだ。
また野菜は、全国12の農家と契約。食材の良さにとことん頑固にこだわっている。
そして一流の技術。職人歴30年の三鹿卓裕が見せてくれるのは、一流料理人の証とも言えるハモの骨切り。実に1ミリ間隔で小骨を切る。「がんこ」は腕を磨くには最適な職場だという。
「1日に70本のハモを仕込んでいた。数をこなして勉強するのにはいい会社だと思います」(三鹿)
このように、「がんこ」の厨房に立つのは厳しい修業を経た腕利きの料理人ばかりなのだ。
そして価格。「がんこ」が営む居酒屋「こがんこ」は庶民の味方。398円(税抜き)の料理が50以上もそろっている。味にも値段にもうるさい関西人も納得の店だ。
中でも人気は穴子を豪快にまるまる一匹揚げる「穴子天ぷらまるまる一匹」。きつね色にせず白く上げるのが関西風だ。大阪のB級グルメ「とんぺい焼き」も398円。イベリコ豚を使っているのがこだわりだ。がんこフードサービスには100の店があるから、大量仕入れができ、安くて良質な料理を提供できるのだ。
この「ネタは特選」「腕は一流」「値段はほどほど」が強さになっている。「うまくてお手頃」を貫く「がんこ」の業績は、外食不況の中にあっても右肩上がり。
「どこよりも良いものを、どこよりも安く提供する。これがやっぱり商売の基本だと思います」(小嶋)
母の教えで寿司店開業~明朗会計で大成功
小嶋の母親ナツは、「90歳近くになっても、新しい店ができたら必ず見に来た」(小嶋)という。小嶋はその母から商いの心を学んだ。
1935年、小嶋は和歌山県で雑貨店を営む家に生まれた。9歳で父を亡くし、母ナツが一人で店を切り盛りしていたが、その母も病に倒れ、小嶋は高校に通いながら、店を引き継ぐことになった。
ある夏、小嶋は大阪の現金問屋へ。地元の問屋を通さず、商品を直接仕入れればより利益が出ると考えたのだ。お目当ては下駄だったが、小嶋をひきつけたのは鼻緒がついていない下駄。驚くほど安かった。
下駄と鼻緒を買い込んで、自分ですげて売り出すと、これが大当たり。半値で売っても十分な利益が出た。これが小嶋の商売の原点となった。
「自分たちが買いたいもの、欲しいものを期待価格よりも安く提供されたら、『これはすごいぞ』という評価をしてくれる」(小嶋)
小嶋は22歳で同志社大学経済学部へ入学。大学で本格的にビジネスの仕組みを学ぶためだった。時は高度経済成長期。人々の懐も温かくなって外食が急成長していた。そこで小嶋は、客単価が高い寿司屋の開業を目指す。
修業を経て1963年、大阪・十三の繁華街に「がんこ寿司」をオープン。わずか4坪半という小さな店だった。
商売を始めるにあたり小嶋が大切にしたのは、母ナツから学んだ「接客の心」だった。
「母はいつもお尻をつけずに、つま先立ちで食事をしていましたね。お客さんが見えたら、一刻も早く店に出れるように、と」(小嶋)
「まず客のため」が染みついた小嶋は、当時、寿司屋で当たり前だった「時価」をやめた。値段を明らかにする明朗会計で勝負。これでたちまち繁盛店になり、2年後には120坪という大型の2号店を持つほど、成功した。従業員も一気に増えたため、店より大きな、冷暖房完備の寮まで作った。
「人、人、人」~がんこ式、人の育て方
勢いに乗る小嶋は、「がんこ寿司」の名をさらに広めようと大きな勝負に出る。それはイートインスペースもあるテイクアウト事業への進出だった。
するとこちらも大成功。2年で26店舗に拡大した。しかし、事業拡大で新たに雇った役員は儲けにしか目が向かない。「だしはインスタントにして、寿司のネタも小さくしましょう」「座りにくい椅子にすれば、客は長居しないから回転率が上がりますよ」といったような意見ばかり聞かされた。
一方である年の瀬、店に立ち寄った小嶋が目にしたのは、寮にも帰れず、疲れ果てていた従業員の姿だった。従業員に「こんな無理をさせていたのか」と感じた小嶋は、決断を下す。26店舗にまで膨らんでいたテイクアウト店を、60人の従業員もろとも、すべて売却し、完全撤退したのだ。 「従業員は、がんこへ入社して、がんこで成長しようと思っているのに、よその会社へ売却ということになった。これは今までの生涯で一番こたえましたね」(小嶋)
