(本記事は、髙橋芳郎氏の著書『アートに学ぶ6つのビジネス法則』=サンライズパブリッシング出版、2019年5月25日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
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人の心に響くのは情報ではなくストーリー
ビジネスにおいてお客様を動かすためには、その先の「物語」が必要です。
「物語」というと、昔話を語るようなイメージになってしまうので、英語でストーリーといったほうがいいでしょうか。ストーリーとは、因果関係の流れのことです。
例えば「朝起きた」「パンを食べた」「会社に出かけた」というように、人間の生活にはさまざまな事象が起きていますが、それらをただ並列しただけでは何の面白みもありません。
しかし、次のように補足してみると、ストーリーが生まれます。
「朝、目覚まし時計が壊れていたのでいつもより遅い時間に目が覚めた」「朝食を食べずに出かけようとしたが、お腹が空いていたのでパンをかじりながら家を飛び出た」「会社に出かけるところだったが、スーツを着て歩きながらパンを食べているところを女子高生に見られて笑われて、社会人として恥ずかしかった」
そして、このようなストーリーの後に「壊れない目覚まし時計」とか「目覚まし時計の代わりになるテレビ」とか「朝、電話で起こしてくれるサービス」とかのストーリーを付け加えることで、相手をお客様に変える可能性が生まれます。
なぜこのようなストーリーが必要かといえば、人間が「感情」で動く動物だからです。
ただ単に事実を羅列しただけでは、面白みがないので、記憶にも残りません。
因果関係の網の目であるストーリーに構成して、さらに「恥ずかしかった」という感情を付加することで、心に響くようになります。
人間は、まったく感情をからめずに物事を記憶したり理解したりするのが不得手な生き物です。英単語や歴史年代や元素記号の暗記が難しいのはそのためで、語呂合わせとか萌える単語とかの暗記法は、無味乾燥な記号にしか見えないものに、むりやりストーリーを導入しているわけです。
「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」とか「泣くよ(794)ウグイス平安京」とかは、高校を卒業してから何十年も経った今でも記憶に残るくらい、史実と情景のイメージが合致したよいストーリーだと思います(余談ですが、最近の学説では源頼朝による鎌倉幕府の成立は1185年とされているようですね)。
ストーリーをつむぐと、人間が記憶や理解をしやすいというのは、人間の行動には必ず感情がからんでいるからです。ですからお客様に購入をしてもらうためには、「物語(ストーリー)」をつなげることが重要になります。
王道のストーリーは何度も人を楽しませる
マーケティングにおけるストーリーの重要性は、特に広告宣伝文において、よく言われています。
例えば、セールスコピーの名作と言われる「ピアノコピー」をご存じでしょうか。
1920年代にコピーライターのジョン・ケープルズが、音楽学校の通信教育講座のために書いた広告文です。
音楽を教わるのに通信教育なんて、直感的にはあまりニーズのないビジネスのように感じられます。しかし、ジョン・ケープルズの広告宣伝文は多くの人の心を打ち、その会社には、資料を求める問い合わせが殺到しました。
ピアノコピーの見出しは、次のようなものです。
「私がピアノの前に座ると彼らは笑った。しかし演奏を始めた途端!」ストーリーは、内気で風采のあがらず、友人の間でも軽んじられている「私」が、ひそかにピアノの練習をして、ある日、みなの前でその腕前を披露して拍手喝采を受けるというものです。
このように、コンプレックスを抱えている主人公が、一発逆転で成功するストーリーはいつの時代も人々の心を打ちます。
コンプレックスをもっていない人間はいないし、勝利はいつだって気持ちのよいものだからです。
