この記事は2021年11月5日に「The Finance」で公開された「座礁資産と向き合う日」を一部編集し、転載したものです。


サステナブル、SDGs、ESGといった文脈から、「脱炭素」への取り組みに注目が集まっている。気候変動リスクに焦点が当たる中、金融面で大きな問題となるのが「座礁資産」だ。座礁資産とは、いわゆる「市場環境や社会環境が激変することにより、投資額を回収できる見通しが立たなくなってしまった資産」を指す。本稿では、火力発電所を中心に、座礁資産のあり方について考えてみたい。

目次

  1. 厳しい視線がそそがれる火力発電
  2. 金融・資本市場への影響は?
  3. 幅広い影響を想定する必要

厳しい視線がそそがれる火力発電

各国が意欲的な脱炭素目標を掲げる中、CO2の排出源として、火力発電に厳しい視線が注がれている。日本は、世界各国に比べ脱炭素への取り組みが遅れてるが、今年4月には世界的な潮流を念頭に菅首相が「2030年までに2013年比温室効果ガス46%削減」を宣言し、脱炭素への取り組みが本格化している。

政府方針を受け、7月に経済産業省が発表した第六次エネルギー基本計画の素案では、2030年に日本が目指すべき電源構成が発表され、火力発電を現状の約70%から、約40%へと削減する野心的な目標が示されている。現状の電源構成は火力:原子力:再生エネルギーが7:1:2であるのに対し、2030年には省エネによる電力消費量の減少を見込んだ上で、4:2:4とするものだ。特に東日本大震災の影響で原子力の利用が低調であることから、電力1キロワット時使用あたりの炭素排出量は、先進国で最も大きい。すなわち、日本においては火力発電を再生エネルギー等へ移行させることが大きな課題となる。

上記エネルギー基本計画は野心的な計画であり、実現の可能性は未知数であるが、日本の電力会社の保有する火力発電設備の多くは、脱炭素の進展を受け、将来的には利用不可能となることが予想される。すなわち、座礁資産となる蓋然性が高いものと考えられる。

2019年の国際NPOカーボントラッカー試算ではあるが、日本における石炭火力設備の座礁資産化の影響は、710億ドルに及ぶという。国は足元脱炭素化の加速に向けた新エネルギー計画を発表したが、新計画においては、2019年に76%を占める火力発電のシェアを2030年には41%まで低下させることが「野心的な見通し」として示されており、以降も国際公約である2050年のカーボンニュートラル実現に向け、更なる削減が試みられる可能性が高い。すなわち、日本の電力会社は、現在主たる発電手段として用いられる火力発電設備を使うことができなくなる可能性があり、「座礁資産化」のリスクに直面している。

金融・資本市場への影響は?

このことは電力会社だけの問題ではない。電力会社は、社債市場や銀行から火力発電設備見合いの多額の資金調達を行なっている。座礁資産となった火力発電設備が減損対象となり、電力会社の財務に大きな影響を与える可能性や、発行した社債の値下がりといった可能性が指摘され、資本市場の混乱や融資を行なっている銀行の信用力を毀損しかねない問題である。東日本大震災時の東電問題とよく似た構造であり、日本の電力会社が抱える「公益民営」モデルの矛盾に起因する課題といった面も指摘される。

資本市場の混乱や銀行の信用力毀損を免れるためには、国鉄や道路公団などの事例を参考に、電力会社から座礁資産を分離するといった対応も選択肢かもしれない。国鉄の再編・民営化に際しては国鉄清算事業団が設立され、新幹線などの保有資産の貸付料を原資に過去の負債の返済を行なうスキームが構築された。道路公団については、高速道路を保有する独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構が設立され、国鉄清算事業団同様、民営化各社からの貸付料により、過去の負債の返済を実施している。これらのスキームが必ずしもうまくいっているわけではないが、たとえば民営化後のJR各社が、負のレガシーとの決別した前向きな経営により、日本経済に貢献する存在となっていることは評価すべきであろう。

幅広い影響を想定する必要

座礁資産が問題となるのは電力会社だけではない。たとえば陸運・海運・空運といった輸送会社は現在の石油を燃料とする運送網を構築しているが、脱炭素の流れの中で、エネルギーシフトが求められている。例えば海運業界では相対的にCO2の排出量が少ない液化天然ガス(LNG)を燃料とするLNG船への移行が進展している。陸運では輸送手段の電気自動車(EV)へのシフトが進みそうだ。空運については植物由来のジェット燃料の導入などの検討が行なわれている。一方、このような取り組みは、既存の事業アセットの一部が座礁資産となることを意味する。電力会社同様、座礁資産の処理に伴う様々な影響が懸念される。

また、自動車業界に目を転じると、現在のガソリンを燃料とする自動車は、徐々にEVや水素を燃料源とする燃料電池自動車(FCV)へ移行するものと考えられる。特にEVは今までのガソリン自動車と比べ部品数も少なく組み立て加工も容易と言われている。自動車業界は多数の部品会社やその下請けからなる巨大なサプライチェーンが特徴だが、EVへの移行により、よりコンパクトな形へとサプライチェーンの見直しが必要となる蓋然性は高く、このことも一種の座礁資産の問題となりうるように思われる。

以上見てきたように、脱炭素への取り組みはあらゆる産業において、今までの前提を覆すポテンシャルを秘めており、座礁資産など、思いがけない損失の可能性には留意が必要だろう。被害を抑えるためには、個社毎での対応ではなく業界横断的な対応が不可欠となる。業界内で同様の悩みを抱える企業も多いものと思われ、グローバルかつ水平統合の観点で、どのような対応が望ましいか、試行錯誤が必要となろう。脱炭素を契機に、ダイナミックな産業再編が進展することを期待したい。

本稿中、意見に係る部分は筆者個人の見解であり、所属する組織の見解を示すものではない。


[寄稿]村松 健
SBI金融経済研究所 事務局次長
1996年、慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、株式会社日本興業銀行(現みずほ銀行)入行し、2021年11月より現職。著書に『銀行実務詳説 証券』『NISAではじめる「負けない投資」の教科書』『中国債券取引の実務』(全て共著)、論文寄稿多数。日本財務管理学会所属。