商社、コンサル、外資系メーカー、そして日系メーカーのトップへ。多彩なキャリアを歩んできた中塚晃章氏は、2022年、新たな挑戦の舞台に立った。昭和電工(現レゾナック)と三菱マテリアル、成り立ちも文化も異なるアルミニウム事業を統合し、総合アルミニウムグループ「アルテミラ」を率いる。
プライベート・エクイティ・ファンド主導で生まれた新会社は、いかにして一つのチームとなり、成長軌道を描いてきたのか。その道のりは、まさに「ポスト・マージャー・インテグレーション(PMI)」のリアルな実践だ。
文化の融合、シナジーの追求、そして避けては通れない組織の変革。その渦中でリーダーは何を考え、どう行動したのか。数々の「修羅場」を越えてきた経験から紡がれる経営哲学、そして日本の「ものづくり」への熱い想い。アルテミラの現在と未来、そして中塚氏が描く次代のリーダー像に迫った。
企業サイト:https://www.hd.altemira.co.jp/
目次
無理やり融合せず。統合はそれぞれのいいところをリスペクトして
── アルテミラ・ホールディングス設立の経緯と、事業のこれまでについて教えてください。
中塚 アルテミラという会社は、2022年にスタートしました。親会社がアポロ・グローバル・マネジメントという、グローバルでも最大級のプライベート・エクイティ・ファンド(PE)が、まず昭和電工(現レゾナック)のアルミニウム事業を、その後に三菱マテリアルのアルミ事業を買い取りました。
具体的には、昭和アルミニウム缶、ハナキャンズ(ベトナム)、堺アルミ、三菱アルミ、ユニバーサル製缶の5社です。これらをアポロが買い集め、新しいエンティティとして立ち上げたのが2022年の4月1日でした。
── 中塚社長は当初からトップとして関わっていたのですね。
中塚 はい、社長として招かれ、まず社名を考えるところから始めました。三菱カルチャーと昭和電工カルチャー、二つの文化を持つ会社が一緒になったので、「我々は何を目指すのか」というパーパス(企業の存在意義)から議論したのです。
アルミの技術を使って未来を拓く、という方向性が決まり、議論を重ねるうちに「アルテミラ」という造語にたどり着きました。「アルミのテクノロジーで未来を」という意味で、パーパスを反映した社名になったと思います。
── 設立後のプロセスはどのようなものだったのでしょうか。
中塚 PEが買収した後の、典型的なプロセスをたどっています。いわゆるPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)ですね。買収後の統合作業をずっと進めてきました。
私がインテグレーションオフィスを設計し、営業、調達、生産、人事、ITといった分科会をつくり、統合作業を進めました。もともと競合だった会社が一緒になっている部分もあるので、まずは文化の融合が課題です。
そして、シナジーの追求です。PEによる買収ですから、利益を上げていかなければなりません。たとえば調達機能を統合し、同じサプライヤーから違う条件で買っていたものをそろえ、交渉力を高めました。お客さまに対しても、2社が一緒になったことで取り扱い量が増え、交渉力が高まりました。価格転嫁など、さまざまな条件面で交渉させていただいています。
── ポジティブな面だけではなかったと思います。
中塚 そうですね。人の整理も行いました。統合後、最初に従業員の一部の人員整理を行いました。そうしたことも含めてコスト体質を高め、成長路線に乗せて今に至ります。
── これまで商社やコンサルティング業界など多彩なキャリアを歩んでこられていますが、アルミニウム業界に飛び込まれたきっかけは何だったのでしょうか。
中塚 ヘッドハンティングです。前職はジヤトコという、自動車のトランスミッションをつくる会社で8年間、社長を務めました。そろそろ次のステージを考えていたときに、この話をいただきました。
