この記事は2022年10月20日に「テレ東プラス」で公開された「借金4億円を背負った男~愛と執念の経営術:読んで分かる『カンブリア宮殿』」を一部編集し、転載したものです。
目次
八ヶ岳山麓に1日1万人も~客を呼ぶ極上寿司とマイクパフォーマンス
名峰・八ヶ岳の麓にある山梨・北杜市のスーパー、ひまわり市場。駐車場には東京、愛知など他県ナンバーの車が並ぶ。多い日には1万人が訪れるという。
▽多い日には1万人が訪れる「ひまわり市場」
ここまで客を引きつけるのは、まずは地元農家の採れたての新鮮野菜やフルーツ。朝届いた高級ブドウ「シャインマスカット」(一袋3,219円)は東京のスーパーよりぐっと安い。「ステーキなす」(214円)は白くて大ぶり。厚切りにしてバター醤油で焼き上げるとジューシーでトロトロになる。
▽朝届いた高級ブドウ「シャインマスカット」
精肉コーナーでメインに扱っているのは群馬のブランド牛「上州牛」。パンコーナーも人気で、1番の売れ筋は食パン「パン・ド・ミ」(356円)。「おいしい学校」という地元のパン工房から仕入れており、通常よりも生地の水分量を増やし、高温かつ短時間で焼き上げることで、しっとりふわふわのパンに仕上げているという。
地元の商品だけではない。「九州でしか売っていない」というのは長崎のご当地せんべい「チョーコーしょうゆかめせん」(300円)。富山県のカフェで大人気の「自家焙煎コーヒーロール」(429円)は富山県産の小麦粉や牛乳などで作られ、ひまわり市場ではこの半年で1万個も売り上げた大ヒット商品になった。
他にも秋田の「比内地鶏塩らーめん」(429円)、広島の「辛辛つけ麺」(514円)、岡山の「塩ぽんず」(715円)、徳島の「ひとくち蜜芋」(810円)など、東京の高級スーパーでも滅多にみられない全国から選りすぐりの商品が並んでいる。
店内でひときわ賑わっているのが寿司コーナー。多くのスーパーはシャリを機械で握っているが、ここでは職人たちが手でさばいて握る本格派だ。「ウニを2つとヤリイカ」などと注文を受けた店員が伝票に書いて職人に渡している。毎週土曜日は寿司を一貫ずつ注文することができるのだ。
ひまわり市場社長・那波秀和(53)のマイクパフォーマンスは今や店の名物だ。
▽ひまわり市場社長・那波秀和さんのマイクパフォーマンスは今や店の名物
「1頭の大きなお馬さんからわずか数キロしか取れない。次にいつ会えるかわからない。なんて罪な男……じゃなくて馬刺し……」
馬刺しはたちまち売り切れになった。売り込むのは商品だけではない。
「この職人たちがすごいんです。まずは向かって右側、究極の職人ハマさん。ひまわり市場の親方です。築地『江戸銀』で20年の修業の後、この八ヶ岳に本物の寿司を伝えにやって参りました。人呼んで『八ヶ岳寿司界のフランシスコ・ザビエル』……」
この語り口が客を引きつける。
「ただ並べるだけでは売れないですよ。これだけ店が増えて、ネット販売ができてボタン1つで次の日には何でも手に入る時代に、お客さんに手に取ってもらうのは簡単なことではない。こちらの心が伝わって、初めてお客さんは商品を手に取ると思います」(那波)
倒産寸前からの脱出作戦~何でも仕入れる&オリジナル商品
ひまわり市場は那波が社長となった13年前、倒産寸前だった。そこから脱出するため、那波はさまざまな作戦を打ち出していく。
作戦(1)~ 何でも仕入れる
それまでのひまわり市場は、安さで勝負するどこにでもあるスーパーだった。那波は安売り路線をやめ、売り場の担当者に、良い品と思ったら高くても仕入れるよう指示した。
この日、甲府市地方卸売市場に仕入れにやってきた鮮魚部門のリーダー・石井正大が真っ先に目をつけたのは秋田県産の「アラ」。スーパーでは滅多にお目にかかれない値が張る高級魚を迷いなく買った。さらに白身の高級魚として知られる「ノドグロ」も買う。
▽白身の高級魚として知られる「ノドグロ」
「勇気がいりますが、どこにでも売っているものだと面白くない」(石井)
「こういう魚がスーパーで売れることに毎回感心します。高級なお寿司屋さんでも持っていなかない魚を持っていく」(「菊島商店」社長・菊島光海さん)
