土木重機との出会い

この下請け会社での仕事は、3〜4人の社員総出で残業続きの毎日だった。当時、月給2万円が一般的という時代に100万円を稼ぎ、ほどなく700万円ほどの貯えができてしまった。その頃、ある現場で目にしたのが、販売先が倒産したために新車同様の状態で戻ってきた建築重機だった。自分たちが毎日残業して稼ぐ1カ月100万円を、その機械は1台で稼いでしまう。自分がこの機械を買ったら仕事をくれるかと監督に尋ねると、色よい返事を得られた。若さゆえの勢いも手伝って、700万円を頭金に3台購入した。


地獄だった土木業

重機を購入し、機械修理業のかたわら、土木事業を創業した同氏。ところが、この重機は故障が多かった。故障したと連絡があれば、日本車輌の現場に平謝りして重機の元へ駆けつける。そんなことが続くうち、とうとう「うちを辞めるか土木を辞めるか、どちらかにしろ」と迫られてしまう。重機を買ってしまった手前、土木業を辞めるわけにはいかない。月100万円を稼げる日本車輌の下請けを辞め、土木業に専念することとなる。

しかし、土木業は地獄だった。孫請けという立場の同氏は、元請けの倒産に苦しめられた。売り掛けの未回収により莫大な借金を作り、ようやく返済が終わる頃、また別の元請けが倒れる。その繰り返しだった。自分たちの下請けには、頭を下げて分割を認めてもらいなんとか支払い続けた。借金はあっという間に億に近い額まで膨らんだ。遊んでいて借金ができたなら分かる。しかし、同氏は仕事が好きで、毎日汗して働いていた。一生懸命働いているのにどうして自分がこんな目に遭うんだと、天を仰ぐこともあったという。