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一番所である那智山の青岸渡寺からはじめた西国三十三カ所巡りの第二回目は、和歌山県の「紀三井山金剛宝寺護国院」のご紹介となります。全国的に「紀三井寺」の名で知られており、「紀州の三つの井戸が有るお寺」ということで名付けられたと言われています。
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金剛宝寺護国院に向かうためには、延々と長い階段を上ることになります。ちなみにこの長い階段は「結縁坂(けちえんざか)」という名がで呼ばれています。「結縁」というだけあって、ロマンティックな出来事がきっかけでこの名が付いたそうです。
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この、231段の急な階段を共に上ってみてはいかがでしょうか。ちなみにこの階段は延々と続いているわけではなく、年齢や厄年にちなんだ段数により名づけられており、上っている途中で振り返ると自分が生きてきた年月を感じ、上を見上げると自己の「青さ」を思い知らされるようで、実に面白いんです。
(紀三井寺ホームページより抜粋)
「江戸時代の豪商・紀ノ国屋文左衛門は、若い頃にはここ紀州に住む、貧しいけれど孝心篤い青年でした。
ある日、母を背負って紀三井寺の表坂を登り、観音様にお詣りしておりましたところ、草履の鼻緒が切れてしまいました。困っていた文左衛門を見かけて、鼻緒をすげ替えてくれたのが、和歌浦湾、紀三井寺の真向かいにある玉津島神社の宮司の娘「おかよ」でした。これがきっかけとなって、文左衛門とおかよの間に恋が芽生え、二人は結ばれました。
後に、文左衛門は宮司の出資金によって船を仕立て、蜜柑と材木を江戸へ送って大もうけをしたのでした。紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった紀三井寺の表坂は、それ以来「結縁坂」と呼ばれるようになりました。」
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現在、結縁坂の横にはケーブルカーが運行するようになり、バリアフリー化されています。快適なお参りが可能となりました。(有料)
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紀三井寺の境内からは和歌山市を一望し、そして和歌浦湾を航行する交易船、晴れていれば淡路島まで展望できます。長い階段を上り切って、一息つきながら眺めるこの景色は、今も昔も大きく変わることが無いのでしょう。
写真スポット「和製アマルフィ」こと雑賀埼漁港へ
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「和歌山市雑賀埼の建築をバックにXSR900の写真を収める」ということに憧れていたため、達成することができました。雑賀埼のノスタルジックな風景とバイクの相性は抜群。和歌山市からそれほど遠くないので、行った際はぜひ立ち寄って写真に収めていただきたいと思います。