はじめに~都道府県化の歴史から見える論点~

国民健康保険,都道府県化
(画像=PIXTA)

2018年4月から国民健康保険(1)の運営が市町村単位から都道府県単位に変わった。(上)で見た通り、この背景には、恒常的な赤字財政に苦しむ国民健康保険の財政安定化に加えて、医療費適正化に関する都道府県の役割強化という目的があり、(1)負担と給付の関係の明確化による「見える化」、(2)医療行政の地方分権化――という2点が都道府県化の意義であると論じた。さらに、(中)では2つの意義を踏まえ、都道府県が策定した「運営方針」を比較・分析することを通じて、その対応や課題を考察した。

一方、今回の制度改革には30年に及ぶ長年の経緯があり、国が計3,400億円の追加財政投入を決めた理由などを理解する上で、制度改革のプロセスを考察することは欠かせない。そして、1980年代以降の今回の制度改革に至る経緯を振り返ると、都道府県化が選ばれた根本的な原因、制度が複雑化した理由、都道府県や市町村に求められる今後への対応などが浮き彫りになる。

国民健康保険の都道府県化を取り上げるシリーズ(全3回)の最終回は30年来の歴史を振り返ることで、こうした論点を考察することとしたい。

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(1)国民健康保険制度には都道府県や市町村が運営する制度に加えて、医師や弁護士などを対象とした国民健康保険組合があるが、ここでは前者について論じる。

国民健康保険財政の全体像と構造的な問題

まず、国民健康保険の財政構造を取り上げる。(上)でも見た通り、2018年度現在で保険料(2)と税金の流れは図1の通りであり、保険料だけでなく、国や都道府県、市町村の税金が複雑に入り組んでおり、今回の都道府県化の関係に際しては、国が計3,400億円の追加財政投入を決めたほか、(上)で詳しく解説した「財政安定化基金」、健診の実施率などに応じて分配する「保険者努力支援制度」が創設された。このように財政構造が複雑化したのは、厚生労働省が少しずつ制度改革を進める「漸増主義」的な改革を進めてきたためである。

では、なぜ漸増主義的な改革が必要だったのだろうか。大前提として、(上)でも述べた通り、国民健康保険は元々、所得や医療費の面で不利な条件な人を対象とした制度であることを認識する必要がある。日本の医療保険制度は元々、現金収入を持つ労働者や勤め人からスタートし、そこから漏れる人を国民健康保険でカバーしていく方法を採用した。この結果、1938年に国民健康保険が初めて創設された時点で、健康保険組合など勤め人を対象とした被用者保険でカバーできない農林水産業従事者や自営業者らを被保険者として想定しており、制度の原型が発足した時点で条件的に不利な人を対象にしていた。

国民健康保険,都道府県化
(画像=ニッセイ基礎研究所)

その後、1961年に国民皆保険を実施する際も、国民全員が国民健康保険に一旦入った後、被用者保険や生活保護受給者は外れる手法を採用したため、勤め人と比べると不利な条件の人で国民健康保険の被保険者集団を構成する状況に変わりはなかった。

さらに、産業構造の変化や人口の高齢化で様変わりしたが、今も会社を退職した高齢者や、被用者保険の対象とならない非正規雇用者が主な被保険者となっており、相対的に不利な条件の人で保険を構成する構造的な問題を抱えている(3)。

これに対し、政府は1950年代以降、国民健康保険に対する支援額を増やすことで、給付の充実を図ってきたが、1980年代以降に政策が大きく転換された。1973年に老人医療費を無料化したことで、高齢者医療費が急増した一方、1980年代以降に国の財政に余裕がなくなった上、保険料の増収も見込めなくなり、国民健康保険の財政悪化が顕在化したためである。

そこで、政府は国庫補助を抑制・削減する代わりに、相対的に豊かな被用者保険の負担を増やす財政調整を導入した(4)ほか、都道府県の財政負担を求める制度改革を目指した。

しかし、この過程では大蔵省(現財務省)、全国知事会などの利害が絡み合い、制度を部分修正する漸増主義的な手法が選ばれた。以下、1980年代以降の歴史を述べることで、対立点や制度改正の結果を取り上げることで、制度が複雑化したプロセスを考察することとする。

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(2)国民健康保険の場合、「保険税」として徴収することが認められており、9割近くの市町村が保険税を採用しているが、ここでは原則として「保険料」の表記で統一する。
(3)2008年度に後期高齢者医療制度が創設され、この状況は一定程度、緩和された。
(4)ここでは詳しく述べないが、1983年に老人保健制度がスタートした。