那波が指示しているわけではない。
「一切、指示は出さない。私よりすごい社員はたくさんいるから。良い商品を信念があれば『私がマイクパフォーマンス等で全力で売る』と。売れなかった私のせいです」(那波)
すると、全国の良い品があると口コミで広がり、客が集まるようになったのだ。
作戦(2)ヒット商品の開発
ひまわり市場では「大源のメンマ」(100g 303円)など、オリジナル商品の開発も行っている。行列ができるほど大人気のオリジナル商品が「歴史的メンチカツ」(540円)。ぜひ味わいたいと、東京や関西からも客がやって来る。あまりの人気に抽選制を採用。土日の昼と夕方限定で1回50個だけ。多い日には200人以上が並ぶという。
このメンチカツの肉は松坂牛7割に鹿児島産の黒豚が3割と贅沢極まりない。抽選会で当たった人は大喜び。ほとんどがアツアツのうちにガブリと口に入れる。
▽松坂牛7割に鹿児島産の黒豚が3割と贅沢極まりない「歴史的メンチカツ」
こうした作戦で、ひまわり市場は那波が社長に就任して以来、右肩上がりで成長を続けている。
「ひまわり市場もネット販売をやってはいますが、相手がどなたか分からない商売は身が入らない。生きた人間が生きている人間に生きた商品を売る。これだけは譲れないポリシーです」(那波)
借金4億円背負って四苦八苦~弁護士がまさかの救世主に
那波は成蹊大学卒業後、大手スーパー「ヤオハン」に入社。声の大きさを買われて、鮮魚担当になった。しかし1997年、29歳の時に「ヤオハン」が経営破綻。その後、山梨の魚市場で働き始めたことで運命の扉が開く。
「甲府の市場で魚の配達と営業をしていたんです。その得意先の1軒がひまわり市場。店長さんが辞めちゃうということで誘われました」(那波)
誘いを受けてひまわり市場に入社。いきなり店長になった。
だが、すぐに後悔する。古参の社員たちは、仕事中なのに事務所でゲーム三昧。クレームが来てもレジ係に押し付けて、われ関せず。さらに近くに大型ショッピングセンターができたことで、客足が遠のき、売り上げも悪化していった。
社員を集めて「商品の陳列をもっと工夫して、お客様が選びやすいように変えてみないか」と言っても、古参社員は聞き耳を持たなかった。
すると那波は「1人でやります」と宣言。翌日から商品を1人で並べ替え、クレームにもすべて1人で対応していった。すると1年後、レジ担当の女性たちに変化が表れた。
女性社員たちは「那波さんのやり方を見て、私たちはこの人についていきたい、と」「この人だった何かやってくれると思った」と、当時を振り返る。
那波に賛同する社員が増え出すと、居づらくなった古参たちは次々と辞めていった。こうして社員全体の士気は上がり、店の雰囲気もよくなっていく。
しかし、肝心の売り上げはあがらない。ついに2009年、オーナーは社長の座を那波に譲り、店を手放した。すると就任早々、絶体絶命のピンチがやってくる。ひまわり市場に4億1,000万円もの借金があることが発覚したのだ。
「その月の決済ができないから、とりあえず銀行に飛んで行った。でもみんな断りますよね。そんな会社には誰も貸さない。地域の金融機関が一つだけ『分かりました、2,000万円融資しましょう』と。『その代わり、今までの借金をあなたが保証してください』と言われました」(那波)
悩んだすえに那波は条件をのみ、4億1,000万円を個人の借金として背負う決断をする。「とにかく売上を上げるしかない」と躍起になって働くが、結局店は競売にかけられることになった。
追い詰められた那波がさまようようにたどり着いたのが「清里大橋。1回だけあきらめた時があった。一瞬、いなくなってもいいかなと」。
そんな瀬戸際に立たされた那波に救いの手を差し伸べる人物が現れた。破たんした親会社の管財人を務める平田達弁護士だ。
▽破たんした親会社の管財人を務める平田達弁護士
平田さんは個人の資金でひまわり市場を競売で落札し、那波に経営を続けさせてくれたのだ。「なぜここまでしてくれるのか」と尋ねる那波にこう答えたという。
「君はいい目をしている。商売をなんとか続けたいと必死になっている。そんな君を応援したくなっただけだよ」
