この記事は2023年3月23日に「テレ東プラス」で公開された「万年4位からの下克上! 「伊藤忠」強さの秘密:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。
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就職人気ナンバーワン~万年4位から商社3冠へ
2月4日、東京ビッグサイトでは「マイナビ」主催の就活生を集めた企業説明会が開かれていた。ひと際大きな人だかりができていたブースは、売り上げ12兆円以上、純利益8,000億円という伊藤忠商事。繊維、機械、金属、エネルギー、食料など、あらゆる分野を手掛ける総合商社だ。
学生の人気は高く、経済誌「週刊ダイヤモンド」(2022年12月17日号)で特集された大学3年生の就職したい企業を見てみると、文系男子ではベスト5を総合商社が独占。トップが伊藤忠だった。
伊藤忠商事の本社は東京・青山。朝7時半、社員たちが続々と出社してきた。向かった先は社員食堂だ。そこに置かれていた食べ物や飲み物を手に取っていく。朝8時までに出社すると3品まで無料なのだ。
▽朝7時半、社員たちが続々と出社、置かれていた食べ物や飲み物を手に取っていく
朝型勤務を奨励する伊藤忠。給料も朝5時からの3時間は25%増しとなる。夜8時以降の残業は原則禁止。本気で商社マンの働き方を変えようとしている。
本社の隣には社員のための託児所を作った。こうして子育てしやすい環境も整え、社員の出生率は1.97と日本の平均1.30を大きく上回る。
かつて伊藤忠商事は5大商社の中で万年4位だった。しかしこの十数年で急成長を遂げ、2021年3月期決算では純利益、株価、時価総額の「商社3冠」を達成。売り上げの内訳を見てみると、三菱商事や三井物産が資源ビジネスで稼いでいるのに対し、伊藤忠は資源以外の利益が大きい。ここに急成長の秘密が隠されている。
秘密の一端がコンビニの「ファミリーマート」にある。あるコーナーは全部アパレル。保温インナーにカラフルなTシャツ、「今治タオル」まである。これまでの「コンビニの衣料品」とは一線を画す、豊富なラインナップを揃えている。
「ファミリーマート」は伊藤忠の子会社。タッグを組んでアパレル強化に乗り出したのだ。中でも靴下は約60種類も揃え、累計1,000万足という大ヒットを記録した。
アパレルの新商品の開発会議にカメラが入った。
「心が少し前向きになるとか、ポジティブなメッセージを表現したい」と言うのは、プロデュースにあたる世界的デザイナーの落合宏理さん。ソックスも彼が手がけた。
▽「心が少し前向きになるとか、ポジティブなメッセージを表現したい」と語る落合さん
伊藤忠商事・繊維カンパニーの高橋太一が秋冬向けに提案したのは腹巻き。落合さんも予想外だったが、「温活」ブームという説明に納得。高橋は腹巻きの色サンプルまで用意していた。しかし、「腹巻きのイメージを超えていない。愛されるブランドでなければいけないし、『ファミリーマート』らしい色を見つけていかないといけない」(落合さん)と、この日は却下された。
躍進の裏に……驚きの戦略~関連会社と「マーケットに入る」
これまで総合商社は流通の川上で資源などを調達するのが主なビジネスだった。しかし今、伊藤忠は、消費者に近い流通の川下で客のニーズを汲み取り、商品やサービスを販売している。これこそが伊藤忠の躍進を支える「マーケットイン」と呼ばれる戦略だ。伊藤忠はさまざまな分野で「マーケットイン」を推し進めている。
川崎埠頭にコンテナでフィリピンから運ばれてきたのはバナナ。「Dole」も伊藤忠の子会社。扱う量は国内消費量の20%を占める。
「バナナは日本で最も食べられているフルーツなので、膨大な量を輸入しています。自社の農園も持っているので安定した供給が可能となっています」(伊藤忠商事から「Dole」に出向中の成瀬晶子)
埼玉・和光市の「ヤオコー」和光丸山台店には「Dole」のバナナが大量に並べられていた。客がちぎって台のような物に乗せた。これはバナナの量り売り。「1本から買える」と好評だ。伊藤忠はこうして子会社とともにマーケットに入り、客のニーズに応えることで売り上げを伸ばしているのだ。
▽バナナの量り売り「1本から買える」と好評だ
伊藤忠が抱える関連会社は「プリマハム」「ヤナセ」「アンダーアーマー」「コンバース」など身近な企業が多い。その数は約280社。こうして消費者との接点を広げているのだ。
