この記事は2022年11月3日に「テレ東プラス」で公開された「世界が認める メードインジャパンの大逆転劇:読んで分かる『カンブリア宮殿』」を一部編集し、転載したものです。
目次
焼き鳥店の強い味方~何にでも串を刺せるスゴいマシン
東京・銀座の人気店「俺のやきとり」。「俺のフレンチ」などを運営する「俺の株式会社」の焼き鳥店だ。毎朝届く国産鶏だけを使ったこだわりの焼き鳥。コンセプトは「厳選食材をリーズナブルに」。焼きあげるのは一流料亭で30年間、腕を磨いた職人だ。
ツクネ、ボンジリなど「おまかせ串五本盛り」が680円。1本あたり136円という値段で出している。
安さの秘密は開店前の厨房にあった。黙々と行われていたのは串打ち。砂肝を1個ずつ手作業で打っていく。1日3,000本の焼き鳥を作ると言う。だが厨房の一角では、緑のプラスチックに鶏肉やネギを並べ、ある機械に通すと、串が綺麗に刺さって出てきた。
この機械は自動串刺し機。通常、人の手で打てるのは1時間に50本前後。だが機械なら1,500本打てる。こうして人件費を抑えることで、リーズナブルな価格を実現した。
「25人ぐらいいないと数をこなせない。この機械を使うことで半分の人数でいけます。これがなかったら無理です」(「俺の」高坂進さん)
一方、東京・八王子市の焼き鳥店「福徳」川口総本店では、パートが5人がかりで串打ちの真っ最中。焼き鳥は「串打ち3年、焼き一生」などと言われるが、菅田朋子さんは串打ち35年。その仕事はスピードを保ちながら完璧な形にしていく。丁寧だが、実は「大変です、指が曲がります」と言う。
集中力のいる辛い仕事で、店にはこんな問題もあった。
「刺す人たちの年齢が高くなってきて、若い従業員が嫌だということもあるんです」(「福徳」佐藤剛社長)
そこで半年前に導入したのが自動串刺し機。仕込みの効率が劇的に上がった。
▽半年前に導入した自動串刺し機
「機械のほうが早いです。楽だし肩こりもない」(菅田さん)
この機械を作ったのはコジマ技研工業。操作するボタンは緑のスタートと赤のストップだけ。だから誰でも使いこなせる。今年2月に入った森屋友紀さんも「機械音痴なのですが、スイッチ1つで動いて安全装置が作動してくれるので安心です」と言う。機械のおかげで生産量が増え、スーパーに惣菜として卸すことも決まったという。
活躍の場は飲食店の厨房にとどまらない。埼玉・日高市の「アサヒブロイラー」の工場では1日16万本のツクネ串を作っている。
使い道は焼き鳥だけではない。例えばお馴染みのフランクフルトや、コンビニなどのおでんの串も刺している。その他、ありとあらゆる食材を刺し、国内シェアは実に9割。世界37の国と地域で使われているのだ。
シェアナンバーワンの秘密~職人技を忠実に再現
神奈川・相模原市にあるコジマ技研工業の本社。創業41年で従業員はわずか13人のいわゆる町工場だ。社長の小嶋道弘は親子2代で会社を発展させてきた。
壁には小嶋の父で創業者・實の写真が飾ってあった。「旭日章を頂いた時の写真です。頂いた2週間後に亡くなりました。やりきったという感じで嬉しそうだったですね」(小嶋)と言う。日本の発展に貢献したと旭日章までもらった機械なのだ。
コジマ技研ナンバーワンの秘密1~職人技を忠実に再現
コジマ技研には毎日のように客がやってくる。この日は神奈川・逗子市で50年近く続く鶏肉専門店「鳥一」の柳勇次さんが相談に来た。「週末には刺しても常に売り切れ状態になってしまう」と言う。従業員6人で手打ちしているが、追いつかず、機械化を検討している。この日、試してみたのは大量生産向けマシン「MUV1」(500万円~)だ。
持参してきた店の鶏肉を取り出し、実際に串を打ってみる。実演してみると、あまりの速さに柳さんは唖然。出来上がった串を手にすると驚きの表情になった。