成功ストーリーはあまりにも人を感情移入させるものですから、広告宣伝文としてではなく、ただそれだけでもビジネスとして成立するようになっています。
それは、映画や漫画などのコンテンツビジネスです。
コンテンツビジネスでは、ストーリーを楽しむためだけに人がお金を払っています。
映画というのは、何億円もの投資をして、当たれば何十億円ものリターンがある代わりに、外れればその何億円がそのまま無駄になる、ハイリスク・ハイリターンのビジネスです。
ですから、ハリウッドなどでは絶対に外さないようにと、王道や黄金のストーリー展開があると聞いています(それにのっとっても、外れるときは外れます)。
神話学者のジョーゼフ・キャンベルは、その著書『千の顔をもつ英雄』で、世界各地に伝わる神話を分析し、人々に好まれる物語(ストーリー)が同じような構造をもっていることを発見しました。
この理論に多大な影響を受けて作られたのが、大ヒット映画『スター・ウォーズ』シリーズです。
しかし、いつも同じストーリーの構造なのに、観客は飽きないのでしょうか。
実は同じ骨格のストーリーでも、モチーフや体裁が異なれば、人間は同じものとは認識しないのです。
例えば、スター・ウォーズもハリー・ポッターも「両親と別れを余儀なくされ、高貴な生まれの主人公が、田舎町で身をやつした生活を送っているところに、世界の危機が訪れて冒険に出ざるを得なくなり、道化(フール)と賢者(メンター)の助けを得て、悪の化身を倒す」というストーリーです。
この物語には、未熟な若者が多くの困難に遭遇しながらも道化の癒しと励まし、そして正しい道へと導いてくれる賢者の知恵や教えに助けられて、立派な一人前の大人になるという、人間の成長についての教えが含まれています。
多くの人が主人公と自分を重ね合わせて感情移入できる、世界中で語られる王道ストーリーです。
ベンツとボルボのストーリーの違い
ストーリーを使うことは、他の商品でも同様に行われています。例として、私が車を買い替えたときの話をしましょう。
30年ほど前、私はボルボに乗っていました。なぜかといえば「ボルボは世界一安全な車です」というブランドイメージがあって、仕事で車によく乗る私としては「安全」というストーリーにもっとも魅力を感じていたからです。
ボルボのディーラーに行くと「安全」のストーリーを強調してブランドイメージが作られていることに気づきます。
例えば当時は「ボルボに乗って事故を起こして亡くなった人はいません」とか「レンガのように硬い車体が乗っている人を守ってくれます」のように、売りを決めていました。
しかし、あるときふとベンツのカタログを見たところ「車は時に人を傷つけることがあります」みたいなことが書いてある。これには、はっとしました。
車というのは他人を傷つける凶器にもなりうるもので、実は乗っている人よりも外で近くを歩いている人のほうがよほど危険なのです。ベンツの発していたメッセージは「自分だけでなく、他人も守りますよ」というものでした。
カタログの解説には「交通事故の際にぶつかった人を下に巻き込んでしまうと致死率が高くなるので、ベンツのフロントの形状はぶつかった人を掬い上げることを考えてデザインされています」というようなことが書かれていました。
当時のベンツの車体が丸みを帯びているのは、万が一、他人にぶつかったときでも、相手に与えるダメージが最小限になるように考えられているからだというのです。
ベンツの用意したストーリーを見ると、ボルボのストーリーが色あせて見えました。
ベンツのストーリーが「車の外にいる他人をも救います」という利他精神を打ち出しているため、ボルボの「乗っている人を守ります」というストーリーが、利己的に見えてしまうのです。
それを見て私は、ベンツはボルボの二歩も三歩も先を行っているのだと、正直、感動しました。
そして、次の車を買うときにベンツを選んだのです。
ベンツのストーリーは、ボルボのファンだった私を簡単に宗旨変更させるような魅力を持っていました。ストーリーの力はかくも強力なものなのです。
今の話は30年前の話です。今は車も随分と進化して、各メーカーともに今の時代にあった魅力的なストーリーを新たに作り出していることでしょう。
