株式会社サムシングフォー

地域資源とブライダルを融合させた独自のウェディングプロデュース事業を展開する株式会社サムシングフォー。代表取締役の岸本裕子氏は、母から事業を継承し、式場の確保や資金調達といった数々の困難を乗り越えてきた。

夫婦の幸福度向上につなげる結婚式「理念式」を開発した岸本氏に、生き残りの裏側と事業で重視する信念を聞いた。

岸本裕子(きしもと ひろこ)──代表取締役
1971年、岡山県生まれ。広告代理店勤務を経て、1999年、サムシングフォーの前身となる企業に入社。2013年より現職。2021年には夫婦の価値観を言語化する「理念式」を開発。
株式会社サムシングフォー
1982年、創業。本社のある岡山県倉敷市の地域資源を活かしたブライダル事業を展開。自社会場「The華紋」(2013年開業)、「EYOHAKU」(2019年開業)を拠点に、倉敷の文化・伝統産業・観光資源を融合した「倉敷婚」をプロデュース。
企業サイト:https://something-for.com/

目次

  1. 司会の母も感じていた結婚式の自由度の低さ
  2. 元料亭の広大な土地に式場を開業
  3. 混乱した状況で社員の気持ちを一つにした方法
  4. 夫婦の幸せを言語化した結婚式「理念式」
  5. 結婚式場から日本を幸せにする

司会の母も感じていた結婚式の自由度の低さ

── 人生の晴れの日である結婚式ですが、それをプロデュースする事業を始めた理由は何でしょうか?

岸本氏(以下、敬称略) 創業から数えて今年で44期目ですが、最初からウェディング事業をしていたわけではありません。もともとは、私の実母が薬局や化粧品販売といった個人商店から始めた会社でした。

母はさまざまな事業を手がける人物で、ほかにもリサイクルショップやエステティックサロンなども開業しています。店舗付き住宅に住んでいたのですが、母が事業を広げるにつれて住むスペースがどんどん狭くなっていったような状況でした。

そして、結婚式の司会も母が行っていた事業の一つです。大型店舗が次々とでき個人商店が厳しい時代に入ると、当時としては珍しいウェディングプロデュースを始めました。約30年前のことです。

当時は、結婚式場の窓口で用意された複数のプランの中からスタイルを選ぶ形式が一般的でした。一方で海外では「ウェディングプランナー」という職種が広く認知されており、その言葉や考え方が日本にも少しずつ紹介され始めていました。

とはいえ、地方ではウェディングプランナーやプロデューサーという存在はまだほとんど知られていませんでした。司会者も、挙式の約2週間前に進行表を受け取り、読み合わせをするのが通常で、一から結婚式を創り上げるという発想は一般的ではありませんでした。そうした状況の中で、1996年にプロデュース会社を立ち上げました。

── 岸本社長は、いつからウェディングプロデュースを始めたのですか?

岸本 社会人になって間もない頃は、地方の広告代理店で営業として勤務していました。母がウェディングプロデュース事業を始めると聞き、父から手伝うよう勧められましたが、当時は仕事にやりがいを感じており、すぐに関わることはありませんでした。

その後、1999年に自身が結婚したことをきっかけに手伝うようになり、広告代理店を退職して正式に母の会社へ入社しました。そこから私のブライダルのキャリアが始まりました。

── お母様がウェディングプロデュースに目を付けたきっかけや、どのような思いがあったのか、ご存じですか?

岸本 母から聞いているのは、司会者として結婚式に関わる中で、進行そのものには深く携われないことに疑問を感じていたということです。新郎新婦との打ち合わせの段階で内容はほぼ決まっており、進行を務めながらも「もっとお二人らしい形があるのではないか」と思う場面が少なくなかったそうです。

たとえば、中座のエスコートひとつをとっても、新婦が祖母に感謝を伝えたいと願っていても、形式上それが叶わないことがありました。当時の結婚式は自由度が低く、決められた枠組みに沿って進むのが一般的だったといいます。

司会という立場ではできることに限りがある。だからこそ母は、「一生に一度の結婚式を、もっとお二人のために創れないか」と考えるようになったそうです。そうした折にウェディングプランナーという仕事の存在を知り、大きな刺激を受けたと聞いています。

元料亭の広大な土地に式場を開業

── 創業当時はどのような状況だったのでしょうか?

岸本 最初は、自宅や思い出の場所、あるいは地域にある素敵な場所など、さまざまな場所でウェディングプロデュースをし、会場としました。また、結婚式というコンテンツを通じて新たな賑わいを創出することも、私たちの役割だとの考えもありました。

そうするうちに、自分たちの会場を持ちたいという思いが出てきます。どうしても、プロデュースだけでは自由にならない部分があったからです。

そんな折、以前私が勤務していた会社の会長が、岡山に広大な土地と、かつて料亭として使われていた趣のある建物を所有していることを知りました。そこで、その場所で結婚式場を立ち上げたいと考え、計画を進めました。しかし、当時の私たちには十分な資本がありませんでした。

