テクミラホールディングス株式会社

2004年の創業以来、激動のIT業界を駆け抜けてきたテクミラホールディングス株式会社。iモード全盛期の携帯コンテンツ事業で急成長を遂げた後、スマートフォンの登場によるビジネスモデルの崩壊、そしてソリューション事業への転換という大きな荒波を乗り越えてきた。近年ではAI、IoT、ゲームなど、時代の先端を走る領域で独自のポジションを築いている。

幾多の変革を乗り越え、企業を成長させてきた背景には、どのような経営戦略と組織づくりがあったのか。創業から20年以上にわたる軌跡と、その中で見出した経営の本質、そして未来への展望について、代表取締役社長の池田昌史氏に聞いた。

池田昌史(いけだまさし)──代表取締役社長
1960年、東京都生まれ。1982年、慶應義塾大学商学部を卒業後、NECグループに入社。マルチメディアPCの商品企画やコンテンツ事業の立ち上げに従事した後、NECインターチャネル株式会社の設立に参画。モバイル業界の台頭を受けてコンテンツビジネスに注力すべく、2004年にプライムワークス株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。グループ拡大を経て2020年に持株会社体制へ移行、JNSホールディングス株式会社の代表取締役社長に就任。2023年に商号を「テクミラホールディングス」へ改め、現在に至る。
テクミラホールディングス株式会社
2004年創業。国内外に拠点・グループ会社を有し、コンテンツからソフトウェア、ハードウェアまで網羅した幅広い事業を展開。近年では、コンシューマ向けコンテンツの知見を活かしたコンソールゲームや、AI、IoTなどの先端技術分野に注力。「TechnologyとCreativeで未来を創る」を経営理念に掲げ、技術と創造力を強みに、各領域で専門性を発揮しながらも相互にシナジーを生み出す、独自性の高いIT企業グループとして成長を続けている。
企業サイト:https://www.tecmira.com

目次

  1. 4年で上場。しかし、iPhoneの登場で事業が「落っこちていく」
  2. M&Aの秘訣は、仲介会社を使わず「人と人」で決めること
  3. 組織の壁を乗り越えるため、一度すべてを捨てた
  4. コロナ禍を救ったのは、勝算があって始めたゲーム事業だった
  5. 「失われた20年」。日本はようやく変わりつつある

4年で上場。しかし、iPhoneの登場で事業が「落っこちていく」

── これまでの会社の成長の流れについて、経営戦略や組織づくりの観点から教えてください。

池田氏(以下、敬称略) 2004年に会社を立ち上げて、2026年の4月で22年になります。この20年間、特にITの世界は相当大きく変わりました。

私が創業したころは、携帯電話が電話以外の用途で急速に発達している最中でした。もともと私はNECでパソコンのハードウェアからキャリアを始め、ソフトウェアの面白さに惹かれてそちらの世界に移った経緯があります。パソコン用のソフトから携帯電話向けのiモード関連の事業を手がけているとき、これはすごいものが出たなと。そのタイミングで独立し、携帯サービスを提供する会社を立ち上げようとまっしぐらに進みました。

おかげさまで事業は非常に順調で、創業から4年で当時の東証マザーズに上場できるくらい、ポンポンと大きくなっていきました。

── 順調なスタートだったのですね。

池田  ええ、そこまでは。しかし、いわゆるガラケーがなくなりスマートフォンが登場したことで、状況はガラッと変わります。ちょうど上場した2008年、2009年ごろからその流れが始まりました。

最初は「こんなの誰が使うのかな」という雰囲気でしたが、iPhoneの登場で爆発的に普及しました。ソフトバンクの孫さんがiPhoneを日本に持ち込み、ボーダフォンを買収して携帯事業に参入したわけですが、あれがある意味、日本のスマホの世界を作ったと言えるかもしれません。

iPhoneが出て急速に世の中が変わると同時に、我々の中心だったビジネスは、今度は落っこちていくことになりました。ドコモが作り上げたiモードの世界は、有料かつクローズドなモバイルインターネットの世界でした。我々もその中で一緒に伸びてきたのですが、スマホの登場によって、そのクローズドな世界がオープンな世界に押しつぶされていく現象が起きたのです。