この時、小嶋は気付いた。大事なのは店舗数の拡大や儲けではない。働く喜びを分かち合える仲間を育て、ゆっくり成長していくことなのだ、と。
「企業は『人、モノ、金』というのが定説になっています。だけど私は違う。『人、人、人』だと。人さえできたら、モノも金もついてくる」(小嶋)
人作りのため、まず立ち上げたのが「研修道場」。調理人を目指す若手社員は必ずここで研修を受ける。最近は女性も多いという。
講師は職人歴30年を越すベテラン。元来、料理人の世界では「技は盗んで覚えろ」、というのが常識だった。だが、「がんこ」では、人を育成するため、独自のカリキュラムを作り、一人前の職人に育てていく。
「一般的に言われるのが、中華3年、寿司5年。洋食が8年で和食が10年。がんこが目指しているのは、5年で調理長にしましょうと」(取締役調理部長・下村良)
客の前に立つ接客スタッフの育成にも力を入れている。ベテランがマンツーマンで教えていくのだ。10年前からは接客コンテストなるものも始め、モチベーションアップにつなげている。
毎年9月に行われる永年勤続の表彰式。独立志向が強く、人の出入りが激しい飲食業界だが、「人が第一」という小嶋イズムに共感し、残る社員が多いという。
外国人客を呼び込む体験教室&ロボットでサービス向上
多くの外国人観光客が訪れる人気のエリア、東京・銀座にも「がんこ」がある。この日はハッピを着た外国人のご一行が集まっていた。行われていたのは外国人のための「寿司にぎり体験」(5400円/食事代込み)。ほかにも様々なプログラムを実施。今年「がんこ」に来店した外国人客は135万人を超えているという。
一方、京都・亀岡市にある「お屋敷レストラン楽々荘」。明治の建物で国の有形文化財だ。ここにこの春、新たに導入したのが配膳ロボット。小嶋が発案したという。
「屋敷は広いですからね。それを合理化するためには必要だということで導入しました」(小嶋)
このお屋敷は一階だけで1000平米もある。スタッフは料理を運ぶだけで、精いっぱいだった。このロボットなら、行く部屋を押せば、10人分の料理を部屋の前まで運んでくれる。物珍しさも、けっこうウケている。ぶつかりそうになると、センサーで自動停止するから安心。ロボットができることはロボットに任せて、そのぶん人はより細やかな接客ができる、というわけだ。
83歳の小嶋が今、力を注いでいるのは、関西全体を盛り上げること。やってきたのは、京都・京田辺市にある母校・同志社大学ラグビー部の寮。筋骨隆々のラガーマンたちが待っていた。小嶋が目録を手渡すと、一斉に大きな拍手が。同志社ラグビーのファンクラブを代表して、トレーニングマシーン一式をプレゼントしたのだ。
「関西の元気のためにも、同志社が強くなかったら。同志社が勝った時の新聞記事というのは、ものすごい大きくなりますから」(小嶋)
和牛25キロを小嶋がポケットマネーで差し入れて、この日の食事はすき焼きに。みごとな食いっぷりをしり目に、小嶋はせっせと鍋奉行に励んでいる。
人が元気になってこそ皆が幸せに。小嶋にとって大切なのは紛れもなく「人」なのだ。
~村上龍の編集後記~
武田信玄が残した「人は城」という名言は、「情けは味方、仇は敵なり」と続く。名将ならではの言葉だが、「がんこ」の小嶋さんの経営を考え、人や組織の本質は変わっていないのだと思った。
大型の二店目を作ったとき、もっと大きな、冷暖房を完備した従業員寮を建てたと知って、それだけで、ノックアウトされた。
事業規模が拡大しても、「がんこ」の基本は不変で、経営は絶対に揺るがない。
小嶋さんは、商売の師でもあるお母さんから、他者への「情」は成功や利益より大切だということを学んだ。幸福の原型を見る思いがする。
<出演者略歴>
小嶋淳司(こじま・あつし)1935年、和歌山県生まれ。1962年、同志社大学経済学部卒業。1963年、大阪に「がんこ寿司」創業。1969年、小嶋商事株式会社設立、社長就任。1980年、がんこフードサービス株式会社に社名変更。2005年、代表取締役会長就任。
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