本記事は、中谷 健太氏の著書『失敗する後継者、成功する後継者 東洋思想で読み解く次期社長の育て方』(あさ出版)の中から一部を抜粋・編集しています。
引き算の経営と順番
引き算の経営とは、「何を足すか」ではなく、「何をやめ、手放し、任せるか」を意図的に設計する経営です。
創業期には足し算が正解でした。社長の関与を増やし、管理を増やし、速度を上げ、判断を集約し、強く握って伸びる。ところが承継期に同じことを続けると、後継者は育ちません。幹部は考えなくなり、組織は自走しなくなります。
ここで重要なのは、引き算には順番があるということです。
① 手を引く
② 口を引く
③ 決定を引く
④ 評価を引く
⑤ 存在感を引く
この順番を飛ばすと、承継はほぼ確実にこじれます。逆に、順番通りに離せば、承継は驚くほど滑らかになります。
① 手を引く
事業承継における最初の引き算は、「手を引く」ことです。ここでいう手とは、社長が自ら動いて処理してきた実務のことを指します。
創業期には、社長が前面に立つことで会社は伸びました。営業も、重要顧客対応も、現場のトラブル処理も、すべて社長が動くことでスピードと信頼を生んできたのです。
しかし承継期に同じことを続けると、後継者は責任ある仕事を経験できません。幹部も社員も、最終的には創業社長を見て判断するようになり、組織は二重構造になります。
そこで必要なのが、実務から意図的に手を離すことです。具体的には次のようなことです。
- 重要顧客対応を自分で抱えない
大口顧客との打ち合わせに毎回同席しない。後継者を前面に出す。自分は「紹介者」に回る。 - 現場判断を自分で処理しない
現場からの細かい相談を受けない。「それは後継者に聞いて」と返す。例外処理を自分で決めない。 - 部門業務に直接口を出す前に任せる
営業の提案内容。仕入の選定。採用面接。現場の段取り。
こうした実務から手を離します。
こうして社長が実務の前面から退くことで、初めて後継者が責任の重さを引き受ける環境が生まれます。手を引くとは、責任を捨てることではありません。後継者が本当の意味で経営を担うための、最初の決断なのです。
権限移譲のコツは「得意分野から」ではなく「苦手分野から」
一つ、頻発する誤りがあります。
権限を譲るとき、社長はつい「自分が長けた分野」から任せようとします。けれども、これは失敗しやすいのです。得意分野ほど、後継者の粗が目につくからです。口を出したくなり、苛立ち、結局握り直してしまいます。
一方で、苦手分野は干渉が減ります。任せ切りやすくなり、結果として後継者が伸びます。譲るなら、社長が苦手な分野から。これが「離せる設計」になります。
承継は精神論ではありません。「任せられる順」ではなく、「離せる順」で設計します。
この発想が入るだけで、承継は現実に動き始めます。
② 口を引く
手を引いたあとに必要になるのが、「口を引く」ことです。ここでいう口とは、社長が無意識に発してしまう助言や指示、評価の言葉を指します。
創業社長は経験が豊富なため、どうしても「それはこうしたほうがいい」「私ならこうする」と口を出したくなります。
しかし、その一言が組織の空気を決めてしまいます。幹部や社員は「結局は社長の考えが正しいのだ」と感じ、後継者の判断よりも創業社長の言葉を優先するようになります。
すると、後継者のもとで組織が動く土台は育ちません。
承継期の社長に求められるのは、正しい助言をすることよりも、あえて言葉を控えることです。会議では後継者に話させ、判断も説明も任せる。意見を求められたときだけ簡潔に伝える。その姿勢が、組織の視線を自然と後継者へ向けていきます。
口を引くとは沈黙することではありません。後継者が自分の言葉で組織を動かす余白を残すことなのです。
③ 決定を引く
手を引き、口を引いたあとに必要になるのが、「決定を引く」ことです。
ここでいう決定とは、会社の最終判断を誰が下すのかという権限のことを指します。
創業社長のもとでは、多くの重要な意思決定が社長に集まっていました。投資、人事、取引条件、新規事業など、最後は社長が決めることで会社は前に進んできたのです。