そこで父の知人に協力してもらい共同出資という形で事業をスタートさせることになります。 当初運営は任せられていましたが、次第に経営方針に違いが生まれ組織の再編をしましたが溝は埋まらず已む無く撤退することになりました。

── それでも、事業は続けたのですね。

岸本 はい。プロデュース会社がスタートした原点である倉敷で、新たに式場を立ち上げることから再出発しました。資本に余裕がある状況ではありませんでしたが、今度は自らが責任を持つ経営体制で挑むと決めていました。

最終的には地元の金融機関が融資を決断してくださり、その際、経営体制の見直しが条件となりました。結果として経営権が私に移り、ここから本当の意味での再スタートが始まりました。

融資を受けたことで、現在も運営している式場「The華紋」を、倉敷の美観地区(倉敷美観地区)に開業しました。歴史ある街並みにふさわしい式場をつくることが、再出発の象徴でもありました。会社にとっては第二次創業創業となりました。

当時、会社は債務超過の状態でしたが、新たに立ち上げた式場は、開業からわずか1年で黒字化を達成しました。銀行は私の返済能力に懐疑的でしたが、返済計画を上回る実績を積み重ねた結果、金融機関側から借り換えの提案をいただくまでになりました。

本当に苦労した時期でしたが、実績が認められたのは大きな喜びでした。

混乱した状況で社員の気持ちを一つにした方法

── 事業成長における大きな転換点を教えてください。

岸本 最大の転機は、経営体制の変更により、自身の役割を退くことになった経験です。そのとき初めて、「自分の力で会社を再建し、結果で実力を示したい」という強い思いが芽生えました。振り返れば、あの出来事があったからこそ、経営者としての覚悟が本当の意味で定まったのだと思います。

── 資金面での苦労があった中で、支えになったものは何でしたか?

岸本 苦しい時期に、私の話を真剣に聞き、信じてくれる人たちがいたことが何よりの支えでした。味方がいるという実感が、前を向く力になったのです。

中には、個人的に資金面で手を差し伸べてくださった方もいました。公的な制度ではなく、長年お付き合いのある専門家の方が、500万円を口座に入れてくださり、「返さなくていい。応援させて。」と言ってくれたのです。その言葉に、どれだけ救われたかわかりません。

また、金融機関の担当者の方々も大きな存在でした。一度は難しい判断を受けながらも、私たちの事業の可能性を信じ、再度検討の機会をつくってくださったのです。

あのとき、私たちの挑戦を信じてくれた方々がいたからこそ、再び歩み出すことができました。今でも、その恩は忘れていません。

── 従業員がゼロになったこともあったそうですが、どのように組織を再構築したのでしょうか?

岸本 再出発当初は、十分な教育体制を整える余裕もなく、経験の浅いメンバーで運営せざるを得ませんでした。結果として現場には大きな負担がかかり、組織として未熟な状態だったと振り返っています。

若いスタッフに早い段階から現場を任せる状況が続き、業務過多やコミュニケーション不足からトラブルも起きました。心身ともに疲弊するメンバーも出てしまい、経営者としての責任を痛感する日々でした。

私自身も強い姿勢で現場に向き合っていましたが、それだけでは組織は持続しないと気づかされました。

だからこそ、「会社として何を大切にするのか」という理念を明確にしなければならないと考えるようになったのです。あの経験が、今の組織づくりの原点になっています。

── 理念を構築される以前は、数字を重視されていたのでしょうか?

岸本 はい。当時は何よりも数字を優先していました。マイナスからの再出発だったため、まずは業績を立て直すことに必死でした。振り返れば、理念よりも成果を追い求めていた時期だったと思います。

── その後、どのように理念を組み立て、浸透させたのでしょうか?

岸本 当初は社員教育に問題があると考えていました。しかし、経営者セミナーに参加して、自分が間違っていたことに気づきました。「会社は経営者がすべてであり、経営者が学ぶべきだ」と。そして、会社には理念が必要だと考えるようになったのです。

料理を担うスタッフ、式をプロデュースするスタッフ、衣装スタッフ、サービススタッフ。それぞれの部署には、それぞれの専門性や判断基準があります。しかし、結婚式の主役はお客様です。各部署が自分たちの基準だけで動いていては、全体として最良の形にはなりません。

たとえば、料理スタッフは指示された時間に料理を提供することを重視します。一方でサービススタッフは、式の進行状況を見ながら提供のタイミングを調整したいと考えます。

そのような状況では、発言力の強い部署の判断が優先されやすくなります。その結果、現場でお客様に向き合うスタッフが最善を尽くそうとしても、思うように実現できない場面が生まれていました。

毎回このような状況に直面する中で、「私たちは何のためにこの仕事をしているのか」という原点に立ち返る必要性を感じたのです。

そこで、「幸せを創造し、人生を豊かに。」という経営理念を掲げました。これは、一つの幸せをつくるため、私たちが仲間としているということを会社全体に落とし込むための理念です。経営理念を浸透させたことで、離職がなくなり、会社が一つにまとまり、組織として機能するようになりました。

