株式会社江戸清

明治27(1894)年に横浜の地で創業し、130年以上の長きにわたり日本の食文化を支えてきた株式会社江戸清。横浜中華街の代名詞ともいえる「ブタまん」で広く知られるが、その実態は年商95億円に迫る、BtoBを主力とした老舗総合食品メーカーだ。

大手ハムメーカー傘下からの20年越しの独立、そして頻発する食の安全を脅かす社会問題。幾多の困難を乗り越え、会社を成長へと導いてきたのが、四代目である高橋伸昌会長だ。

野村證券でトップセールスとして活躍したキャリアを捨て、家業の世界へ。異文化の壁にぶつかりながらも、いかにして組織を変革し、伝統ある企業を次なるステージへと導いたのか。

高橋伸昌(たかはし のぶまさ)──代表取締役会長
1959年、神奈川県横浜市生まれ。1982年慶應義塾大学経済学部卒業後、野村證券に入社。1994年に江戸清へ転身し、1996年取締役、1998年専務取締役を経て、2000年に代表取締役社長に就任。長年にわたり経営を牽引し、2019年より代表取締役会長。
株式会社江戸清
1894年(明治27年)に横浜中華街で創業。食肉加工を起点に、中華総菜や横浜名物「ブタまん」を中心とした点心分野へ事業を拡大し、専門性の高い食肉加工品メーカーとして存在感を高める。食の安全性、多様化、健康志向、環境配慮などの変化に対応しつつ、時代に即した価値ある食品を提供。「作る喜び」「提供する喜び」を原動力に、消費者に「食べる喜び」を届け、持続可能な社会への貢献を目指す。
企業サイト:https://www.edosei.com/

目次

  1. 肉屋から始まった130年の歴史
  2. 大手との取引で培われた、一歩先の「安全」への意識
  3. 「お前はお前の人生を歩め」父の言葉を胸に、証券マンから家業へ
  4. 20年かけて成し遂げた「独り立ち」と、社長就任後の苦悩
  5. 頻発する食の危機が、世界レベルの安全管理体制を築いた
  6. M&Aも視野に。「地続き」で描く江戸清の未来戦略

肉屋から始まった130年の歴史

—— 明治27年の創業から130年以上という長い歴史がありますね。

高橋氏(以下、敬称略) もともとは私の曾祖父が、千葉で庄屋を営んでいました。農産物や畜産物を横浜へ納めるうちに、食肉店を営んでいた「江戸屋」と出会ったのが始まりです。明治という、これから肉食文化が花開く時代に、祖父は食肉業の将来性を強く感じたようです。江戸屋に跡継ぎがいなかったこともあり、庄屋の座を捨てて事業を引き継いだのが、明治27(1894)年のことです。

そこから祖父、父、私、そして現在は五代目の社長へとバトンが受け継がれています。創業当時は食肉の小売や卸が中心でしたが、時代の変化とともに事業形態も変わり、現在では小売や卸からは完全に撤退しました。今は、食肉を中心とした加工品の製造と販売が事業の柱です。

—— 現在は加工品の製造・販売がメインなのですね。事業の規模についても教えてください。

高橋 年商は95億円弱で、そのうちBtoC、つまり横浜中華街の店舗や通販などによる直接販売が約10億円。企業向けのOEMなどで、最終的に消費者の方に届くBtoBtoCも同じく10億円ほどです。残りがBtoBになりますので、売り上げの大部分は企業向けということになります。

テレビなどでは「ブタまんの江戸清」として取り上げていただくことが多いのですが、実はそれは事業の一部です。われわれが製造し、他社のブランドで販売されている商品も数多くあります。

大手との取引で培われた、一歩先の「安全」への意識

—— 横浜中華街には多くのお店がありますが、江戸清ならではの強みはどこにあると分析していますか?

高橋 やはり、事業の原点が食肉の卸・小売であったため、肉に対する深い知見とノウハウがわれわれの最大の強みです。

そしてもう一つ、食の「安全」に対する徹底したこだわりです。食品を扱う企業として安全は第一であるという考えのもと、当社の生産工場では「FSSC22000」という国際的な食品安全マネジメントシステム認証を取得しています。これは従来のISO認証に、より厳しい管理基準を加えたもので、かなり高いレベルの安全性を担保している証明になります。この規模の食品会社で取得しているところは、まだ少ないのではないでしょうか。

—— 安全管理体制は、どのようにして築いたのでしょうか?

