話が違った農薬工場

夜行列車に揺られて朝早くに横浜の駅に降り立ち、待っていたハイヤーで工場に向かう。さっそく見学したところ、工場の様子は聞いていた話と大きく違っていた。オートメーションという説明はどこへやら、作業員が手作業で農薬を製造している。ツナギの作業着に、頭を風呂敷で包み、ガスマスクにゴーグル、ゴム手袋にゴム長靴という出で立ちで、ゴム手袋は農薬の侵入を防ぐために口を紐で結んでいる。さらに、食堂に入ってきた作業員たちのガスマスクの跡が残る顔を見れば、還暦を過ぎた高齢者ばかり。見学に来た若者の大半は逃げ帰り、残ったのは同氏を含めて二人のみだった。

同氏が帰らなかったのには訳がある。故郷の小さな村では、話題といえば他人の噂話。どこそこの倅がどうした、あそこの娘はどうだと幼少の頃から聞いて育った同氏は、ここで逃げ帰れば「木村の倅は根性なしだ」と噂されることを知っていた。家族と自分の名誉のために踏みとどまったのだ。

農薬工場で働きながら、仕事の帰りに新聞を買って求人欄に目を通すことを日課にした。苦い経験を踏まえて、良い会社の求人を見分けるにはどうすればいいかを考え続けた。やがて「工場新築のため」「事業拡張のため」といった文言のある求人を選ぶ知恵を付けた。良い求人を探し続けて半年後、ついに建設機械の修理を行う企業に転職。新幹線の製造で知られる「日本車輌株式会社」の代理店が南多摩駅に新設した工場での仕事だった。


機械修理工として

自動車修理工の経歴もあるように、機械の修理が大好きだった同氏。農薬会社を後にし、ピカピカの新工場にズラリと並ぶ建設機械を見たとき、興奮のあまり鳥肌が立った。ずっとこんな仕事をしたかった、早くこの仕事を覚えたい。武者震いとともに、機械修理工としての生活が始まった。

この代理店は3年ほど後に倒産してしまうが、すでに修理工として手に職のあった同氏は厚木の同業者に引き抜かれた。しかし、代理店の倒産で困ったのが日本車輌だ。新車を納入したきり何のサポートもないと顧客から苦情が殺到。倒産した代理店に勤めていた同氏一人を、日本車輌の社員として呼び戻そうとしたのだ。厚木にいた同氏の元へ、日本車輌の社員が一日じゅうタクシーを停めたまま、頼むから戻ってきてくれと粘っていた。当初は固辞していた同氏だったが、自分の会社を作って下請けとして入る形で、再び日本車輌の仕事に戻ることとなった。