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時給数百円の貧乏モーツァルト漫画家軍団達
ところが残りの、といっても少なくとも単行本が出版されている漫画家の印税収入は3百万円を切るらしいのだ。さらに、前述したように、漫画界には「連載貧乏」という言葉があり、連載漫画を抱えれば抱えるほど、貧乏になっていくらしいのだ。
いくら連載料をもらっても、そこからアシスタントへの支払いや税金等を引くとほとんどお金は残らず、コンビニでアルバイトをしたほうが遙かに稼げるという。アシスタントに至っては、時給180円という恐ろしい話まで載っている。
一握りの中の金持ちプッチーニ漫画家以外は、全員が貧乏モーツァルト漫画家と言っても過言ではないかもしれない。
ほとんどの漫画家、漫画家志望者はたとえ溢れる漫画の才能があっても、それが単行本として売れる金持ちプッチーニ漫画家になれなければ、貧乏モーツァルト漫画家として誰にも知られず散っていくことが、漫画という夢の世界におけるもうひとつの過酷な現実なのだ。
貧乏モーツァルト漫画家から、金持ちプッチーニ漫画家に
同じひとりの漫画家でも、生涯に渡って同じような人生を辿るひとばかりではない。時代が変われば、同じ漫画家でも置かれる環境は一変する。
『ゲゲゲの鬼太郎』で著名な水木しげる氏を例に挙げて説明してみよう。貧乏モーツァルト時代の水木氏が、漫画家「水木しげる」としてデビューしたのは、30歳を過ぎてから。しかも、最初は漫画家どころか紙芝居作家だったのだ。
画家を目指して美術学校で学びながらも、徴兵検査を受け戦地へ。左腕の切断というハンディを背負いながらも、紙芝居作家として細々と活動を続けていた。正式に漫画家となったのは35歳のとき。当時は貸本屋時代だったが、売れない貧乏モーツァルト漫画家時代のまま『墓場鬼太郎』シリーズを描いたときには、40歳近くになっていた。
しかし、その後の劇画ブーム、アニメブームに乗り、貧乏モーツァルト漫画家の水木しげる氏が、金持ちプッチーニ漫画家に変身していったのは、ご存じのとおり。この水木しげる氏も、買取り報酬の紙芝居作家時代から、印税報酬の漫画家時代で、桁違いの報酬を受けるようになったことは言うまでもないだろう。
晩年には、紫綬褒章や旭日小綬章を受章し、水木しげる記念館が開館されるなど、世界的な漫画家として尊敬を集め、東京・青山葬儀所での「お別れの会」では約8千人近い方々が参列されたという。
※出典:『ねぼけ人生』(ちくま文庫)
『ほんまにオレはアホやろか』(講談社文庫)
著作物のすべてが知的財産として保護されるわけではない
純粋に作家が著作として発表した作品の場合は問題ないが、その作者がタレントとなると話は少しややこしくなってくる。芸能人やタレント、芸人達は、それぞれがいわゆる事務所に所属している。その事務所が印税を〝中抜き〟するということがほぼ既成事実のように語られている。
又吉直樹氏の場合、所属事務所の「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」(吉本興業)に半分近く〝中抜き〟されているという報道も見かけた。
著作権は、印税だけに留まらず、テレビドラマ化や映画化等の放映権等、さらに大きく膨らんでいく。所属事務所とは、あらかじめ印税配分をめぐって、なんらかの契約をかわしているに違いないが、所属事務所からすれば、タレント・有名人としての知名度により、その印税がもたらされたことは間違いないと主張するだろう。
又吉氏と同様に、『ホームレス中学生』(幻冬舎)がベストセラーになったお笑いコンビ麒麟の田村裕氏の場合はどうだったのだろうか。彼もまた、累計2百万部突破という異例の売上を記録したが、その印税収入の3分の1以上は、所属プロダクションの収入になっているとも言われている。
また、吉本興業は、所属していたお笑いタレント・島田洋七氏と印税配分をめぐって騒動も起こしている。島田洋七氏が自費出版からシリーズ累計6百万部を超える大ベストセラーに仕立てあげた『佐賀のがばいばあちゃん』(徳間書店)の印税について、吉本興業側が島田氏に印税配分を求めたことから両者の関係が悪化。この騒動の結果、島田洋七氏は吉本興業を去っている。
貧乏モーツァルト時代のタレントと、金持ちプッチーニ時代のタレントとでは、その考え方や主張も当然のことながら違ってくるだろう。
いずれにせよ、著作権という知的財産権がいったい誰のものかということは、いつの時代にも互いの主張が食い違うことだけは忘れてはならない。