「ほけんの窓口」も伊藤忠の子会社の一つ。客からの相談に応じてさまざまな保険会社の商品を仲介するビジネスだが、この客の声こそが「マーケットイン」戦略のカギとなる。
最近は保険だけでなく資産運用の相談が増えていると言う。こうしたニーズに応えようと、NISAなど金融商品を検討し始めた。
「お客様のニーズは変わっていきます。保険も活用していきますが、サービスの幅を金融にまで広げていこうと」(「ほけんの窓口」社長・猪俣礼治)
伊藤忠本社に毎朝6時半に出社するという社長・石井敬太(62)は次のように語る。
「もはやモノが溢れており、ものだけでは売れない。消費側から物事を見てマーケットインしないと商品のデザインはできない。我々の得意分野は繊維や食料などの『川下』なので、お客様のニーズを聞きながら自分たちの商売につなげていく」
反政府デモに大洪水~危機を乗り越えた「商人」
1月4日、伊藤忠商事の本社に課長以上の社員およそ300人が集結していた。壇上に上がった石井は「商いのネタは社内にはなく現場にしかない。現場から離れればあっという間に他社に置いていかれる。当社の利益は1人の商人の商いの積み重ねです」と訴えた。
石井がことあるごとに伝えているのが「商人」の精神。ここに伊藤忠の原点がある。
創業者の伊藤忠兵衛は近江商人。1858年に麻の布の行商を始め、伊藤忠の歴史がスタートした。忠兵衛が残した有名な言葉がある。
「商売道の尊さは売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの」
この言葉から「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」という「三方よし」が生まれたと言われている。
戦後は得意の繊維にとどまらず航空機や自動車、石油などの部門を積極的に伸ばした。5大商社の一つとなり、そのポジションを固めた。ところがバブル崩壊でつまずく。
多額の負債を抱え、経営破綻まで囁かれる状況に陥った。
一方、石井は1983年に入社し、化学品部門に配属。赤字部署の立て直しなどで実績をあげると、2010年には伊藤忠タイ会社の社長に抜擢された。
ところがその直後、激しい反政府デモが勃発。軍が武力鎮圧に動き、一帯には戒厳令が敷かれた。
「朝5時くらいに電話がかかってきて『窓から外を見てください』と。見ると装甲車が走ってきた。見ないと分からないので、デモの中に行ってみました」(石井)
騒乱のさなか、石井は軍と直接交渉。会社からパソコンなどを持ち出し、ホテルに拠点を作ってビジネスを続けた。
しかし、タイでの苦難は続く。2011年には大規模な洪水が発生。被害は数カ月にも及び、多くの日本企業が痛手を負った。伊藤忠の現地社員の自宅も水に浸かったが、石井はアパートを借りるなどして対応。安全を確保しながら仕事を続けた。
「伊藤忠は『現場主義』なんです。タイ人の中に入っていくのが一番。現地の人たちの力を借りたり、一緒になって同じ目標に向かって進んでいると認識してもらう。『この人のためにやろう』と思ってもらうことが一番最初ですよね」(石井)
石井の行動の根底にはラグビーの経験がある。高校時代には花園に出場するほど打ち込んだ。ポジションは、相手が攻撃してきた時、真っ先にタックルを仕掛けるフランカー。仕事でも現場の最前線で体を張り、タイ会社の利益を5倍に伸ばした。
▽石井さんの行動の根底にはラグビーの経験がある
伊藤忠は2010年以降、当時の社長・岡藤正広の元で躍進。その戦略こそ「『マーケットイン』というテーマをひとつの目標にしています。今までのように自分たちの売りたい商品を店に置くのではなく、お客様が欲しがる商品を置く」(岡藤)
その後、会長となった岡藤から「根っからの商人」と評された石井。社長に就任し、マーケットイン戦略を引き継いだ。
コンビニの新戦略~ヒットの裏にデータあり
「ファミリーマート」では今、レジの上に大型モニターを置く店舗が増えている。
二つの画面から違っているところを探し出すゲーム感覚の動画や、かわいいペットを楽しめる動画などが流れている。いずれもファミマのオリジナルだ。ファミマの平均接客時間は27秒。並んでいる間のわずかな待ち時間も客を楽しませている。
▽「ファミリーマート」では今、レジの上に大型モニターを置く店舗が増えている
ファミマで流す新作動画の撮影スタジオに潜入した。入ってきたのはお笑い芸人のZAZY(ザジー)。27秒ピッタリのネタを撮ると言う。こうして作られた動画の合間には商品のCMも流れる。客を楽しませながら、新たなビジネスチャンスを見出したのだ。