アートの世界でもストーリーが売れ行きを左右する
アートの世界でもストーリーの力は幅を利かせています。
一般的には、アートは言葉が必要ないもので、見て感じる作品の力がすべてだと思われているところがありますが、決してそんなことはありません。
美術館には必ず作品の背景を説明するボードがありますし、最近は有料の音声ガイドが大人気で、今やなくてはならない収入源になっている美術館もあるそうです。
日本でいちばん人気の画家といえば、おそらくゴッホです。
このゴッホは作品の力もさることながら、その悲劇的な人生ストーリーに人気が集まっている面もあります。
例えば、ゴッホにまつわるストーリーには次のようなものがあります。
・生涯にたった1枚の絵しか売れず、極貧生活を送った。
・生活費はすべて画商の弟テオに面倒を見てもらっていた。
・恋多き男だったが、結局、結婚はせず生涯独身だった。
・相手は年上の女性が多く、親戚の子連れ未亡人に恋をしたときは手ひどく拒否された。
・画家を目指したのは27歳のときで、そのあともほぼ独学だった。
・頭は良かったが、思い込みが強く情熱的で、他人とのかかわり方が下手だった。
・浮世絵を見て日本に憧れて、日本に似ているからと南フランスのアルルに移住した。
・さみしがり屋で、画家仲間をアルルに呼ぼうと一生懸命手紙を書いた。
・結局ゴーギャンが来てくれたが、わずか二カ月で喧嘩別れした。
・その際に、ゴッホが剃刀で自分の耳を切り落とすという事件があった。
・精神病院に収容され、最後は拳銃で自殺した(他殺説もある)。
・死後に評価が急上昇し、バブル景気の頃に日本人が買った『ひまわり』が、美術品オークションの落札記録を2倍以上の価格で更新したとして大ニュースになった。
いずれも悲劇の画家ゴッホを強調する、心を奪われるストーリーです。
実際に、ゴッホの生涯はコンテンツ業界でも大人気で、これまでに劇場用長編映画だけでも5本の作品が世の中に公開されています。
中でも、カーク・ダグラスがゴッホを演じた『炎の人ゴッホ』は、アカデミー賞やゴールデングローブ賞にも輝き、狂気の画家ゴッホのイメージを広めるのに一役買いました。
つまり、ゴッホが好きという人の中には、ゴッホの世間との折り合いをつけることができず不遇の中、37歳という若さで自らの人生に幕引きをはかったという生きざま、そして人生のすべてをかけて残した絵画がいまだに世界中の人々を勇気づけているというストーリーに共感する人も多数含まれていると私は思います。
ゴッホだけではなく、画家の人生は映画の適当な題材としてよく使われています。
ゴッホは別格ですが、35歳で結核性髄膜炎で亡くなった悲劇の画家モディリアーニ、子どものときの怪我で障害者となったロートレック、南国タヒチに逃避して自殺をはかったゴーギャン、殺人を犯して罪に問われた激情の画家カラヴァッジオ、天才画家と呼ばれながら28歳で病没したエゴン・シーレ、薬物ヘロインの過剰摂取から27歳で亡くなったバスキア、ジョージアの国民的人気画家ピロスマニなど、これまでに複数の伝記映画が製作された画家の数は、枚挙にいとまがありません。
もちろん、これらの画家はいずれも負けず劣らずの人気画家です。その証拠に贋作や複製品が多数作られています。
例えばモディリアーニは、真作の10倍以上の贋作が「本物」として流通していると言われています。
ゴッホに至っては、中国の複製画家を描いた映画『世界で一番ゴッホを描いた男』まで作られるほど、複製や贋作が当たり前に横行している状況です。
画家もストーリーの力がなければ忘れ去られる
ストーリーが一つ加わるだけで、まったく同じモノでも、お客様の見方が大きく変わることが、アートの世界ではよくあります。
例えば、フェルメールという画家は、美術展を開催すると長蛇の列ができますし、歴史上でも一、二を争う天才画家みたいな扱いをされています。
しかし、17世紀に亡くなってから、19世紀に再評価されるまで100年以上もの間、ほとんど忘れられた画家だったことをご存じでしょうか?