1980年代以降の都道府県化に向けた歴史

◆第2臨調の答申から始まった制度改正

「都道府県が健全な運営について指導の責任を負うとともに、医療費の監査権限を有していることにかんがみ、医療費適正化を図る上から、給付費の一部を都道府県が負担することも考えられる」。国の行政改革と財政再建に向けた議論を進めていた第2次臨時行政調査会(第二臨調)は1981年7月の第1次答申で、こう指摘した。

さらに、第二臨調は1982年7月の第3次答申、1983年3月14日の最終答申で同様の改革を促したほか、第二臨調に続く臨時行政改革推進審議会(行革審)も1986年6月、都道府県の役割拡大を求めた。いずれも国の財政負担を減らす観点に立ち、都道府県の役割や財政負担の拡大に言及しており、大蔵省のスタンスに近かった。そして、厚生省(現厚生労働省(5))としても「(注:国の一般会計が浮くため)省全体の予算で新規事業が組めるようになる」と考えていた(6)。

しかし、全国知事会が負担転嫁に反発した(7)ことで、関係者の調整は難航した。結局、対立を調整するための場として、有識者などで構成する「国保問題懇談会」が1987年5月に発足し、(1)低所得者の保険料軽減を支援する補助制度(保険基盤安定制度)を創設、(2)高額医療費共同事業(8)に対する国、都道府県の税金投入、(3)これに伴う老人保健制度拠出金に関する国庫負担縮減、(4)地方負担に対する地方交付税措置――といった制度改正が1988年度からスタートした(9)。

こうした経緯を見ると、国の財政再建論議が国民健康保険に波及し、国の財政負担を都道府県に付け替えたと言える。この点については、「(注:国民健康保険を)市町村の事業として置くことに大きな限界があること、そのなかで事業を維持していくために中央が果たすべき責務にも財政力の起因する限界があることを示している」という指摘が出ていたことと符合する(10)。そして、全国知事会が財政負担の拡大に反発したことで、暫定措置を含めて小幅に制度改正を進める手法が取られた。現在の都道府県化に至る論議はここから始まる。

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(5)省庁名については初出段階で現在の名称を付記するが、その後は煩雑さを避けるために省略する。
(6)古川貞二郎(2005)『霞が関半世紀』佐賀新聞社p182。
(7)全国知事会編(1987)『全国知事会四十年史』全国知事会pp224-232。自治省(現総務省)も全国知事会の見解を支持した。例えば、葉梨信行自治相は「国の責任を地方に転嫁する」と批判した。第107回国会参議院社会労働委員会・地方行政委員会連合審査会議録1986年12月17日。 (8)1983年度の創設時、保険料だけを財源としていた。
(9)3省合意事項のうち、(1)~(3)は2年間の暫定措置とされ、1993年度から(1)が恒久化された。
(10)今井勝人(1993)『現代日本の政府間財政関係』東京大学出版会p184。

◆三位一体改革での攻防

国・地方税財政を改革するため、2000年代に小泉純一郎政権が進めた「三位一体改革」(11)でも国民健康保険の財政問題が焦点となった。補助金改革の具体案については、全国知事会を中心に地方六団体が約4兆円に上る補助金の廃止・縮減リスト案を作ったが、その際に国民健康保険に言及していなかった。当時の全国知事会としては、「裁量を広げることにつながらない。あくまでも数字合わせに過ぎない」という判断があった(12)。

これに対し、厚生労働省は2004年10月、国民健康保険に関する国庫補助金の削減とともに、新たな都道府県負担の導入を提案した。これは「財政調整機能を一部渡すことで、(注:都道府県に医療費適正化の)役割を果たしていただきたい」という考え方に基づいていた(13)。

結局、2005~2006年の2年間を掛けて、給付費の国庫補助金を40%→34%、財政調整交付金を10%→9%とする一方、削減分(計7%)に対応する都道府県財政調整交付金(14)が創設された。

この経緯を振り返ると、1980年代と同じ傾向が見て取れる。まず、国庫補助金の削減を通じて財政再建を図りたい財務省の思惑があり、国民健康保険の国庫補助金を肩代わりさせることで他の補助金を守れるという厚生労働省の判断も絡む(15)中、全国知事会が反対するという構図である。

