
出身地 大阪府大阪市
経歴
1995年 エスペランサ靴学院を卒業
神戸市長田で3年の修行の後 1998年に家業のタカモトゴム工業所に入社
2006年(有)シューズミニッシュとして法人化し取締役専務に就任
2011年 事業承継し代表取締役に就任 受賞歴
2017年 大阪府優秀技能者「なにわの名工」認定
2018年 大阪市「大阪テクノマスター」認定
2024年 令和6年度 卓越した技能者賞「現代の名工」受賞
日本の伝統的な履物“下駄”に着想を得た、リゲッタという日本製のコンフォートシューズブランドを2005年に発表。
あえて大きな製造拠点を持たず、生野区内に点在する小さな町工場で300人程の靴職人の手により、各工程をバトンリレーのように繋いでいく、地域一体となった靴づくりを行っています。
これまでの事業変遷
——事業変遷についてお聞かせください。
株式会社リゲッタ 代表取締役・高本 泰朗氏(以下、社名氏名略) 創業からもう57年になりますが、もともとは私の両親が始めた小さな靴やサンダルの下請け工場がスタートでした。家の1階を工場として利用して、小規模ながら家族経営で成り立っていました。
——初めは下請け業務からスタートされたのですね。そこからどのように事業を展開されていったのでしょうか。
高本 父が山陽地方にある靴メーカー からの仕事を100%受注して製品を納品していたのですが、2000年頃、その会社が中国に生産を全面移行すると突然告げられました。この出来事で、私たちは大きな危機に直面しました。
—— まさに転機だったわけですね。その際、どう対応されたのでしょうか。
高本 下請けに戻ることも考えましたが、自分たちで意思決定できる環境を作りたいという思いがありました。また、 父も下請けだけで終わる人生は考えていなかったように感じます。その中で、地元である生野区の職人さんたちを支える使命感もあり、私たちはメーカーとして独立する道を選びました。
—— メーカーとして独立されてからもご苦労が多かったようですが、その経験からどのような学びがありましたか。
高本 日本製の商品が値崩れし、中国製品が市場を席巻する中で、私たちは地元の職人さんの技術を活かして高品質な製品を生み出すことを目指しました。しかし、新しいデザインを出してもすぐに模倣され、価格競争に巻き込まれる状況が続きました。
—— 模倣問題にどう対応されたのですか。
高本 オリジナルブランドを作りました。その選択に至ったのは、この課題への対応が大きかった です。価格を抑えるために、自分で作ったデザインを中国で生産するという考えもありましたが、父の“地元を盛り上げて、職人さんたちを守りたい”という思いを尊重し、デザインから製造まで一貫して日本で行うことにしました。そして、日本ならではの下駄を由来にした、リゲッタというブランドを立ち上げました。
—— リゲッタというブランドが生まれるまでの道のりには、どのような試行錯誤がありましたか。
高本 ブランド構築のために、自分たちの強みや差別化ポイントを徹底的に考えました。 ある展示会で、他業種の社長から“出る場所を間違えている”と言われました。その言葉が、靴業界以外に目を向けるきっかけになり、東京の展示会「ギフトショー」への出展を決意しました。
—— それがブランドの成功につながったのですね。
高本 はい、ギフトショーでは日本製で作り手の顔がみれて、高機能で価格が手ごろな製品がバイヤーに高く評価されました。これを機にリゲッタは注目を集め、テレビや雑誌で取り上げられるようになりました。その後、通販市場や雑貨店向けに製品展開を広げ、地元の職人さんたちの仕事も増えていきました。
—— 地元との連携も進んでいると伺いました。
高本 地域産業としての地場が盛り上がることは私たちの喜びでもあります。職人さんたちからは「生活が安定した」「子どもを大学に通わせられた」という声をいただくこともあり、非常に励みになります。
自社事業の強みやケイパビリティ
—— 事業の強みについてお伺いしたいのですが、どのような点があるのでしょうか?
高本 大きく分けて2つあります。まず、日本の靴業界はローカルなもので、他の業界と違って独自のデザインを生み出すことが難しい文化が根付いています。昔はヨーロッパで売れている商品をそのまま真似して作るという手法が一般的でした。デザイナーが少ないと嘆かれることも多かったんです。しかし、私たちの強みはオリジナルの木型を削り、独自のデザインを生み出せることです。これがものづくり企業としての大きな強みです。
—— デザインの独自性が強みですね。
高本 そうです。多くの日本の靴メーカーや世界の企業は、デザインやマーケティングを外注することが多いのですが、私たちは自分たちで木型を設計し、自由に作りたいものを作れるのが強みです。顧客のニーズを反映しつつ、私たちの想像力を活かして製品を生み出すことができるのです。
—— それは大きな利点ですね。もう1つは、どのような点が強みですか?
