カンブリア宮殿,東急
(画像=テレビ東京)

この記事は2023年4月6日に「テレ東プラス」で公開された「鉄道だけじゃなく街づくりでも大躍進!生き残りをかけた東急の挑戦:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。

目次

  1. テレビカメラ初潜入!~いま注目のエンタメタワー
  2. 鉄道ビジネスは転換期!?~沿線外でも商機をつかめ
  3. 赤字ビジネスを続々と再生~発想の転換でバス事業を黒字化
  4. 仙台空港の立て直しを陣頭指揮~客を呼び込む逆転発想術
  5. 地域の悩みを解決せよ~「住みやすい街」実現計画
  6. ~村上龍の編集後記~

テレビカメラ初潜入!~いま注目のエンタメタワー

全国にその名を知られる歓楽街、新宿・歌舞伎町。今、この街を訪れた人たちが見上げるのは、4月14日にオープンする新宿の新たなランドマーク「歌舞伎町タワー」だ。

今回、カンブリア宮殿がテレビ初潜入。まず案内されたのが映画館だ。左右の壁を使った3面ワイドビューシアターで特別な臨場感を体験できる。客席も常識を覆す豪華さで、全席がプレミアム席(4,500円)。中央部にはさらに一段上をいくスーパープレミアム席(6,500円)も用意した。隣が気にならない作りで電動リクライニング付きだ。

▽左右の壁を使った3面ワイドビューシアターで特別な臨場感を体験できる映画館

カンブリア宮殿,東急
(画像=テレビ東京)

地下にはライブホール「Zepp新宿」が入った。巨大なシースルーのLEDビジョンがあり、ビジョンの後ろでパフォーマンスしながら登場、という不思議な演出も可能だ。

開店準備中の店が並ぶフードホール「新宿カブキホール」のテーマは「祭り」。縁日に迷い込んだようなエンタメ・フードホールを作ろうとしている。その一角にはステージも設置。

▽「Zepp新宿」縁日に迷い込んだようなエンタメ・フードホールを作ろうとしている

カンブリア宮殿,東急
(画像=テレビ東京)

「阿波踊りなど地方の祭りを誘致して、祭り、歌、お笑いなどエンターテイメントと食を合わせたイベントを企画しています」(「新宿カブキホール」・山田安孝さん)

提供するのは郷土色溢れる全国各地のご当地グルメ。三陸で獲れた大粒の牡蠣の「カキとアスパラバター鉄板焼き」(879円)、香川県で大ブームの「親鳥骨付き鶏一本焼き」(1,429円)、佐賀の「玄界灘ブリの刺身」(1,649円)などを、イベントを楽しみながら味わえる。

▽「新宿カブキホール」提供するのは郷土色溢れる全国各地のご当地グルメ

カンブリア宮殿,東急
(画像=テレビ東京)

上層階はホテル「ベルスター東京」。最上階のペントハウスは広さ277平米で1泊316万2,500円。一番の売りが地上200メートルからの眺めで、東京が一望。東京湾の先には房総半島まで見える。夜になれば、夜の東京に浮かんだような気分が味わえる。

テラスプールのあるレストランや最先端のアトラクション体験ができる施設も入り、オフィスフロアはなし。1棟丸ごと「エンタメビル」なのだ。

歌舞伎町タワーを作った「東急」。渋谷を起点に路線を伸ばし、1日の利用客は491万人(2021年度)にのぼる。沿線には全国的にも有名な駅が目白押し。今年3月にも新たな路線「新横浜線」を開業させた。

2月16日、東急社長・髙橋和夫(66)が視察で横浜市にある東急電鉄・日吉駅を訪ねていた。向かった先はホームの中にある信号のコントロール室。そこから見えるトンネルの先には新横浜駅、さらに相鉄線へとつながっていく。総事業費2,900億円をかけたプロジェクトだ。この路線が開通し、渋谷から新横浜は、乗り換えなしで最速25分に。相鉄線ともつながり、より便利になった。