フェルメールが「再発見」されたのは1866年、フランス人研究家の論文以後のことです。
それ以前には、美術界でフェルメールの名前を聞くことはほとんどなく、作品も散逸していました。
ですから、現存するフェルメール作品は約35点しかなく、そのためにいっそう希少価値が出る状態となっています。
もちろんフェルメールは非常に技術の卓越した画家ですし、現存中はそれなりに人気画家でした。
しかし、美術史は流行の移り変わりが激しく、特に前世代の画家は「時代遅れ」と蔑まれることが多いため、死後に急速に忘れ去られていったのです。
17世紀当時はアートやアーティストの地位も低く、美術研究自体もそんなに進んでいませんでした。
誤解を恐れずに言えばいまの職人と同じで、絵画を誰が描こうがそれに興味を持つ人は少なく、作品は残っても画家の名前は忘れられることが多かったのです。
ですから、フェルメールは存命中の資料も少なく、謎の画家だと言われています。
現存作品数が少ないことと、どんな画家だったかよくわかっていないことは、フェルメールが100年間以上も忘れられた画家だったことの証拠でしかないのですが、ミステリアスということで、より人気に拍車がかかっているのですから、わからないものです。
フェルメールの話は、とある批評家が再評価したというストーリーが、人々の見方や評価を徐々に変えていったというシンデレラ・ストーリーです。
構造としてはセレブがファンになってSNSで広めたというストーリーと似ています。
ちなみに20世紀の画家ダリなどは、歴代の画家の採点をしていて、フェルメールに対して、ラファエロやダ・ヴィンチやベラスケスよりも高得点をつけています。
18世紀にはほとんど誰も知らない画家となっていたのに、時代が変われば変わるものです。
余談ですが、ダリの採点は自分自身を同時代の画家であるピカソよりも上位に採点しているなど、多分にパフォーマンスの要素が強いものでした。
日本で言えば、今は大人気の伊藤若冲も忘れられた画家でした。
フェルメール同様、生前は人気だった伊藤若冲も、明治時代になると次第に言及されることが少なくなり、美術研究からはほとんど消えていました。伊藤若冲が再評価されるのは1970年以後のことで、一般的な知名度が高まったのは21世紀になってからのことです。
フェルメールも若冲も、作品自体はまったく変わりません。変化したのは、それを見る人々の意識や見方のほうです。
そのように時代とともに人々の価値観は変わるものです。
人々は、今の時代の価値観で過去を振り返って、今の時代に合う画家にスポットライトを当てて再評価するのです。
ということは、いまは売れない作品でも、将来どうなるかはわからないわけです。
もしあなたがなかなか売れないモノを抱えているとしても、お客様の視点を変えてあげるだけで、ぐっと魅力的に感じられるようになるかもしれません。
画家のストーリーを伝えるのが大切で役立つというのは、販売の現場においても強く感じます。
通常、販売という現場では、画廊とお客様との間で「買いませんか」「どうしようかな」と、相対した関係になりやすいものです。このときに画廊側の「買ってほしい」という気持ちが強くなり過ぎると、迷われるお客様との間で対立関係にもなりかねません。
しかし、画家や絵画のストーリーを伝えることを主眼にすると「こういうストーリーがあるんです」「それは面白いですね」と、絵に向かって並んで絵画を鑑賞することができます。言い換えれば、絵を同じ目線で一緒に見ながら共感しあうことができるので相対関係にならずにセールスをすることができます。
このように、ストーリーを媒介にお客様との間に協働意識が生まれると、その後のビジネスが行いやすくなります。
髙橋芳郎
株式会社ブリュッケ代表取締役。1961 年、愛媛県出身。地元の高校を卒業後、1979 年、多摩美術大学彫刻家に入学。1983 年、現代美術の専門学校B ゼミに入塾。1985 年、株式会社アートライフに入社。1988 年、退社、独立。1990 年5 月、株式会社ブリュッケを設立。その後、銀座に故郷の四国の秀峰の名を取った「翠波画廊」をオープンする。2017 年5 月、フランス近代絵画の値段を切り口にした『値段で読み解く魅惑のフランス近代絵画』(幻冬舎)を出版。
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