2年前に亡くなったという平田弁護士の人柄を家族に聞いた。
「自分が弁護士として儲かるということより、関わった人がどうやったら幸せになれるかということを考える父だったんです」(長女・信子さん)。
「(昔は)給料無しの生活でした」(妻・慶子さん)
『確かにあげちゃったし、なくなっちゃったけど、また俺が稼ぐから』と言う人でした」(信子さん)
そして平田弁護士は那波にひとつのアドバイスを与えた。
「先生の『良いトマトを売りなさい』という言葉が全て。良い商品を揃えると、良い商品にはちゃんと利幅がある。お客さんが喜んでリピーターになってくれる。良い食材を売る店はお客さんが増える。その根っこが『良いトマト』だったんです」(那波)
平田さんの温情に報いるため、那波は店を立て直そうとがむしゃらに働く。成城石井の元バイヤーには、品質の良い商品を仕入れる方法を教わった。そして仕入れた商品を売るため、死に物狂いで客に訴えかけた。
そうした努力が少しずつ実を結び、社長就任から12年、ついに借金を完済したのだ。
元ホストに元ラーメン店長~那波流で従業員をやる気に
平田弁護士からもらった恩を那波はこんな形で返している。
北杜市の中村農場はひまわり市場に卵や鶏肉を卸しているが、「那波さんは値切ることなく、言い値で買ってくれる。値段に関して今まで1度も言われたことがないんです」(社長・中村努さん)と言う。
▽生産者にしっかり利益が出てお客も満足する商売、それが恩返し
「作り手のコストは削らないというのがまず大前提。作った生産者の人もちゃんと利益があって、うちも手数料があって、買ったお客さんも大喜びする。その図式の食材だけに特化している」(那波)
生産者にしっかり利益が出てお客も満足する商売。それが恩返しなのだ。
その思いは社員の採用にも込められている。店長の中村和希は異色の経歴の持ち主。「ホストをやってました」と言う。
ひと旗あげようと上京し、20代半ばまで新宿・歌舞伎町でホストをしていた。その後、山梨に戻り、実家の青果店で働いていた時、出会ったのが那波だった。
「那波さんは人に対しても商売に対して熱いものがあって、社長の元で働いたら楽しいだろうなと思って」(中村)
ホストで身につけた接客術はいまも生かされている。
「例えば傷んでいた商品があってお客さんが怒るじゃないですか。中村が謝ると『いいわよ、次から気をつけて』となる」(那波)
生産者ともすぐ打ち解ける。この日は契約農家の横森政純さんを訪ねた。いい野菜を届けてくれるのも「飲みに行きましょう」などと言い合える関係を築いているからだ。
一方、東京のラーメン店で雇われ店長をしていた高野は、4年前、農業に憧れて山梨に移住してきた。しかし、「(農業を)うまくやれず生活に困っていて、貯金が底をつきそうな時に、『ここで働かせてもらえないか』と話したら、助けてもらった。」
▽行き場を失いそうな若者を積極的に採用
那波は行き場を失いそうな若者を積極的に採用。時には自宅に招き、食事を振る舞うこともある。こうして絆を深めていく。
「ひまわり市場で働けたことで生活も安定して、この地に根付くことができた。しっかりやれば見てくれる社長がいると思って、これからも頑張りたいです」(高野)
客の川田さん夫婦は、東京に家を残したまま、6年前から八ヶ岳に住み続けている。
「ひまわり市場があるから定住を決めたんです。好きなもの、新鮮なものが食べられて、従業員の方が気さくに声をかけてくれる」
川田さんのように、ひまわり市場があるからと移住してきた人は、70組以上になるという。
~村上龍の編集後記~
那波さんからプレゼントがあった。ワインと生ハムとおかき。ワインと生ハムは、わたしの好みとわかるが、おかきにはびっくりした。「最近、寝る前におかきに凝ってて」と、本当にごく親しい人にしか言っていない。
那波さんは「徹底的に相手のことを知る」らしい。鮮度、品質に徹底的にこだわった商品を仕入れ、ポップであれ店内放送であれ、活かせるものはすべて活用し、魅力を客に最大限に伝える。しかも全社一丸となってやる。それで個別にみんな楽しんでいる。