他にも多くの鉄道会社と相互乗り入れするなど、便利さを追求して東急は成長してきた。

鉄道ビジネスは転換期!?~沿線外でも商機をつかめ

カンブリア宮殿,東急
(画像=テレビ東京)

1922年、東急の前身「目黒蒲田電鉄」が設立。沿線開発の象徴とも言えるのが田園調布。1920年代は何もなかった場所だったが、イギリス式の街づくりのノウハウを取り入れて総合的に整備。高級住宅地の代名詞となる街を作り上げた。

鉄道を通し、便利になった土地に魅力的な街を作り、そこを拠点に様々なビジネスを展開する。これこそが東急を成功に導いたビジネスモデルだ。

その集大成が渋谷。100年に一度と言われる再開発が続いているが、東急はただ箱を作っているだけではない。例えば11年前に開業させた「渋谷ヒカリエ」。誘致した店には明確な狙いがあった。

例えば三つ星フレンチのベーカリー「LE PAIN deジョエル・ロブション」。一味違うオシャレなパンを求め、店には落ち着いた年代の女性客が数多く通ってくる。「ヒカリエ」は大人の女性をターゲットにした店を入れ、渋谷に呼び込んでいるのだ。

一方、4年前に開業した「渋谷ストリーム」。昼時、その周辺には社員証をぶら下げランチに出てくるビジネスマンが目立つ。東急は「グーグル」を始めとするIT企業なども誘致。そのオフィススペースは東京ドーム7個分まで拡大していくという。

若者が遊びにくる街だった渋谷は今や大人が買い物し、働く街、あらゆる世代が集まる街になった。

しかし「沿線開発からの街づくり」というビジネスモデルにも翳りが見えているのも事実。沿線の高級住宅地、目黒区洗足では住民の高齢化が進む。原因の一つは高い家賃。例えば2LDK、50平米ほどの物件で家賃は22万円を超える。1LDK、45平米のマンションでも20万円近い。これでは普通のサラリーマンは住めない。

「賃料が高いので子育て世代は洗足に住めない状態になってしまいました」(「中川不動産」・中川顕三さん)

東急は2035年をピークに沿線の人口が減り始めると予想、危機感を強めている。そこで下した大きな決断が「東京急行電鉄」から「東急」に社名を変更すること。街づくりの会社として、新たなステージに入ろうとしているのだ。

「従来と違ったビジネスを提供していかなければいけない。沿線外のようなエリアも挑戦していかないと」(髙橋)

沿線以外にも進出し、ビジネスの場を作る。まさにそれをやろうとしているのが新宿・歌舞伎町なのだ。

西武新宿駅からすぐの場所にある歌舞伎町タワーを入社以来ずっと担当してきた再開発プランナー・田中麻理子は「まさかの沿線外から始まるとはビックリ」と笑う。田中はまず、地元の商店街組合とタッグを組んだ。

「『エンタメシティ』を歌舞伎町は目指しているので、『歌舞伎町は怖い』というイメージをできるだけ払拭したい」(『歌舞伎町商店街振興組合』副理事長・大塚隆さん)

そのためには、まず人が来たくなるように変えようと、東急が街と一緒にやったのが「歌舞伎町タワー」周辺の歩道の整備だ。以前は雑然としていて若い女性に敬遠されがちだった道を、歩きやすい綺麗な歩道に生まれ変わらせた。狙いはあたり、「若い女性がすごく増えましたね」(大塚さん)と言う。

街のイメージをアップさせながら、田中はエンタメシティ・歌舞伎町をアピールするイベントも打った。今年2月5日に行った音楽とダンスのイベント「アートの禱り」には、歌舞伎町には少なかった若い女性や小さな子どもを連れたファミリーの姿も見られた。

「歌舞伎町の魅力を知っていただくために、エリアとして発信していきたい」(田中)

▽音楽とダンスのイベント「アートの禱り」エンタメシティ・歌舞伎町をアピールする

カンブリア宮殿,東急
(画像=テレビ東京)