高本 もう1つは、企画から製造、販売までを一貫して行えることです。以前はデザインしたものを展示会でバイヤーに審査され、選ばれた商品だけが市場に流通しました。しかし、今では自社のECサイトや直営店を通じて直接販売できるため、バイヤーの意向に左右されずにものづくりができるようになりました。
—— 自由度が増しているということですね。
高本 そうですね。失敗を恐れずに新しいものを試せる環境が整いました。自社の店舗で試験的に販売して、エンドユーザーの反応を直接見ることができるのは大きなメリットです。これにより、エンドユーザーとの距離が縮まり、彼らの意見を反映した製品開発が可能になりました。
これまでぶつかってきた課題や変革秘話
——これまでぶつかってきた課題や変革についてお聞かせください。
高本 30歳前後の頃は、ストレスや寝不足が続き、当時の記憶は今でもグレーにしか感じられないほどです。その頃はお金もなく、精神的にも追い詰められていました。
——それは非常に厳しい時期だったようですね。具体的にはどのような課題があったのでしょうか。
高本 当時、家族経営でやっていて、父、母、いとこの兄と姉、私の5人だけで運営していました。その後、初めて人を雇ったのが20年前で、 そこから20年かけて 従業員が100人を超える規模になりました。
——まさにゼロからのスタートだったわけですね。
高本 最初は就業規則なんて聞いたこともありませんでしたし、家族経営なので日曜以外は当然のように働いていました。利益が出るようになったら、曖昧な経営体制ではなく、しっかりと会社としての形を整えたいと思い、利益をすべて会社に投資してきました。
——当時は社会経験がほとんどなかったと伺いましたが、それも大きな課題だったのでしょうか。
高本 そうですね。専門学校を1年通い、その後神戸のメーカーで3年間修行しましたが、いわゆる見習いのような形で、給料も月8万円程度でした。始発で神戸に行き、終電で帰る生活を2年間続け、職人としての技術は身につきましたが、ビジネスの感覚は全くと言っていいほどありませんでした。
——その状態から会社経営を目指すのは、相当な挑戦だったのではないでしょうか。
高本 当時は時給計算すると300円を切ることもありました。それでも利益がなければ仕方ないと割り切っていましたが、次第にこれでは長く続けることができないと気づきました。社員や社労士、税理士の方々に助けてもらいながら、少しずつ会社を改善していきました。
今後の事業展開や投資領域
——今後の事業展開や投資領域についてお聞かせください。
高本 ものづくりについて改めて考える時期に来ていると感じています。これまで私たちは、売れる商品を作ることに注力してきましたが、最近ではもっと丁寧にものづくりを見直し、地域や職人の価値を守りながら広げていきたいと思っています。
——具体的には、どのような戦略をお考えですか。
高本 コロナ禍では、靴が売れず大変な時期もありました。その中で、当社の営業担当者がドラッグストアへの営業を提案し、インソールが大ヒットしました。これがきっかけで、靴だけに固執せず、地元の技術を活かした多様な製品展開を進めるべきだと気づきました。
——職人技術を守るだけでなく、広げるという点が興味深いですね。
高本 日本の靴業界は新規参入がとても難しい状況です。職人育成や設備投資のハードルが高いためです。その中で、私たちのような地場産業が果たす役割は大きいと感じています。職人が廃業している現状を考えると、これからは自社工場を作り、オープンファクトリーとして地域の人々やエンドユーザーに開放したいと思っています。
——オープンファクトリーというのは、具体的にどのようなものですか。
高本 工場の生産過程をガラス張りで公開し、訪れた人が実際にものづくりの現場を見学できるようにする計画です。これにより、生野区という地域の魅力を広げ、全国から人を呼び込む仕組みを作りたいと考えています。既に地元の小学生を対象にした工場見学なども行っていますが、これをさらに進化させたいですね。
メディアユーザーへ一言
——最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。
高本 中国の材料メーカーがうちのインソールが売れていると聞きつけて営業に来たんです。その際、私たちの製造スタイルを説明するために、 生野区全体の地図にピンを刺して、どの場所が裁断を担当しているか、どこがミシンをかけているかなどを示しました。それを見て彼らは、「なぜこんな非効率なことをしているのですか?」と驚いていました。一箇所で生産する方が効率的で、情報共有もしやすいのに、なぜ地元の工場を使っているのかと。
——確かに効率を重視するならば、そのような疑問が出るかもしれませんね。
高本 でも、私はこの「非効率」こそが地域や職人さんとのつながりを生む大切な要素だと思っています。職人さんたちの技術はもちろん素晴らしいですが、彼らと直接話し、彼らの生活に関わることで、自分がやっていることの意義を直感的に感じられるんです。それが私にとっての責任でもあり、誇りでもあります。
——地域とのつながりが、事業の根幹になっているということですね。
高本 合理性や効率だけを追求しても、それでは得られない価値があると思います。街の職人さんたちの技術や生活を守りながら、商品を作り続けること。それが私たちの使命だと考えています。合理的ではない部分も大切にし、それを楽しむくらいの気持ちでやっていきたいです。

- 氏名
- 高本 泰朗(たかもと やすお)
- 社名
- 株式会社リゲッタ
- 役職
- 代表取締役社長