《落語は、江戸時代の風俗や心の機微が学べる「教養」であるが、同時に純粋に楽しめる「娯楽」でもあると、落語を扱った著書を数多く執筆している稲田和浩氏は語る。

生まれた時代背景から初めに聞くべきレジェンド落語家、寄席に至るまで、その魅力を余すことなくうかがった。》(取材・構成 前田はるみ)

※本稿は『THE21』2020年1月号より一部抜粋・編集したものです

江戸時代の平和ボケが落語を生み出した!?

落語の基本,稲田和浩
(画像=THE21オンライン)

落語は江戸時代後期、裕福な町人や文化人が、実際にあった話や見聞きした面白い話を、お互いに聞かせ合ったことが始まりと言われています。

外圧もなく内乱もなく、平和が250年近く続いた江戸時代。幕府が開かれて200年ほど経った頃、歌舞伎などの娯楽が庶民に広がった時期に、落語も誕生しました。

落語には、今の社会では“ダメなやつ”とされる人がたくさん登場しますが、ダメなやつが生きていけたのも、平和な時代だったから。平和な時代の産物だということが、落語の魅力の根底にあるのです。

貧乏長屋の住人が生き生きと楽しそうに暮らす様子を、面白おかしく描く――そうした意味で、落語は、「最も取っつきやすい教養」と言えるかもしれません。聞いているうちに、落語で語られる時代のことを知ったり、現代でも使われている言葉の由来がわかったりして、知識も深まります。

とはいえ、落語は“娯楽”でもありますから、何かを学ぼうと思って聞くものでもありません。噺を聞いて、面白ければそれでいい。老若男女、誰が聞いても面白い。そんな「笑い」の要素があることが、落語の一番の魅力です。

江戸から明治の「古典落語」大正以降の「新作落語」

落語の噺は江戸時代に創作されたと思われがちですが、噺の8割は明治以降の創作です。

作られた時期によって、大きく二つに分けられます。江戸中期から明治にかけて作られ、師匠から弟子に受け継がれてきたのが「古典落語」です。長屋や商家など江戸庶民の暮らしが描かれることが多く、200~300ほどの噺があります。

一方、大正以降に作られたのが「新作落語」です。現代をモチーフにした噺が、今も次々と作られているので、数は把握されていません。落語家の半数以上はなんらかの新作落語を演じています。

さらに、古典落語をジャンル分けすると、「人情噺」と「滑稽噺」があります。「人情噺」は、本来は長編ものを指しましたが、今はしみじみとストーリーを聞かせる落語のことを言います。一方、結末に落ちのある噺が「滑稽噺」です。

落語が誕生した頃は、「滑稽話」が一般的でした。当時は、落語ではなく「落とし噺」といって、「落ちを聞かせる噺」だったのです。時代が進むにつれ、「落ち」よりも、登場人物の言動や人情の機微を語ることが噺の面白さに代わっていきます。

幕末から明治の初めには、「人情噺」が大人気となりました。落語を「らくご」と読むようになったのは、明治以降のことです。

ここで、落語の構成を説明すると、まず本編に入る前に、軽いトークで客席を温めます。これが「マクラ」です。続く「本編」は、10分以内のものから、1時間を超える大ネタまで様々です。そして、噺の最後の結びの言葉が「落ち」です。