この記事は2022年3月3日に「テレ東プラス」で公開された「巨大イノベーション企業、スリーエムジャパンの商品開発力:読んでわかる『カンブリア宮殿』」を一部編集し、転載したものです。
目次
60種類の台所用スポンジから医療器具、宇宙ビジネスまで
埼玉県・久喜市の「ホームセンタームサシ」。台所用のスポンジで人気の「スコッチ・ブライト」シリーズは種類が豊富で、台所用だけで60種類もある。定番の食器・フライパン用からグラスに傷をつけないもの、プラスチック専用のものなどもある。
去年2月に発売された「スクラブドット清潔スポンジ」(198円)。表面の丸い粒々に樹脂系研磨粒子が入っていて、これが洗剤なしでカレーなどの汚れを一気に落とす。スポンジに残った汚れは水で流すだけできれいに落ちる。表面の高密度不織布がしみこみを防いでいるのだ。
▽スクラブドット清潔スポンジ
台所用以外で人気なのが「すごい鏡磨き」(698円)だ。鏡にはウロコと呼ばれる白い汚れがつく。鏡を水にぬらして、ごく細かい研磨粒子を含んだ「すごい鏡磨き」でこするとウロコが浮いてきてピカピカの仕上がりに。磨く部分は外せるから、シャワーヘッドなど曲がったところもきれいに磨ける。
▽曲がったところもきれいに磨ける「すごい鏡磨き」
暮らしの中のさまざまな用途に合わせて、コロナ禍でも売り上げ前年比110%と好調な「スコッチ・ブライト」シリーズを作っているのが3M(スリーエム)だ。
3Mといえばおなじみなのが「ポスト・イット」。色、サイズ、粘着力別に900種類以上もあるという。
セロハンテープや両面テープなど粘着系のテープでも定評がある。両面テープを使った人気商品が壁に貼り付けるフック。やっかいなのは剥がす時だが、「コマンドフック」(348円)はテープの端を引っ張ると簡単に剥がれ、壁も傷つけない。
アメリカに本社を構える3Mは創業119年。世界70の国と地域に拠点を置き、グループ全体の売り上げ4兆円にのぼる巨大化学メーカーだ。日本法人のスリーエムジャパンは従業員3,000人ほど。世界の売り上げのおよそ1割を担う重要拠点である。
▽世界70の国と地域に拠点がある3M
2021年6月、そのトップに就任した宮崎裕子は異色の経歴の持ち主だ。日米両国の弁護士資格を持ちいくつかの企業を経てきた宮崎。2017年、スリーエムジャパンの法務部門トップに採用される。それからわずか4年、事業部経験もないまま、突然、社長就任をオファーされた。
「『私じゃないよね』『私みたいなタイプじゃないよね』と、まず思いました」(宮崎) 宮崎が考える3M最大の強みは多種多様な商品展開だという。
「皆さまの身の回り、3m以内に3M製品がある」(宮崎)
たとえば、道路標識は金属板の上に3Mのシートを貼っている。店舗の看板や床の案内シートも3M製だ。電車のデザインを変えるときに使われているのが3Mのラッピングフィルム。塗装より早くコストも安く、最近では車のカラーチェンジにも使われているという。
さらには聴診器などの医療器具。「ハヤブサ2」が小惑星「リュウグウ」に着陸する時に目印として投下したターゲットマーカーの表面の光を反射させる布も3M製だった。台所から宇宙まで実に5万5,000種にのぼる製品を展開している。
▽ゲットマーカーの表面の光を反射させる布も3M製
51の技術基盤 ―― イノベーションはこうして生まれる
3Mは不織布、研磨、フィルム、反射など、全部で51の技術基盤をもつ。たとえばスポンジなら、不織布、接着、研磨材を組み合わせて作る。こうした技術を組み合わせることで、5万5,000種を超す製品を作ってきた。
幅広い商品を次々と生み出す秘密は、3Mが長年培ってきた独自の企業文化にある。
「『15%カルチャー』に代表されるような、失敗を恐れないでチャレンジするという風土があります」(宮崎)