しかし、最終的に全国知事会は負担増を受け入れた。この背景には負担増に見合う税源が移譲された点、医療費適正化に関する権限移譲がセットで見直しが進められた点、厳しい保険財政を運営する市町村に対して配慮した点などがあった(16)。

こうした経緯を見ると、1980年代の攻防と同様、国の負担を減らしたい厚生労働省に対し、全国知事会が反対する構図が続いた様子が分かる。この辺りから全国知事会の態度が変わり始め、2010年代の改革に繋がる。

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(11)三位一体改革は国と地方の財政構造を改革するため、国庫補助金、地方税、地方交付税を一体で見直すことを目指した。
(12)全国知事会における三位一体改革の議論を主導した浅野史郎宮城県知事による記述。浅野史郎(2006)『疾走12年 アサノ知事の改革白書』岩波書店pp189-190。
(13)国と地方の協議の場第2回議事要旨2004年10月12日における尾辻秀久厚生労働相の発言。ここでは詳しく述べないが、1990年代後半以降に高齢者医療費の制度改革論議が進んでおり、これとのリンクが意識されていた。結局、高齢者医療制度の見直し論議は2008年の後期高齢者医療制度の創設に繋がる。
(14)名称が2018年度から「都道府県繰入金」に変わった。
(15)『日本経済新聞』2004年10月13日、10月9日。
(16)『朝日新聞』2004年10月20日。『日本経済新聞』2005年12月5日、2004年11月29日。

◆民主党政権期の議論

民主党政権期にも国民健康保険の財政問題が争点となり、制度改革が進められた。その流れは(1)後期高齢者医療制度の見直し論議、(2)子ども手当の地方負担論議――である。

まず、後期高齢者医療制度の見直しである。2008年に制度が発足した際、年齢による差別などが批判されたため、舛添要一厚生労働相は私案として、「(注:広域化された市町村)国民健康保険が県民健康保険に変わると思っていい」と述べる(17)とともに、見直しのための有識者会議を発足させた(18)。さらに、2009年8月の総選挙で大勝した民主党はマニフェスト(政権公約)に後期高齢者医療制度の廃止を明記し、政権交代後には有識者や関係団体の代表で成る「高齢者医療制度改革会議」を設置した。この中で、全国知事会は「積極的に責任を担う覚悟はある」としつつ、財政安定化に向けた国の支援を求めた(19)。この時点で全国知事会の態度は消極姿勢から条件付き容認に転じたと言える。

さらに、国民健康保険の財政制度は思わぬところから見直されることになった。発火点となったのは当時、民主党政権がマニフェストで訴えていた「子ども手当」を巡る財源問題である。国民健康保険との関係では2012年度予算編成で論点となった。

具体的には、子ども手当の充実を図る一環として、小宮山洋子厚生労働相が4,400億円の追加負担を地方に求めた(20)のに対し、地方六団体は「(注:現金給付は)地方に裁量の余地がない」などと反対した(21)。結局、子ども手当に関する国と地方の財政負担を2:1とする一方、国民健康保険に関する都道府県の財政負担を増やした。具体的には、国民健康保険の給付費に関する国庫補助金を34%→32%に引き下げる一方、都道府県の負担を7%→9%に引き上げた(22)。

これらの経緯を見ると、子ども手当の地方負担問題が本来、子育て施策と無関係にもかかわらず、予算規模が大きい国民健康保険に飛び火し、最終的に民主党政権期も都道府県の財政負担を拡大させる路線が継続した。言い換えると、これまでの経緯と同様、国民健康保険の都道府県化を進めたいという厚生労働省の意図の強さとともに、これに全国知事会が反対した構図を確認できる。

しかし、全国知事会が条件付き容認に転換した意味は大きく、再度の政権交代を挟んで今回の都道府県化に繋がることになった。

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(17)2008年9月30日閣議後記者会見概要。
(18)有識者で成る「高齢者医療制度に関する検討会」が2008年9月に設置され、2009年3月に論点整理を取りまとめたが、課題の列挙にとどまった。
(19)全国知事会2010年12月20日「持続可能な国民健康保険制度の構築に向け国の財政責任を含めた本質的な検討を求める」。
(20)子ども手当の創設時に年少扶養控除を廃止したことで、住民税に5,000億円程度の増収が生まれたため、これを地方負担の財源とするよう求めていた。
(21)地方六団体2011年11月8日「子どもに対する手当に関する厚生労働省提案について」。
(22)暫定措置の高額医療費共同事業と保険財政共同安定化事業を2015年度に恒久化することも盛り込んだ。