もともと丸紅時代の最初の配属が鉄鋼原料で、非鉄事業(アルミ、銅、ニッケルなど)は隣の部門でしたから、素材系ビジネスにはなじみがありました。
また、私はメーカーの仕事にすごく興味があるんです。GEで航空機エンジンの事業に携わり、ジヤトコで8年社長をやって、日本のものづくりの強さを高めて世界に問うということに、強いアスピレーション(大望)を持っています。
決め手は、PEとともにバリューアップして上場を目指す、というプロセスを一度やってみたかったことですね。
── さまざまな縁も重なったそうですね。
中塚 ええ。もともと昭和電工のアルミ事業を切り離したときの社長が、今のレゾナックの社長である髙橋秀仁さんで、彼は私のGEの同期なんです。入社日も同じで、事業開発という同じ部門にいました。
ですから、この話を聞いたとき、まず彼に電話して経緯を聞き、「それなら面白いから受けてみよう」と。そういった経緯でこのポジションに就きました。
── 設立から3年半が経ち、特に「これが転換点になった」と感じる出来事はありますか。
中塚 転換点というよりは、最初のリストラ、人員整理がやはり難しかったですね。「ライトサイジング(適正化)」という言葉を使いましたが、従業員百数十名に辞めていただく形になりました。また、その前に役員の数も半分以下に削減しました。まず身を縮めて筋肉質になる、という最初のプロセスが少しきつかったです。
そこを乗り切ってからは、巡航速度に乗ってきた感じがします。最初の1年目は、まったく違う文化の会社が一緒になり、もともと三菱マテリアルや昭和電工という大きな会社の子会社で「指示待ち」の文化が強かった社員たちが、独立した会社として自分たちでやっていこう、というマインドに切り替えるまでが、たいへんでした。ターニングポイントというより、初年度が「ターニング期間」だったと言えますね。
── 文化の異なる組織をまとめるうえで、リーダーとして工夫したことは?
中塚 無理やり融合しない、ということです。無理なんですよ。3年半経った今でも、やはり違います。それを無理に一緒にすることはなく、それぞれのいいところをリスペクトしながらやっています。
一言で言うと、三菱はすごくかっちりしている。メールの書き方からして超絶丁寧です。一方、昭和電工は芙蓉グループ系ということもあり、そこまで堅苦しくなく、ざっくばらんにやってみよう、という文化。同じ業界でもこれだけ違います。どちらもいいところですから、否定することなく、焦らず徐々に融合すればいいと考えています。
これはGE時代に学んだことです。GEは買収を繰り返す会社で、PMIが非常に得意でした。私もGE時代にPMIを経験したので、あまり期待しすぎず、「こんなものだろう、時間はかかるよね」と、気負わずにやってきました。
── ITシステムや人事制度なども、まだ別々のものを使っているのでしょうか。
中塚 そうです。もともと親会社に依存していたシステムを、まずスタンドアロン、つまり切り離して独り立ちさせる、ということをこの2、3年やってきました。ここからが統合のステージです。ITプロジェクトはすでにスタートしていますが、完了までには2、3年かかります。人事制度も、まず独立させ、これから統合です。管理職はすでに新しい統合人事制度に移行済み、非管理職についても1年遅れで統合する予定です。
父の働く姿を見て感じたものづくりの尊さ
── 業種が変わっても変わらない、経営やリーダーシップの本質とは何だと考えていますか。
中塚 ビジネスの本質は、どんな業種でも商品にかかわらず同じだと思っています。大事なのはお客さまで、お客さまに対して何が提供できるのか。すべてを決めるのはお客さまです。競合に対して、なぜ我々を選んでもらえるのか、我々にしかできないことは何か。そこを追求することは、ビジネスが変わっても同じです。
そして、先ほども言いましたが、私はメーカーが好きなんです。日本のものづくりの尊さのようなものが、私にとっての原体験でもあります。
── 原体験、といいますと?