赤字ビジネスを続々と再生~発想の転換でバス事業を黒字化

2022年9月、都内のホテルの一室で行われていたのは、東急設立100周年の記念イベント。だが、ステージに上がった髙橋はニコリともせず、社員に厳しい言葉を投げかけた。

「私たちがこれまで提供してきた暮らしの場や人の移動は、その意味が大きく変わろうとしている。変わることを恐れずに、小さくてもいい、行動しよう」

社会が大きく変わっている今、東急も変わらなければ生き残れないと訴えたのだ。

▽「変わることを恐れずに、小さくてもいい、行動しよう」と語る髙橋さん

カンブリア宮殿,東急
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髙橋自身もまた、サラリーマンとして幾度も逆境を乗り越えてきた。出身は新潟県。一橋大学を卒業後の1980年、東京急行電鉄に入社。配属されたのは、社内では日陰とされたバスの事業部だった。

髙橋が担当したのはバスの運行を管理するカウンター業務。しかし、80年代当時は道路の渋滞が激しく、運行が予定の2、3倍かかることもざら。「バスは時間が読めない」と、客離れが進んでいた。バス事業は大赤字。毎年10億円もの赤字を垂れ流すお荷物部署となっていた。

そんな中、髙橋は30代半ばにして、バス事業の立て直しを任された。そこで髙橋は、赤字路線の廃止などを行い、コスト削減をはかる。しかし、その結果は「費用を減らすためにバスの本数を減らすと、もっと乗りづらくなる“負の連鎖”。良くなかったという気がします」(髙橋)。

バスはますます不便になり、客離れが加速。出口が見えなくなる中、さらに追い討ちをかける出来事が起こる。1996年、国はバス事業の規制緩和を発表。参入規制がなくなり、誰でも乗り込めるようになったのだ。

髙橋は若手社員を集め、新規事業を模索し始める。しかし社内の空気は「少数の特に若手を中心にしたプロジェクトだったので、社内には『何をやっているんだ』という冷ややかな雰囲気もあったと思う」(「東急バス」社長・古川卓)

そんな中でも髙橋は、バスの路線図を見ながら打開策を考え続けた。そしてある日、どの会社もバスを走らせていない空白地帯があることに気づく。そこは渋谷と代官山の間の高級住宅地。坂道や狭い道が多く、バスの乗り入れの難しいエリアだった。

しかし現場を見に行った髙橋は、そこで自転車を押して坂道を登る親子や両手に買い物袋を抱えてタクシーから降りてくる高齢者を目にして、「ここにバスを走らせれば喜んでもらえる」と確信する。

▽渋谷と代官山の間の高級住宅地を走るミニバス

カンブリア宮殿,東急
(画像=テレビ東京)

まず、狭い道に対応するために当時はほとんど使われていなかったミニバスを採用。さらに停留所の間隔を短めにし、便数も増やすなど、利便性を高めて走らせた。するとこのバスが当たる。社内の予想を覆し、年間20億円を売り上げる繁盛路線となったのだ。

「バスは本来、乗りやすいです。駅まで行かなくていいし、タクシーほど高くない。利便性が確保できればお客に利用してもらえる」(髙橋)

以後、東急は通常の路線バスも時間が読める便利な乗り物にしようと取り組んでいく。遅れの原因となっていたバスレーンの違法駐車を、警察と一緒に社員で見回り、運行を改善。バスがあとどれくらいで来るか分かるシステム「バス接近情報」も、2002年、ライバルに先駆けて導入した。こうした地道な取り組みを続けると、2003年、乗客数はついにプラスに転じた。

仙台空港の立て直しを陣頭指揮~客を呼び込む逆転発想術

髙橋はバスに続き、畑違いとも言える仙台の空港の立て直しも行った。

宮城・名取市の仙台国際空港はかつて国が運営していたが、赤字が続き、民営化。東急が選ばれた。仙台~東京は新幹線でおよそ90分。だから仙台空港にはドル箱とも言える東京便がなく、利用客は少なかった。さらに東北特有の土地柄もあったと言う。