高橋 戦後、大手ハムメーカーである伊藤ハムとの付き合いが深くなったことが大きな転機でした。大手企業と取引をするなかで、一般的な食肉加工業者とは比較にならないほど高いレベルの安全基準が求められました。

たとえば、豚にワクチン注射をした際に、まれに体内に針が残ってしまうことがあります。昔は手で触って探すのが一般的でしたが、われわれは他社に先駆けて金属検出機を導入しました。

さらに、世間が金属検出機を導入し始めたころには、より精度の高いX線検査機へ移行していました。このように、大手企業との取引を通じて、常に世の中の一歩先を行く安全性を追求する文化が醸成されたのです。これが、他社にはない大きな優位性になっていると考えています。

「お前はお前の人生を歩め」父の言葉を胸に、証券マンから家業へ

—— 野村證券からなぜ家業を継ぐことになったのですか?

高橋 大学卒業後、野村證券に入社して13年間、セールスとしてバリバリ働いていました。仕事は面白く、それなりに成果も出していたので、父は「子会社に戻るくらいなら、お前はお前の人生を歩め。大きなステージで勝負してみろ」と言っていましたね。

実は、当社は1975(昭和50)年に経営破綻が表面化した取引先の連鎖倒産に巻き込まれる形で一度倒産の危機に瀕しています。父は個人資産のすべてを失い、会社を再建するために伊藤ハムの支援を受け、資本を入れていただきました。ですから、当時の江戸清は伊藤ハムの子会社という位置づけだったのです。

父としては、息子を子会社の社長にしたくなかったのでしょう。一方で母は、「頑張っている父をなぜ息子が助けないのか」という、ある意味で日本的な感情が強く、最終的には母の想いに動かされる形で、1994年に江戸清へ戻ることを決意しました。

—— 家業に戻る際はどんな思いでしたか?

高橋 戻るからには、いつか株式を買い戻し、会社を「独り立ち」させることが、私に課せられた最大のミッションだと考えていました。助けていただいた恩はありつつも、自分たちの力で再び歩んでいきたかったのです。

20年かけて成し遂げた「独り立ち」と、社長就任後の苦悩

—— 社長に就任されたのは2000年ですね。そして、そこから長い年月をかけて独立を果たされた。

高橋 入社から6年後の2000年に、父から事業を承継しました。代替わりで社員が不安にならないよう、就任の1年前から父と密に連携を取り、中期経営計画などを通じて経営方針に一貫性があることを示し、スムーズな移行を心がけました。

さらに、最大のミッションであった伊藤ハムからの独立に取り組みました。これは本当に長い道のりで、株式をすべて買い戻すまでに、実に19年の歳月を要しました。

2013年に独立を果たしたときは、感慨深いものがありましたね。伊藤ハムの創業者一族の皆さんともじっくり話し合い、円満な形で独り立ちできたことに、心から感謝しています。リスクを取らなければリターンはない。自らリスクを負うことで、新たな可能性が生まれることを実感した経験でした。

—— 社長として、経営の舵取りをするなかで最も苦労されたことは?

高橋 一番の壁は、社員とのコミュニケーションでした。野村證券は資本主義の最先端をいく世界で、経済用語や横文字が飛び交い、1を言えば10を理解してくれるような環境です。

しかし、私が飛び込んだ製造業の世界は、まったくの異文化でした。10を尽くして丁寧に説明しても、1すら伝わっていない。最初は本当に言葉が通じないと感じ、大きなストレスを抱えました。

時速100キロで走ってきた人間が、時速10キロで歩く人たちと足並みをそろえなければならない。これは、追いつくための努力よりも、はるかに忍耐力がいることでした。

—— その異文化の壁は、どのようにして乗り越えたのですか?