中塚 実家が岡山県倉敷市で小さな工作所をやっていまして。父親は汗水たらして、力仕事を毎晩遅くまでしていました。父は「お前はそんな仕事をする必要はない」とずっと言っていましたが、幼少期に働く父の姿を見てきました。
メーカー、特にものづくりの拠点をしっかりと保ち、成長させることが、地元の経済や社員、そしてそのご家族にとって、いかに大事か。その思いは、ジヤトコの社長になってからいっそう強くなりました。
そのためにも、顧客に価値を提供し、ビジネスを伸ばす。爆発的に伸びなくてもいい。今日より明日、明日より来年と、少しずつ成長を遂げることができたらいいなと思っています。
── そのような使命感を持つようになったのは、いつごろからですか。
中塚 強く意識したのは、ジヤトコの社長になってからですね。GE時代、航空機エンジンというグローバルでナンバーワンの事業に携わっていました。収益性も非常に高かった。そのエンジンの中の重要なパーツは、IHIや日本精工など、日本のメーカーがつくっていました。
すばらしい貢献でしたが、結局、一番ベネフィットを享受するのはアメリカの投資家です。そうではなく、自分がやる商売で日本の経済に貢献したいと思っていたところに、ジヤトコの話をいただきました。
日本のものづくりの会社に行ってみて、改めて「メーカーの仕事は尊い」と感じました。そして、自分がなぜそう思うのかを考えたとき、18歳まで実家で過ごした原体験を思い出したんです。家の中に工場があって、夜11時ごろまで機械の音が聞こえる。そういう環境で育ったことが、自分の中にあったのだな、と。
だから、自分はものづくりに帰ってきたんだ、と。ものづくりの会社で社員を幸せにすることが、自分の使命だと強く思うようになりました。
優れたリーダーは必ずとんでもない修羅場を経験している
── これまでで最も大きな壁、大変だった出来事を教えてください。
中塚 たくさんありますが、私は「修羅場体験」というテーマをよく話します。優れたリーダーは、必ずとんでもない修羅場を経験している。その結果が良くても悪くても構わない。修羅場をくぐり抜けた経験こそが、リーダーにとって必須だと考えています。
── 修羅場体験で、特に印象的なものは何ですか。
中塚 社会人生活40年近くで一番思い出に残っているのは、入社2年目の丸紅時代の出来事です。鉄鋼原料を海外から輸入し、日本の製鉄メーカーに納めるのが仕事でした。
ある日、ある製鉄会社から、「納入された商品が見た目も悪く不良品だ。受け取りを拒否するから船ごと持って帰れ」と連絡がありました。上司が不在だったため、入社2年目の私が一人で新幹線に乗って製鉄所に向かいました。
現場に着くと、製鉄所の作業員の方々に囲まれ、「なんちゅうもんをよこすんじゃ!すぐにこの船を離せ!」と怒鳴られました。当時、船を一度離すと莫大なコストがかかるため、私のミッションはとにかく荷物を降ろしてもらうことでした。
── 2年目の社員には、あまりに重いミッションですね。
中塚 船に降りて、スーツを泥まみれにしながら商品を見ました。私は入社以来、現場に行くのが好きで、自分が扱う商品をよく見ていたんです。だから、たしかに見た目は悪かったけれど、「これはおそらく大丈夫だ」と直感しました。
「見た目は悪いですが、大丈夫です。私が責任を取ります。もし不良品だったら丸紅がすべて責任を持ちますから、降ろしてください」とお願いしましたが、その日は聞いてもらえませんでした。
しかし、翌日も粘り、結果的に降ろしてもらうことができました。そして、品質は問題なかったのです。
── なぜ、そこまで強く出られたのでしょうか。
中塚 やはり、現場を見ていたからです。「現場・現物・現実」の三現主義がどれだけ大事か、このとき痛感しました。商社は東京の本社でモノを動かせますが、自分が扱う商品そのものを知らなければならない。
また、本社が決めた契約の理屈だけでは現場は動かない。現場の方々がどういう論理で、どういう気持ちで動いているかを理解しなければ、商売はできない。これが私の強烈な原体験になっています。今でも工場見学が趣味なくらい、現場が好きですね。
── もう一つ、修羅場体験をあげるとすれば何でしょうか?