夫婦の幸せを言語化した結婚式「理念式」

── 縮小傾向にある結婚式市場の今後をどう見ているのか、そして開発された「理念式」について教えてください。

岸本 市場環境はその通りであり、ブライダル業界はいわゆる斜陽産業に分類されるかもしれません。しかし、人と人が出会い、結婚し、家族が生まれ、社会が生まれるというプロセスは、国の成長にとっても不可欠なものです。

結婚後の長い生活も含め、結婚は人間にとっての重要な要素であり、その中の一つに結婚式があります。私たちは、単に「結婚式というイベント」を扱うのではなく、もっと広い視野でとらえる必要があると考えています。

コロナ禍を経て、新郎新婦の価値観が変化し、結婚式のあり方も大きく変わりました。地方では、経営基盤の維持が難しい式場が統合や撤退を選択するケースも増えています。

そのような状況下で私たちが選ばれ続けるためには、結婚式そのものを売るだけでは限界があります。結婚から始まる人生にまで関わり、夫婦の未来に価値を提供できる存在になることこそが、持続的な成長につながると考えました。

会社の理念を構築したことで社員の一体感が生まれ成長できたのと同様に、夫婦にも理念があれば、長く幸せであり続ける家族を築いていけるのではないでしょうか。そう考えた私たちは、二人にとっての幸せとは何かを丁寧に掘り下げ、その価値観を言葉にする機会を提供しています。

「理念式」とは、こうして言語化した夫婦の理念を基盤として行う結婚式です。このように価値観を明確にしたうえで式を創り上げる取り組みは、他にはあまり例がないと考えています。

多くの式場が、インスタグラムなどのSNS映えや結婚式を挙げない「ナシ婚」層をいかに「アリ婚」層にするかという点に注力し、割引やプレゼントなどで集客を図っています。しかし私たちが重要だと考えるのは、どう永続的に必要とされる存在であり続けるか、です。

「理念式」を通じて夫婦の理念をお伝えすることが、他にはない独自の価値となり、私たちが選ばれる理由につながっています。

── 顧客獲得やマーケティング活動についても教えてください。

岸本 この取り組みを自社だけにとどめるのではなく、より多くの会場で活かしていきたいと考え、フランチャイズ展開も進めています。名古屋や甲府の式場とも連携しており、同じ想いを持つパートナーと共に全国で「理念式」を実践するカップルを増やしていきたいです。また、地元である倉敷市とも意見交換を重ねながら、行政との可能性を探っています。

11月22日の「いい夫婦の日」に合わせて、「いいふうふ研究会」を立ち上げ、プレイベントも開催しました。

2年前には、書籍(『夫婦の理念 とある地方の結婚式場がはじめた、 ふたりがずっと幸せでい続ける方法』ダイヤモンド社)を出し、多くの方に私たちの考えを知ってもらう機会もつくっています。私自身もSNSやYouTubeで積極的に発信し、それらを通じて認知度を高めています。

結婚式場から日本を幸せにする

── 組織面での強みと、改善の余地があると感じる点について教えてください。

岸本 組織面では、インバウンド需要を見据え、「ウェディングツーリズム」という形で観光地・倉敷の魅力を生かす取り組みを進めています。それに伴い、事業の広がりに対応できる体制づくりにも着手しました。横に広がりながらも、土台の強い組織を目指しています。

今後の課題は人材育成です。採用が難しい社会環境にあるため、リファラル採用の強化も重要だと考えています。また、私たちの理念や取り組みに共感してくださる方々とのつながりを大切にし、その関係性が将来的に採用へと広がっていく可能性もあると考えています。

スタッフには女性が多いため長く働きやすい環境整備をしました。具体的には、産休・育休を経て復帰し働き方を変えながら活躍してもらったり、フリーランスや契約社員として柔軟に働ける環境を整えたり、です。

── 社長ご自身が、これまで大切にしてきたこと、譲れないこだわりは何でしょうか?

岸本 お客様と社員、そして会社が、「三方良し」で皆が幸せであることです。誰も置き去りにしないことを大切にしています。

会社としても、「幸せを創造することの先にビジネスがある」という考えです。新たな取り組みに挑戦する際も、そこに人の喜びや前向きな価値が伴わないものであれば、選択することはありません。たとえ課題解決につながる事業であっても、持続的な幸福につながらない形であれば取り組まないという姿勢です。

皆が幸せになり、その延長線上にビジネスがある。それが私の軸です。社会から信頼され、必要とされ続ける企業だけがこれからの時代に残っていくと考えています。私たちは、その存在であり続けるために事業を続けていきます。

── 幸せを創造する企業として、今後、どのような世の中になってほしいと考えますか? そのための事業や展望についても教えてください。

岸本 日本全体の幸福度を高めていきたいと考えています。結婚式場という立場からでも、その実現に貢献できると信じています。結婚後まもなく関係が揺らぐ夫婦がいる現実がある中で、私たちは結婚式を人生の出発点と捉え、その先まで見据えた価値を届けたいと思っています。夫婦が幸せであり続けることが、やがて社会全体の幸福につながる。その想いを胸に、日々事業に向き合っています。

氏名
岸本裕子(きしもと ひろこ)
社名
株式会社サムシングフォー
役職
代表取締役

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