高橋 とにかく、分かりやすい言葉で、根気よく話し続けるしかありませんでした。そして、経営技術や理屈だけではなく、「情熱」を共有することの重要性に気づきました。中小企業では、経営者と社員が同じ想いをもち、一丸となって進んでいくことが不可欠です。

また、私が入社してから責任者として新卒採用に力を入れました。自分たちの手で育てた社員が5年、10年と経つうちに、徐々に会社の文化も変わっていきましたね。組織が同じ方向を向いて走れるようになるまで、やはり10年はかかったと思います。一人ひとりの社員と手を取り、一緒に坂を上っていく。それが中小企業の経営なのだと学びました。

頻発する食の危機が、世界レベルの安全管理体制を築いた

—— 社長在任中には、BSE(牛海綿状脳症)や鳥インフルエンザなど、食の安全を揺るがす問題が次々と発生しました。

高橋 本当に、毎年のように何かが起きました。「不幸を呼ぶ社長」とまで言われたくらいです(笑)。2001年にBSE、2004年に鳥インフルエンザ、その後も口蹄疫や産地偽装問題など、食に対する消費者の信頼が大きく揺らぐ出来事が続きました。

BSEが発生すれば牛肉が売れなくなり、豚肉や鶏肉に切り替える。鳥インフルエンザが発生すれば、今度は鶏肉が使えなくなる。そのたびに、時代の変化に対応することを求められました。まさに、「時代に対応する技術が経営である」ということを痛感した日々でした。

—— そうした危機的な状況が、結果として現在の強固な安全管理体制につながっているのでしょうか。

高橋 そのとおりです。次々と起こる問題に直面するなかで、社内・社外で起こりうるあらゆるリスクに対し、どうすれば食の安全を担保できるのかを突き詰めて考えるようになりました。

その取り組みは、まず社員一人ひとりに経営に参加してもらう「提案制度」から始まりました。次に、整理・整頓・清掃・清潔・しつけを徹底する「5S活動」。そして、食品ロスの削減などを目的とした環境マネジメントの国際規格「ISO14001」を取得しました。目に見える形でお金の削減につながる環境改善から取り組むことで、社員の意識を高めていったのです。

そうした土台を一つひとつ築き上げたうえで、食品安全マネジメントの「ISO22000」、そして現在の「FSSC22000」へとステップアップしていきました。毎年のように訪れた危機があったからこそ、食の安全と安心に対する取り組みが進化し、今の江戸清の礎となっているのです。

M&Aも視野に。「地続き」で描く江戸清の未来戦略

—— 事業展開についてはどのような戦略を描いていますか?

高橋 当社の基本戦略は「地続き戦略」です。つまり、これまで培ってきた食肉加工という強みから大きく離れた、いわゆる“離島型”の事業には手を出しません。食品産業というフィールドのなかで、事業を拡大していきます。

具体的には、いくつかの計画を進めています。まずは、工場の製造ラインの最新鋭化です。これにより生産効率を高め、さらなる競争力をつけていきます。次に、かつて手がけていた外食産業への再挑戦も検討しています。

また、長年の課題であったリブランディングにも着手します。「江戸清のブタまん」ではなく、「ブタまんの江戸清」と商品名が社名より先に来てしまっている現状を改め、企業としてのブランド価値をより高めていきたいと考えています。

—— 近年はM&Aにも積極的に取り組んでいるそうですね。

高橋 はい。以前は自社で土地を取得し、工場を建て、人を募集するという形を考えていましたが、今は人材確保が非常に難しい時代です。

一方で、後継者不足により事業承継を断念する食品会社も増えています。

そこで、M&Aによって工場も人材も一体で引き継ぐという形を積極的に検討しています。昨年、江戸清ホールディングスを設立したのも、M&Aによってグループに加わった企業を傘下に置きやすい体制を整えるためです。まだ成立した案件はありませんが、ご縁を大切にしながら、われわれのメガネにかなう企業との出会いを待っているところです。

—— 将来はどのような企業を目指していますか?

高橋 われわれが目指しているのは、“ナンバーワン”ではなく、この地域における“オンリーワン”の企業です。江戸清ならではの独自の価値、独自の経営資源をどれだけもてるかということに注力しています。

そして、ものづくりをする企業として、常に感謝の気持ちを大切にしています。お客様はもちろん、社員、取引先、そして地域社会。関わるすべての人々への感謝を忘れず、これからも横浜の地で、皆様に愛される企業であり続けたいと思っています。

氏名
高橋伸昌(たかはし のぶまさ)
社名
株式会社江戸清
役職
代表取締役会長

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