「東北の人はあまり旅行しないんです」(髙橋)

実際、東北地方のパスポート保持率は11.8%と、全国平均23.1%のおよそ半分(2016年)。海外旅行に出かける人が少なかったのだ。

こんな難しい赤字案件を東急が引き継いだのは2016年。陣頭指揮を取ることになった髙橋は、発想を転換する。

「空港に行くこと自体が目的になって、『今日は空港で遊ぼう』という家族がいれば、楽しいじゃないですか」(髙橋)

3月10日、空港の一角で客を集めていたのは、震災で海水に浸かったピアノのコンサート。こうした地域交流やイベントの場とすることで、人の流れを呼び込んだ。

▽空港の一角で客を集めていたのは、震災で海水に浸かったピアノのコンサート

カンブリア宮殿,東急
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空きスペースを利用して空港に来た人が立ち寄りたくなるお土産コーナーも新設。宮城に限らず東北各地の商品、しかもデパートやスーパーには売っていない珍しいものを集めた。売り場はまるで物産展だ。

その一方で、台湾など近場の海外路線を増設すると、仙台空港の利用客は3年で60万人アップ。見事、黒字に転じた。

地域の悩みを解決せよ~「住みやすい街」実現計画

東急が実験的な取り組みを始めている。

舞台は田園都市線郊外、横浜市「すすきの団地」。集合住宅が多く、住民の半分は65歳以上だ。近所の「虹ヶ丘小学校」は全校生徒を合わせても150人以下。ここに東急が作ったのが「ネクサスチャレンジパーク早野」だ。

サッカー場1面分ほどの広さに子どもたちの遊び場や農園があり、地域の人が利用できる。施設には東急の社員が常駐。その1人が、入社24年目の沿線戦略推進グループ・上田朗だ。

「人が集まって会話をして楽しむ場所だととらえています」(上田)

この日は、朝から子どもがやってきた。棚を用意し、本を並べ出した。これは子どもたちが提案してやることになった青空図書館。午後には地域の人たちが続々とやってきた。こうやって、ここから地域のコミュニティーが生まれている。

▽「青空図書館」ここから地域のコミュニティーが生まれている

カンブリア宮殿,東急
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子ども連れの母親のひとりは「小学校のお友達だけではなくて、土日には地域の高齢者や近所の方も来るので、いろいろな世代と触れ合える。そういう場所は今までなかった」と言う。さまざまなイベントも開催。地域に住んでいる人以外もやって来て、思い思いの時間を過ごしていく。

集まった人たちに上田はアンケートを始めた。東急がここを作った本当の狙いは「住みたくなる町」の答え探しだ。

「この街に『入ってきたい』、『住みたい』と思わせることが必要だと思います。そういう魅力をこのエリアにつくっていくのが第一歩」(上田)

住民の声を受け「チャレンジパーク早野」の近くでは実証実験が行われた。自動運転のバスを走らせたのだ。東急バスで培ってきたノウハウを活かし、近い将来の導入を目指して試した。

「移動の足がなく不便」という高齢者は多く、実現すれば朗報となる。「もっと住みやすい街に」という東急の挑戦にゴールはない。

~村上龍の編集後記~

カンブリア宮殿,東急
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髙橋さんは、小中高、新潟の雪国で育った。就職は東京急行電鉄を選び、入社直後の社内報に好きな言葉として「ケ・セラ・セラ」と書いた。

志望部門を聞かれたときも「どこでもいいです」赤字続きのバスに配属された。1998年から渋谷と代官山を巡回するミニバスを開始し成功する。新規事業として仙台空港運営を受託し、これも成功させた。

バス事業の成功がなければ、仙台空港の成功もなく、社長にはなっていないかもしれない。でも器だったのだ。自然と、「成長マインド」が身体に刷り込まれている。

<出演者略歴>
髙橋和夫(たかはし・かずお)
1957年、新潟県生まれ。1980年、一橋大学を卒業後、東京急行電鉄(現・東急)入社。2018年、社長就任。