▽ファミマで流す新作動画の撮影スタジオに潜入
この動画ビジネスを立ち上げたのは伊藤忠から「ゲート・ワン」に出向している松岡豪。「全国の店舗網と1日1,500万人のお客様の数をビジネスに変える。モニターの広告には、お店に置いてないもの、例えば動画配信やゲームの広告主さんからもお引き合いを頂いてます」と松岡は言う。
マーケットイン戦略を強化する伊藤忠だが、それを後押しするのがデジタル事業だ。伊藤忠商事の藤原洋平が向かったのは「ファミリーマート」立川北口店。櫻井鉄二店長に見せたタブレット型のモニターには、女性の姿が。名前は「レイチェル」。伊藤忠とファミマが共同開発したAIアシスタントだ。
彼女は店長が求めるデータを瞬時に表示してくれる。例えば、天気や気温と販売数の関係が分かるデータがそうだ。「前日のデータを見せて」と呼びかけるだけですぐに反応。前日のデータだけでなく、前年からどれだけ伸びたかも教えてくれた。
翌日は寒くなると予報が出た時には、温かい麺の発注を増やすアドバイスまで。AIが学習して業務を手助けしてくれるのだ。
▽「レイチェル」AIが学習して業務を手助けしてくれる
「業務が効率化されることによって、店長さんやスタッフさんが接客や売り場を整える業務に時間を割けるようになる。結果としてお客様に還元できる部分が増えると思っています」(藤原)
伊藤忠のデジタル事業は食品関連でも進化を遂げている。消費者の味の好みを知ることができるデータベース「フーデータ」を開発した。
例えば20代が好むカレーの味のデータ。さまざまなカレー商品の売り上げを元に分析したものだ。苦味や旨味、塩味やコクなどを細かく数値化。黄色は30代、緑は40代というように年代別の違いがひと目で分かる。
「フーデータ」を企画したのは伊藤忠商事・食料カンパニーの塚田健人。「例えば『カップの柄が可愛い』という20代女性の声などは定量データだけを見ていても分からないので、消費者の声で『強み弱み』を把握して、次の施策につなげていく」と言う。
数値化された味覚データだけでなく、消費行動に関するアンケートやSNSなどの声も反映。何が求められているかを鮮明にしている。
伊藤忠は「フーデータ」を関連会社だけではなく食品メーカーなどにも販売。すでに活用されている。成果を上げたのが去年、「伊藤園」から発売された「抹茶ラテ」。「フーデータ」を元にライバルよりも抹茶の苦味を強めて売ると、大ヒットした。
「今までは人の味覚に頼りがちでしたが、フ―データは数字の裏付けが得られるのがいいところです」(「伊藤園」・佐藤陽介さん)
どうする?電気代高騰~巨大商社の新戦略
横浜の閑静な住宅街で、石井が力を注ぐあるものが使われている。親子3人で暮らす西尾さん一家。日々の暮らしの中で気になるのが電気代の高騰だ。
一家が講じた対策が、伊藤忠が専門メーカーと共同開発した家庭用蓄電池の設置。屋根の上にある太陽光パネルで発電した電気をこの蓄電池に貯め、家中で使うことができるのだ。災害対策に購入する家庭が増えている。
▽専門メーカーと共同開発した家庭用蓄電池
アプリで今この瞬間に使っている電力源の割合が分かる。使っている総量は2キロワット。そのうち蓄電池からが1.7キロワット。太陽光パネルからは0.1キロワット。電力会社から買っているのは0.2キロワット、といった具合だ。
蓄電池にはAIが搭載されていて、その日の天気や電気の使用状況に応じてより安くなる電力源を選んでくれる。
「蓄電池を入れたことで電気代が3割削減され、導入してよかったなと思っています」(西尾夏生さん)
伊藤忠は現在、5万5,000台の蓄電池を販売。今後、普及が進めば国全体の電力使用量を抑えることもできると、電力会社も注目している。
「蓄電池システムはエネルギーを供給していく上で重要な役割を担っている。共同で取り組んでいくことで、早期にカーボンニュートラルな社会を実現できると期待しています」(「東京電力エナジーパートナー」・中澤裕之さん)
~村上龍の編集後記~
高校時代ラグビーの選手だった。2年生で花園に出場、敵は強豪だ。スクラムが潰れた瞬間、対する相手が突っ込んできて、ボールを持った敵が、脇を抜けトライ。ゲームに敗れた。
「おれのせいで負けた」配属されたのは化学品部門で、赤字となり、目に見えない損失があった。再建で実績を残し、タイの会社の社長に。バンコクで騒乱に直面し、大洪水に見舞われた。
それらすべて乗り切った。高校時代、自分の役割を果たせなかった。今度こそボールをつなぐ、売上高約12兆円の社長はいつもそう思っている。