3Mには、「ビジネスに繋がる」という前提があれば、労働時間の15%を本来の業務とは違う研究にあてられるという伝統がある。
「ポスト・イット」も「15%カルチャー」から生まれた。強力な接着剤を開発している時に出た失敗作がきっかけだという。
その粘着剤は、普段は丸い球の形だが、上から圧力をかけると潰れるように広がって、ものにしっかり貼り付くのだが、引っ張る力が加わると、元の球の形に戻ってしまう。つまり、よくくっつくけど、簡単に剥がれる。この性質に興味を持った2人の研究者が本業とは別にひっそりと開発を続け、誕生させたのが「ポスト・イット」なのだ。
スリーエムジャパンで近年、「15%カルチャー」から生まれたのが「すごい鏡磨き」。作り出したのは不織布のスポンジ開発が本業のホームケア技術部・原井敬。スポンジではない新しいものを作りたいと、「15%カルチャー」で開発した。
「今までにないアイデアという点では、『15%カルチャー』から生み出せる力になったのかと思っています」(原井)
開発には研磨や生産技術など部署の違う技術者も参加した。誰かが「15%で研究したい」というと、別の部署の人もそれぞれの15%を使って協力することができるのだ。
「15%カルチャー」は明確なルールではなく不文律。これこそがイノベーションのカギだと宮崎はいう。
「ルールにしてしまうと、そっちにとらわれてしまい、なかなか自由な発想というのができなくなるんです。イノベーションは失敗を恐れないカルチャーから生まれる」(宮崎)
弁護士出身の運動部系 ―― スリーエムジャパン社長の素顔
仕事を終えてジムでトレーニングに励む宮崎。8年前から週1回、欠かさず続けているが、社長就任以降、メニューをハードなものにしたという。時差のある海外とのやりとりが増えたことで、社長業には体力が必要と感じ、自らを追い込んでいるのだ。
▽仕事を終えてジムでトレーニングに励む宮崎さん
根っこは体育会系だという。中学時代は800mで埼玉県大会2位。高校ではボート部に所属し、全国大会にも出場したスポーツ女子だった。
「走るとかボート漕ぐとか筋トレはすごいんですけど、球技とかまったくダメです」(宮崎)
慶應大学法学部に進学すると、法律学の面白さにはまった。司法試験に向けた予備校の学費を稼ぐため、寝る間を惜しんでアルバイトを掛け持ち。大学卒業の翌年に見事合格し、法律家としての一歩を踏み出す。
その後、結婚・出産を経て、より活躍の幅を広げようと、32歳の時、当時1歳半の長男を連れてアメリカに留学。現地の法律事務所に勤めながらニューヨーク州の弁護士資格も取得、日本企業のアメリカ進出をサポートした。
いくつかの企業を経て、2017年、スリーエムジャパンの法務担当役員に。そのわずか4年後に社長に就任する。
宮崎の上司にあたる3Mのアジア地域統括責任者ジム・フォルトセクは「宮崎さんは常に人の話に耳を傾け、理解しようと最善を尽くす人です。すでに成熟した日本法人のトップには、マネジメント能力だけではなく、チームが安心して仕事を進められるよう、サポートできる人物が適任だと考えました」という。
そんな宮崎の人柄が垣間見えるのが会議の冒頭だ。本題に入る前、必ず行っているのがテーマとはまったく関係がない雑談。社員の緊張をほぐし、本音を言いやすくするためだ。
「隠し事をしないような人柄、オープンな人柄が伝わってくるんです。信頼関係にもつながっていると思います」(政務渉外本部・德永章)
雑談が信頼につながるというのは、弁護士時代の経験だという。
「和解は法廷ではなく裁判官の部屋でやるのですが、時間前にべらべら喋って、相手方の代理人と仲よくなって話がまとまったとかいうことも。時間がちょっとあって、話ができた方がまとまりやすいなと思ったところもあります」(宮崎) コロナ禍でオンラインが増えた今だからこそ、ちょっとした会話が理解と信頼につながると考えている。
採石会社から化学メーカーに ――「15%カルチャー」とは?