しかし承継期においてもその構造が続くと、後継者は責任ある判断を経験する機会を持てません。社員もまた、最終的には創業社長の判断を待つようになり、組織の重心は移りません。そこで必要になるのが、意思決定の権限を後継者へ渡すことです。
重要な案件であっても、最終判断は後継者に委ねる。創業社長は相談には乗るが、決めるのは後継者とする。この構造が定着したとき、組織は初めて新しいトップのもとで動き始めます。決定を引くとは、権威を手放すことではありません。会社の未来を担う者に、判断の重さを託すことなのです。
④ 評価を引く
決定を引いたあとに求められるのが、「評価を引く」ことです。
ここでいう評価とは、人事評価や人の良し悪しを最終的に判断することを指します。
創業社長の会社では、社員は誰よりも社長の評価を気にして働いてきました。昇進や処遇だけでなく、「社長がどう思うか」が組織の空気を決めてきたのです。
しかし承継期においてもその構造が残ると、社員の視線は後継者ではなく創業社長に向き続けます。表面上は後継者に従っていても、心の中では社長の顔色をうかがうようになります。これでは組織の重心は移りません。
そこで必要になるのが、人の評価を後継者に任せることです。昇進や配置、評価の最終判断は後継者が行う。創業社長はその結果を尊重し、口を挟まない。この構造が定着したとき、社員の視線は自然と新しいリーダーへ向かいます。評価を引くとは、人を見る力を手放すことではありません。組織の評価軸を次の世代へ移すことなのです。
承継は、後継者の覚悟が注目されやすいものです。しかし実際には、任せる側―― 先代の覚悟のほうが難しいことが多いと感じます。任せるとは、耐えることだからです。内心では「そうではない」「危ない」「こっちが正しい」と思っても飲み込みます。この飲み込みが器です。
そして、器を最も問うのが「評価を引く」局面です。評価とは、実は最も強い支配です。
命令よりも叱責よりも、人を縛ってしまいます。
⑤ 存在感を引く―― そして「上善は水の如し」へ
最後に必要になるのが、「存在感を引く」ことです。
手を引き、口を引き、決定を引き、評価を引いても、なお創業社長の存在が強すぎると、組織の重心は完全には移りません。
創業者は会社そのものの象徴です。長年会社を率いてきた人物がそこにいるだけで、社員は無意識にその意向を読み取ろうとします。会議で発言しなくても、社長がどう思っているかを気にする空気が残るのです。
そこで承継の最終段階では、意図的に前面から退く必要があります。会議への出席を減らす。日常の報告も後継者に集める。社内の中心は後継者であるという構図を、時間をかけて定着させていくのです。
存在感を引くとは、会社から消えることではありません。会社の背後から静かに支える立場へと移ることです。そのとき初めて、組織は新しいリーダーのもとで自律的に動き始めます。
「事業承継&後継者育成の専門家」
中小企業診断士/事業承継士/上級相続診断士/認定経営革新等支援機関
同志社大学法学部卒業、同大学院修了。大手コンサルティング会社、事業会社の役員を経て、現在は「事業承継&後継者育成の専門家」として活動。これまで約300社以上の中小企業に対し、全体最適をコンセプトとした承継設計から、後継者・幹部育成、承継後の組織改革までを一気通貫で支援している。単なるスキーム設計や税務対策にとどまらず、承継の成否を分ける「人と組織」に焦点を当てた実践型コンサルティングを展開。事業会社での役員経験や経営当事者としての経験を活かし、理論だけでは終わらない「現場で機能する承継」を設計する実践派コンサルタントとして定評がある。後継者不在や事業不振による廃業予定案件、争族問題に発展した家族経営、社長急逝による緊急承継など、難易度の高い案件を多数担当。全国の経営者団体、金融機関、業界団体等での講演、執筆にも精力的に取り組んでいる。
著書に『「子どもに会社をつがせたい」と思ったとき読む本 中小企業の「事業承継」、この1冊で大丈夫!』(あさ出版)、『店長会議をちょっと変えれば会社の人事はもっとよくなる!』(商業界)、『ゼロからはじめるプロ経営コンサルタント入門』(共著、同友館)がある。
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