◆2015年成立の医療制度改革法

最後に、国民健康保険の都道府県化を決めた経緯である。2013年8月の社会保障制度改革国民会議報告書では、「時機を逸することなくその道筋をつけることこそが国民会議の責務」といった表現を用い、都道府県化の必要性を指摘しており、その過程では全国知事会が「医療保険における最後のセーフティネットである国保が持続可能な制度となるよう、抜本的な改革に市町村とともにしっかり取り組んでいく考えである」としつつ安定財源の確保を要請(23)したことで、国民健康保険に対する財政支出拡大が都道府県化に向けた一つの条件となった。

しかし、厳しい財政状況の下、財務省は税金投入の拡大に難色を示した(24)。結局、国民健康保険の財政運営を2018年度から都道府県化する際、3,400億円の国費を追加投入することが決まり、その財源としては、社会保障目的で引き上げた消費税収の一部として1,700億円を充当することになった。

さらに残りの1,700億円については、(1)後期高齢者医療制度に対する被用者保険の支援金について、案分ルールを2017年度以降、段階的に人頭割から全面総報酬割に変更(25)、(1)(2)(1)の結果、相対的に豊かな健康保険組合の負担が増え、協会けんぽの負担が減るため、協会けんぽの国庫補助率を当分の間16.4%と定める一方、準備金残高が法定分を上回った際、超過相当額を国庫補助から減額、(3)その結果、浮く国費2,400億円のうち、1,700億円を国民健康保険に投入――という内容で決着した(26)。

こうした経緯を振り返ると、全国知事会は国民健康保険の都道府県化を受け入れる代わりに、国の財政支援を求める姿勢を明らかにし、消費税の引き上げと高齢者医療費を巡る複雑な「操作」を経て、計3,400億円の追加財政投入がなされ、都道府県化が実現したと言える。

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(23)全国知事会2013年4月24日「社会保障制度改革国民会議における国民健康保険の議論について」。
(24)財政制度等審議会2013年1月21日「平成25年度予算編成に向けた考え方」。
(25)当初は100%加入者割だったが、2010年度から特例措置として、3分の1を総報酬割とした。
(26)浮いた財源のうち、700億円は高齢者医療費拠出金の負担が重い健保組合の支援に充当することとなった。

1980年代以降の都道府県化に向けた歴史から分かること

◆一つの節目としての都道府県化

以上の経緯を見ると、2018年度の都道府県化が30年以上の歴史を経ており、今回の制度改正が一つの大きな節目であると理解できる。

こうした点は当局者の発言でも裏付けられる。例えば、三位一体改革の時に「国保財政の安定には運営の広域化が必要であり、そのためには積年の悲願である都道府県の本格的な運営参加が不可欠。実施に当たって、従来から最大のネックである不交付団体27への財源手当も税源移譲により対応できる。都道府県単位の財政運営に向けた第一歩となった。」28という総括がなされており、後期高齢者医療制度の見直し論議でも「大きな流れとして供給も保険の費用負担も(注:都道府)県単位に考えるのが適当」29といった声が出ており、厚生労働省にとって今回の制度改正は「積年の悲願」を実現したと言えるかもしれない。

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(27)不交付団体とは地方交付税を受け取っていない団体。都道府県の財政負担をカバーする財源を地方交付税で措置したとしても、東京都などの不交付団体は恩恵を受けられないが、地方への税源移譲は不交付団体も対象となるため、その違いとメリットを強調していると見られる。
(28)国民健康保険七十年史編集委員会(2009)『国民健康保険七十年史』国民健康保険中央会p499。当時、国民健康保険課長だった厚生労働省の唐澤剛官房審議官の寄稿。
(29)2008年10月2日記者会見における厚生労働省の江利川毅事務次官の発言。「大きな流れ」として、都道府県が医療計画を策定している点、協会けんぽの保険料が2008年10月から都道府県単位化した点を挙げた。

◆背景と過程の考察

こうした都道府県化に至る背景や経緯を単純化すると、以下のように説明できるであろう30。当初、国民健康保険の対象者としては農林水産業従事者や自営業者が想定されていたが、産業構造の変化を受けて、これらの人の割合は減少した。一方、人口の高齢化が進んだ結果、会社を辞めた勤め人が国民健康保険に多く流入し、高齢者医療費の増加が国民健康保険の財政を悪化させた。