── ガラケーからスマホへの移行が、最初の大きなターニングポイントになったのですね。

池田  はい。ガラケーベンチャーとしてスタートし、上場まではよかったのですが、その後、このままでは先はないなとはっきり見えてきました。

もともと我々のビジネスは、携帯電話にアニメーションが動く絵文字のようなビューアーをOSレベルで実装してもらい、そのライセンス料をいただくプロダクトビジネスと、iモードをはじめとする通信キャリアの公式サイトでコンテンツを提供するサービスビジネスが大きな柱でした。しかし、スマホの登場でクローズドな世界が終わり、ビジネスモデルをガラッと変えなければならなくなりました。

そこから、ソリューションの領域に参入していきます。通信キャリア自身も、それまではプラットフォーマーという立場だったのが、自らも一人のプレイヤーとしてユーザーにサービスを提供する立場に変わっていきました。また、一般企業もスマホ向けのウェブサイトを作る必要が出てくるなど、法人ビジネスが広がっていったのです。我々もそちらにシフトしていきました。

── 事業転換はスムーズに進んだのでしょうか。

池田  いえ、もともとサービスやコンテンツの会社だったので、ソリューションビジネスを始めたころは失敗も非常に多くて。特に当時は顧客との責任分解点があいまいなことも多く、「こういうものをお願いしたつもりだ」「いや、こちらはこう聞いていた」といった食い違いからプロジェクトが炎上することもずいぶんありました。そうした苦労を乗り越えながら、ソリューションビジネスを確立していったのが、会社の第二ステージです。

M&Aの秘訣は、仲介会社を使わず「人と人」で決めること

── その後、DXの波が次のステージにつながるのですね。

池田  そうです。世の中自体がデジタル化する現象が起き、我々も単なるモバイルビジネスではなく、デジタルビジネスとして事業を捉え直す必要が出てきました。そのころから、出資やM&Aを積極的に始めています。

会社の歴史を振り返ると、だいたい8年周期で大きく変わっていくという話があるのですが、まさにそのとおりで。ガラケーからスマホへの移行期が不安定だったように、次の変化に対応するために動き始めました。

現在、我々はハードウェア、ソフトウェア、サービスの三つの領域を手がけていますが、もともとソフトウェアとサービスから始まった会社です。そこにハードウェアを加えるため、当時売上10億円ほどだったハードウェア開発の会社、JENESISに出資し、グループに迎え入れました。IoTがこれから来ると読んでいたからです。

── JENESIS社とのM&Aが大きな成功事例となっていますが、成功の理由は何だと考えていますか。

池田  まず、うちは一度もM&Aの仲介会社を使ったことがないんです。ビジネス上の接点や人からの紹介など、何かしらのつながりがある中で話が進みます。事業内容以上に、人と人、会社と会社としてフィーリングや考え方が合うかが非常に重要だと考えています。価値観やカルチャーの相性が合わないと、一緒に仕事はできませんから。

JENESISの場合も、彼ら自身が頑張ってくれたことが一番大きい。もちろん、我々が資金面などをバックアップしたからこそ、彼らが持つポテンシャルを最大限に引き出せたという側面はあります。一人ではできなかった成長を後押しできた。簡単に言うと、そういうことだと思います。

── まずは経営者や会社の雰囲気といった、カルチャーフィットがスタート地点になるのですね。

池田  そうだと思います。

組織の壁を乗り越えるため、一度すべてを捨てた

── 会社の急成長にともない、組織的な壁に直面することもあったのではないでしょうか。

池田  ありましたね。私自身、NECグループにいたときは子会社の立場だったので、子会社であることの楽さも悲哀も分かります。

創業時のプライムワークスという社名で事業をしていたとき、何社か子会社がありました。それを一つの会社に合併したのが、最初の組織課題の克服です。そのとき、あえて自社も含めてすべての社名を捨てさせ、「ネオス」という新しい社名にしました。