中塚 GE時代にJALが倒産したときです。GEはJALにエンジンを納入しており、複雑な取引をしていたため、約300億円もの債権がヘアカット(減額)の危機に瀕しました。当時、私は日本の責任者でしたから、本社からも厳しく言われ、本当に大変でした。
当時は民主党政権下で、企業再生支援機構という組織がJALの再建を担っていましたが、非常に分かりにくかった。その中で、いかに債権を確保するかが私のミッションでした。
結果的には、債権を全額確保しただけでなく、新しいディールを組み込み、新規の商売と債権確保を同時に実現できたのです。解雇も覚悟していましたが、最終的には社長表彰を受けました。
── 大逆転ですね。何が成功のカギだったのですか。
中塚 私を助けてくれたのは、お客さまであるJALの方々でした。本来、債権放棄をすればJALは身軽になるはずなのに、GEとの関係を維持することが大事だと考え、便宜を図ってくれたのです。
先ほどのNKKの話でも、後から聞いたのですが、厳しい作業員さんの中に「あの若造は頑張ってるんだから、聞いてやろうや」と言ってくれた人がいたそうです。修羅場では、必ず
誰かが助けてくれる。人の関係がすごく大事だと学びました。 私のポリシーは、修羅場のときこそ笑うことです。人間、切羽詰まったら笑うしかない。明るくいることが大事だと考えています。
日本の中で勝つことがとても大事
── これからの日本経済や業界の変化をどう見ていますか。また、それを見据えてどう対応しようと考えていますか。
中塚 ここ1、2年の大きな変化は、やはり地政学リスクです。当社の海外比率は18%ほどですが、アメリカや中国の影響は受けます。経済面や財務面だけを見て経営の意思決定はできなくなり、地政学に対する感度を高め、グローバルで何が起こるかを常に見ておかなければなりません。
その中で大事なのは、サプライチェーンです。かつてはグローバルにサプライチェーンを築いてもリスクは少なかったですが、今は違います。日本国内で完結できる仕組みをつくることが重要で、日本回帰の流れは起こると思います。
日本は低成長で人口も減ると言われますが、それでも「日本の中で勝つ」ことが、昔よりもすごく大事になっています。リスクの少ないサプライチェーンを組み上げ、日本の中で勝つ。
一方で、ベトナムの製缶事業が好調なように、海外に軸足を求めることも同時に考えます。地政学リスクを考慮したうえで、さまざまな意思決定を行わなければならない時代です。
── 海外でのマネジメントにおいて、特に意識されていることはありますか。
中塚 本質は国内と変わりませんが、相手をリスペクトすることは非常に大事です。国の文化や価値観を認め、自分の価値観を押し付けないこと。
そして、日本のリーダーとグローバルリーダーの決定的な違いは、結果を出すことです。なんだかんだ言っても、結果責任を問われます。「Say-Doレシオ」、つまり言ったことを実行する比率が非常に重要です。簡単すぎず、かつ無謀すぎない、適度にストレッチした目標(Say)を掲げ、それを必ず実行(Do)する。これがグローバル企業では強く求められます。
── 日本の組織では、その点はまだ弱いと感じますか。
中塚 すごく感じますね。日本では「経営企画部が悪い」などと組織のせいにしますが、グローバル企業では「テリーがどうだ」「メアリーがどうだ」と個人名で語られます。個人の貢献度が問われる個人勝負の世界です。
ホワイト企業でなければ生き残れない
── 次の10年に向けた経営者としてのビジョンを教えてください。
中塚 確実に成長する会社でありたいですね。売り上げも利益も、継続的にきちんと成長する。それがメーカーとしてのあるべき姿だと思っています。素材という地味な業界では、劇的なジャンプは難しいかもしれませんが、着実にいい仕事をして成長させることが大事です。
そしてもう一つ、これからの時代は「ホワイト企業でなければ生き残れない」と思っています。
── それはなぜでしょうか?
中塚 人の確保が非常に難しくなっているからです。特に若い人たちにとって、AIなど華やかに見える業界がたくさんある中で、夜勤もある「ものづくり」の工場に来てもらうのは簡単ではありません。魅力ある職場でなければ、社員は来てくれないし、定着もしません。
── 社長が考える「ホワイト企業」の定義とは何でしょうか。
中塚 仕事が楽で給料が高いことではありません。私が思うホワイト企業の条件は二つです。一つは「成長できること」。この会社にいれば、できなかったことができるようになり、自分の成長を感じられる職場であること。
もう一つは「いい仲間がいること」。この人たちと一緒に仕事をしたい、人生を過ごしたいと思える仲間がいること。この二つがホワイトの条件だと考えています。
── そのような環境をどうやってつくりますか。
中塚 社員が生き生きと、ワクワクしながら仕事をしていることが一番です。私はよその会社を訪問したとき、受付から会議室まで歩く間の雰囲気で、その会社がだいたい分かります。すれ違う社員のあいさつや目の輝き、清掃が行き届いているか。
「この会社は社員が生き生きと働いているな」「感じがいいな」と思われる会社にしたい。それが私の目指す姿です。
- 氏名
- 中塚晃章(なかつか てるあき)
- 社名
- アルテミラ・ホールディングス株式会社
- 役職
- 社代表取締役社長兼CEO