柳さんが驚いたのは職人技がちゃんと再現されていたからだ。焼き鳥の串打ちは、まっすぐに刺しただけだと肉が回ってしまい、うまく焼けない。そこで職人は串を上下させ、裁縫のように、肉を縫うようにして打っている。こうすることで肉は回らなくなるのだ。
コジマ技研はこの職人技を再現した。ポイントはデコボコのトレーにある。上から押さえつけるプラスチックにもデコボコをつけている。串を上下させるのではなく、食材を波打たせ、職人技を再現したのだ。
▽職人技を再現、ポイントはデコボコのトレーにある
「これから持って帰って焼いてみます。自分の思っていた以上のものができていると思う。スタッフと検討していきたいと思います」(柳さん)
コジマ技研・ナンバーワンの秘密2~なんでも刺せる
これまで作ってきたトレーは、それぞれの食材専用で、形が違う。つまりトレーを変えればなんでも刺せるのだ。
▽トレーを変えればなんでも刺せる
例えばコンビニなどで売られているフランクフルト用のトレー。焼き牡蠣を作るのに使うトレーは、広島の食品会社のリクエストで作った。創業41年で、作ったトレーは2,000種類を超えると言う。社訓は「依頼された仕事は絶対に断らない」。
「『できない』と言わないようにしています。それは先代の教えでもあるので」(小嶋)
上から「△、〇、□」という形になっているのは、大手コンビニチェーンの要望で開発したおでん用のトレー。エビ用のトレーは寿司店から頼まれたのだが、その際、「尻尾が開くように打ってほしい」という難題が突きつけられた。そこで、押すと尻尾が開くポイントを探し当てる。
開発は2カ月がかり。上にピンポイントで突起をつけ、見事、尻尾を開かせた。うずらの玉子用のトレーも。実は楕円形で真ん中に刺すのが難しいのだそうだ。
ニジマス用のトレーも設計していた。魚を縫うように串を打つのは難しいが、トレーを使えば簡単にできる。
「水産図鑑などを読んで、魚の特徴を研究していきます」(営業技術部・齋藤信二)もはやコジマ技研に刺せないものはないのだ。
▽コジマ技研に刺せないものはない
2度の裏切り&借金……〜崖っぷちからの大逆転
創業者・小嶋實は、実は何度も人に裏切られた波瀾の人生を送ってきた。
もともとはベアリング工場の機械工だったが、1965年、32歳にして独立。友人とともに機械設備の会社を作ったのだが、44歳の時に事件が起きる。友人が会社名義で金を借り、そのまま行方をくらましてしまったのだ。会社は倒産し、實は3,000万円近い借金を背負うことになった。
「父は人が良くすぐだまされちゃう。返す義理、法律的な義務はなかったのですが」(小嶋)
結局、10年かけて3,000万円を返済することになった。借金を返しながら、實は近くの焼き鳥店で酒をあおり、やるせない気持ちを紛らわした。その店はツケで飲むことができたのだ。
そんなある日、転機が訪れる。いつものように酒をあおっていると、店主が「今日はもう焼き鳥がなくなった」と言う。「なぜもっとたくさん仕込んでおかないんだ」と、文句を言ったところ、「串打ちは大変。串打ちの機械作ってくれたら、今までのツケをチャラにしてやる」と言われたのだ。
「よし、やってやるよ」と、売り言葉に買い言葉で串刺し機の開発が始まった。次の日には開発に取り掛かり試作機はわずか1カ月で完成。ところが、それで作った焼き鳥は肉が縮み、串がこげてしまった。すると實はますます没頭する。
「ひどかったです。お金は入ってこない状況で、母も内職をしながら家計を支えて、その中から少しずつ返済していた。相当、苦労したと思います」(小嶋)
家庭を顧みず、實は突き進む。なじみの焼き鳥店にアルバイトで入り、本職の串打ちを学んだ。職人は串を上下に動かしながら肉を縫うようにして打ち、焼いても回らず、隙間が出ないようにしていることに気づいた。
しかし、機械では串を一直線にしか打てない。實は考え抜いた末、デコボコしたトレーで挟み、肉を波打たせて串を打つ方法を思いつく。1号機の完成まで2年の歳月がかかったが、實はやり遂げた。