創業者なのに社名を捨てるのかとよく言われましたが、一つの会社になるなら、みんなが平等な立場で新しい旗印のもとに集まることが大事だと考えたのです。

── その後、ホールディングス体制に移行されています。

池田  ええ。再び会社が大きくなり、出資や買収を進める中で、今度はそれぞれの会社が持つビジネスモデルや顧客の違いを尊重したほうがいいと判断しました。

そこで、事業会社を統括するホールディングカンパニーを新たに作り、現在の体制になりました。それぞれの事業単位で会社という枠組みを持たせたほうが、専門性を発揮しやすいと考えたのです。

── 組織づくりにおいて、社長が最も大事にしていることは何ですか。

池田  ざっくばらんに言い合える関係性を保つことですね。それぞれが思うこと、考えることを表明しやすい場所であることが大事です。言われたことをやるだけの組織ではなく、みんながそれぞれの立場で考え、発言できる。そういう階層に関係なくものが言える組織風土が重要だと思っています。

もちろん、行き過ぎは危険ですが、そこは数字が判断してくれます。数字は嘘をつきませんから。業績に関しては厳しいかもしれませんが、プロセスについては何でも言えばいい、という雰囲気だと思います。

コロナ禍を救ったのは、勝算があって始めたゲーム事業だった

── 近年ではゲーム事業が大きく伸び、100億円企業への到達に貢献したそうですね。毛色の違う事業に参入した背景を教えてください。

池田  ガラケー時代からコンテンツサービスを手がけており、キャラクターで携帯画面をデザインする「きせかえツール」などを自社で開発・配信していました。コンテンツビジネスにはこだわりがあったのです。

しかし、スマホ時代になると、付加価値の高いコンテンツでないと有料では売れません。そこで、知育・教育とエンターテインメントの二つに絞り、ゲーム事業に乗り出しました。ただ、スマホゲームで主流の、いわゆるガチャで収益を上げるビジネスはやりたくなかった。コンテンツそのもので勝負するなら、思い切ってゲーム機でやろう、と。ちょうどNintendo Switchが登場し、これには可能性があると感じたのです。

── まさにその判断が功を奏したと。

池田  3作目として手がけた「クレヨンしんちゃん」のゲームが、コロナ禍の巣ごもり需要もあって大ヒットしました。

実はそのころ、ハードウェア事業は中国のサプライチェーンが寸断されて大打撃を受けていたのです。部品の調達もままならない状況で会社を支えてくれたのが、このゲームビジネスでした。コロナで外に出られない状況が、コンテンツにとっては追い風になったのです。

「失われた20年」。日本はようやく変わりつつある

── 今後の日本経済や業界構造の変化をどう見ていますか。特にAIの進化は、人の働き方に大きな影響を与えると考えられます。

池田  AIによって、人間の仕事はかなり奪われるでしょう。10年後を考えると、意思決定から手配まで、すべてAIがやるようになるかもしれません。

ただ、人間がやるべき仕事として残るのは、最終的な意思決定のボタンを押すこと、そしてセキュリティとのいたちごっこです。悪意を持った人間は必ず出てきますから、それを防ぐ役割は人間に残されます。

また、コンテンツの創作活動においても、AIが作ったものに他人の著作権を侵害しているリスクが常につきまといます。ビジネスとしてコンテンツを扱う人間は、そのリスクを考えると、AIにすべてを委ねることはできません。制作プロセスでの活用は進むでしょうが、人間によるチェックや判断は不可欠です。

── 次の10年に向けた展望をお願いします。

池田  この20年、海外出張などを通して世界を見てきて思うのは、本当に日本は変わらないで来たな、ということです。アジアの国々がアメリカを見て発展してきたのに対し、日本だけがずっと動かずにいた。「失われた20年」と言われますが、まさにそのとおりです。

しかし、ようやく日本人もそのことに気づき、変わり始めようとしていると感じます。社会の流動性を高め、大企業だけでなく、我々のような新しい企業が主役としてどんどん入れ替わっていくような変化が起きないと、本当の意味で日本は変わらないでしょう。

これからの若い経営者の方々には、どんどん海外に出て世界を見てほしいと思います。そして、日本の社会構造を変えるくらいの気概で挑戦してもらいたいですね。

氏名
池田昌史(いけだまさし)
社名
テクミラホールディングス株式会社
役職
代表取締役社長

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