3Mの創業は1902年。もともとはアメリカ北部ミネソタ州の採石会社だった。金属の研磨に使う硬い石を探していたが、採れるのは柔らかい粗悪な石ばかり。そこで採石会社から、当時需要のあった研磨材メーカーに業態を変え、1905年、サンドペーパーの製造を開始すると、これが大ヒットした。
1925年には自動車業界にイノベーションを起こす。世界初となるマスキングテープの開発だ。車を塗装する際、色を塗らない部分を保護するテープ。簡単に剥がせて貼った部分を傷めないとあって、自動車大国の道を歩みだしたアメリカで大ヒット商品となった。
マスキングテープの開発こそ後の「15%カルチャー」のきっかけの1つだという。
ある自動車工場では当時、塗装の保護に医療用テープを使っていたのだが、医療用テープは粘着力が強いため、保護すべき塗装が剥がれてしまい、職人たちを困らせていた。
「簡単にはがせるテープを作ってみましょうか」と声をかけたのは、たまたま来ていた3Mの従業員、リチャード・ドルーだった。
とはいえ、ドルーは本来研磨材が担当。畑ちがいのテープ開発はうまくいくはずもない。上司は「本業に専念を」と、テープ開発を辞めるよう指示した。しかしドルーは、本業をしながら隠れて研究を続けた。そして研究開始から2年、ついにマスキングテープを完成させた。この出来事がきっかけとなって、本業に関係ないことでも自由に研究していいという「15%カルチャー」が生まれたという。
スリーエムジャパンにも「15%カルチャー」で世の中を変えるイノベーションを起こした技術者がいる。山形・東根市のスリーエムジャパンプロダクツ山形事業所。「不織布を使った拡散フィルム」を開発したディスプレイ製品技術部の豊岡和彦だ。
それは液晶テレビを軽くした画期的なフィルムだという。画面を明るくするLEDバックライトの前に設置され、まっすぐ進むLEDの光を拡散し、画面全体に、均等に届けるのが役割だ。それまでは厚さ2mmのアクリル系の板が使われていたが、豊岡は不織布を使い、厚さ0.1mm、重さは20分の1のフィルムにしたのだ。
「最初は3名でスタートしまして、そこから5名になって、途中から海外のメンバーも入って7名くらいになりました」(豊岡)
豊岡のアイデアは、日米の技術者がそれぞれの15%を持ち寄って製品化にこぎつけた。このフィルムを複数の家電メーカーが採用、より軽い液晶テレビが世界中に普及した。
「仲間がいれば、仲間がいるだけ、『一緒にこれ成し遂げましょう』みたいな感じになる。イノベーションを推進するためにはとてもいいことだなというふうに思ってます」(豊岡)
仲間と一緒にイノベーション。3Mはそれを社内だけにとどめない。神奈川・相模原市にある「カスタマーテクニカルセンター」では、メーカーの命ともいうべき技術を他の企業向けに展示しているのだ。これまで竹中工務店や村田製作所など、多種多様な企業が訪れ、新たな製品開発のヒントをつかんだという。
▽カスタマーテクニカルセンターの様子
「私たちの技術をたくさんあれこれ見るなかで、『あ、これってうちのあの課題解決に使える』と、そんな発見を少しずつしていただく中で、違う分野に使われるようになることもあります」(センター長・花島香織)
この日、訪れていたNTTドコモの社員たちもある商品に興味を持ったようだ。
「これは木ではなくて、木のように見える内装用のフィルムです」(花島)
木目をデザインしたフィルムは、内装用の壁紙としてありふれたものだが、これは、よく見ると表面に小さな凹凸があり、木の肌触りまでリアルに再現されているのだ。
するとNTTドコモ側に、このフィルムの面白い使い方がひらめいた。
「アンテナ設置って景観を乱すということで、問題視される方もいらっしゃるんです。アンテナがあたかも木に見えるように、景観を乱さないということができるならよいと思います」(NTTドコモ執行役員・中村武宏さん)
アンテナや支柱にこのフィルムを貼れば、景観と調和するのではないかと考えたのだ。
「最先端の素材を見るとやはりいろんな発想が浮かぶので、よりよいものが組み上がっていって、みんなでウィンウィンになれます」(中村さん)
※価格は放送時の金額です
~ 村上龍の編集後記 ~
15%カルチャー、社外の人には理解しづらい。社員の勤務時間の15%を、ビジネスに役立つと考えることであれば、自分自身の興味のある研究やプロジェクトのために使っていいという「不文律」なのだが、わたしたちはその15%を、本業である85%と分けて考えがちだ。
15%は、はっきりと分けられていない。渾然一体となっている。宮崎さんは法務一筋で、経営に迎えられた。法務と経営は親和性がある、宮崎さんの考えであり、3Mとしてのポリシーだった。
<出演者略歴> 宮崎 裕子(みやざき ひろこ) 埼玉県生まれ。1992年、慶應義塾大学法学部卒業。 1996年、弁護士登録。2005年、ニューヨーク市弁護士登録。2007年、デル法務本部本部長就任。2017年、スリーエムジャパン入社。2021年、代表取締役社長就任。 |