1977年、1号機を完成させた實は、焼き鳥店や精肉店へ売り込んで回った。ところが営業先ではとんでもない目に遭った。
「実は世の中にはすでに20数社、使い物にならない串刺し機を作っている会社があったんです。でも職人の技を再現していない。単純に突き刺すだけの機械なので、肉を焼くと回るし縮む。串が燃えることも多かった。売り逃げに近かったと思います。だから父が営業に行くと、包丁を持って追いかけられたり、使い物にならない機械の代名詞だとひどい言葉で言われたりしたそうです。それでも父は機械をワゴン車の後ろに乗せて、ハッチバックを開けて、見てもくれない店先で実演して、興味を引いたら店の人が出てくる……」(小嶋)
さらに實の苦難は続く。1号機の完成後、トレーを発注していたメーカーが、設計図から勝手に類似品を作って売り出したのだ。「分散すればいいのに、その1社だけに図面を渡していたら、それをコピーされた」(小嶋)というのだ。
「最初は訴えようと準備していましたが、お金も時間もかかる割に見込めるものがないことに気が付いた。コピーする企業はコピーしかできない、どうせ使い物にならない機械しか作れないと。うちは新しい商品をどんどん出してお客さんにアピールするという考え方に変わりました」(小嶋)
町工場の世界戦略~野望は全自動串刺し機
やがて實の「串刺し機」は卸した先々で大評判となり、その噂は大手にも届く。1985年には名前を知られた食品メーカーから、アメリカンドッグ用の串刺し機27台という大量注文が入った。さらに2000年には大手コンビニチェーンからおでん用の串刺し機を大量受注。こうしてコジマ技研は国内トップシェアへと上り詰めていったのだ。
その当時、2代目の道弘は建設会社に勤務。家業は弟・雄士に任せていた。
「もともとうちの父の下で弟が仕事を継いでいたのですが、その弟が急死してしまったんです」(小嶋)
そこで2012年、道弘は49歳にしてコジマ技研に入社。後を継ぐことになった。そして狙ったのが海外だ。
「旅行や仕事で海外に行った時に『こんなものを串に刺しているんだ』『こういう発想もあるんだ』と、ニッチなりにいろいろな需要があることがわかりました」(小嶋)
道弘は海外向けのホームページを作成。写真や文章だけでなく動画を載せ、どんな機械か、ひと目でわかるようにした。串刺し機の仕組み、串打ちの速さ、その仕上がり具合などを見せ、品質の高さをアピールすると、世界各国から注文が舞い込んだのだ。
スペインからはおつまみの串、ピンチョス。アメリカからはグミの串刺し。こうしてコジマの串刺し機は今や37の国と地域に広がった。
▽コジマの串刺し機は今や37の国と地域に広がる
また、道弘にはもう1つの大きな野望があった。
埼玉・日高市の取引先「アサヒブロイラー」の工場の片隅では、コジマ技研の「秘密の研究」が行われていた。
開発しているのは全自動ロボット。上にはカメラがあり、鶏肉の位置を特定。人の手を介することなく鶏肉をトレーまで運んでくれる。
▽開発している全自動ロボット
「飲食業界は人手不足が言われていて、串刺し機が売れなくなる可能性もある。串刺し機とロボットをセットで販売するというわけです」(前出・齋藤)
自動ロボットは3年以内のデビューを目指し、精度を磨いている。
~村上龍の編集後記~
見た感じは町工場で、売上は2億数千万円。だが、作っているものはすごい。串を、肉、その他ほとんどすべてに打つ。驚いたのは、エビの尻尾の真ん中に針を打つと、尻尾がきれいに開く、その一点をめがけて針が当たるように機械をセットするという話だった。
それくらいすごい機械を作っても、基本、1台しか売れない。もっと儲けてください、と小嶋さんに言った。「そうですね」と笑いながら答えたが、技術に絶対の自信を持っていて、誇りもある。今くらいがちょうどいいのかもしれない。