さらに、1980年代以降に経済成長率が鈍化し、国の財政が悪化したため、国庫補助を抑制・削減する代わりに、国民健康保険に関する都道府県の役割を増大させる改革が少しずつ進められるようになった。今回の都道府県化は一つの集大成と言える。

しかし、その過程で関係者の調整は難航した31。具体的には、全国知事会は負担増に反対し、途中から国の財政支援を条件とする「条件闘争」に転じた一方、国の財政支援の拡大には財務省が難色を示した。

このため、厚生労働省としては、少しずつ都道府県の負担を拡大したり、国の財政支援をパッチワークで積み重ねたりする漸増主義的な改革を積み上げることになり、その30年間に及ぶ利害調整の結果として、図1のように保険料と税金が絡み合う複雑な財政構造が生まれたのである。

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(30)産業構造の変化や雇用形態の多様化に伴う非正規雇用者の拡大も国民健康保険の財政悪化の一因として見逃せない。さらに、国民健康保険を支援する方策として、被用者保険からの財政調整が同じ時期にスタートした。いずれも重要な論点だが、ここでは議論を整理するために考察の対象から外した。
(31)ここでは詳しく触れないが、被用者保険からの財政調整が同時に進んでおり、健康保険組合連合会などの意見も反映する必要があった。

おわりに

では、都道府県化を経た後、図2で示した構造が変化するのであろうか。実際には高齢者と非正規雇用で構成する国民健康保険の脆弱な財政基盤に変わりはなく、高齢者医療費の増加など厳しい財政運営を迫られる。

しかも、(上)(中)で指摘した通り、都道府県と市町村は負担と給付の「見える化」と医療提供体制の構築に取り組む必要もある。この点の難しさと重要性を理解するため、再び歴史を振り返ることで、本レポートを締め括りたい。

実は、「国民健康保険の運営主体を都道府県とするか、市町村とするか」という点については、古くて新しい問題である。具体的には、国民皆保険に向けて準備を進めていた1950年代にも議論されており、厚生省国民健康保険課長だった伊部英男は以下のように振り返っている(32)。

局議で一番もめたのは(注:市)町村を単位にするか、(注:都道府)県を単位にするか(略)。とにかく健保組合と医師会を考えると、健保組合には医師会に対抗するような政治力はないわけですね、率直にいうと。(略)そうすると、やはり町村長をそちらに結びつけて、医師会とのバランスをとらないと、健康保険全体の動きはどうなるかということは基本にあった。

つまり、医師会の政治的なパワーが強いため、地元に影響力を持つ市町村長を健康保険組合と同じ費用の支払い側に引き入れることで、政治力を持つ医師会とのパワーバランスを図りたかったと説明しているのである。

ここで言う「医師会」が日本医師会を指すのか、地方の医師会を示しているのか判然としないが、医師会との関係については、都道府県が現在、別の形で直面している。具体的には、(上)(中)で述べた通り、都道府県は医療行政に関する「総合的なガバナンスの強化」が図られる(33)中で、国民健康保険の財政運営だけでなく、2025年の医療提供体制を定める「地域医療構想」の推進が求められており、都道府県は病床再編などについて、地元医師会との対話や調整、そして時には対峙を迫られる可能性がある。

(中)では今回の制度改革に際して、都道府県が病床削減に繋がりかねない医療計画(及び地域医療構想)とのリンクを避けた可能性を指摘したが、医療行政の地方分権化を一つの意義とした今回の制度改革を通じて、保険財政と提供体制の両面を見据えた医療行政に向けた都道府県の責任は大きいと言える。

一方、伊部課長は専門誌の対談で、市町村を中心に据えた理由として、「(注:市町村は)住民の日々の生活の進歩、福祉の向上に直接関係し、最も密着した仕事をする点にある」と指摘している(34)。

この点について見ると、「最も密着した仕事」という市町村の役割は今も変わらない。具体的には、制度改革後も引き続き「最も密着した仕事」として予防・保健事業や保険料の徴収などを担うことになるし、「見える化」された負担と給付の関係を住民に説明する最前線を担うのは引き続き市町村である。さらに市町村は介護・福祉行政の責任主体として位置付けられており、当時に比べると市町村の役割は格段に大きくなっている。

今回の都道府県化は1961年の国民皆保険以来の「50年ぶりの抜本的な改革」となる(35)。今後、都道府県と市町村が国民健康保険をどう運営するのか。さらに、負担と給付の関係を住民にどう説明し、提供体制を含めて負担と給付のバランスをどう取るのか。難しい舵取りを迫られる都道府県と市町村の意欲と実力が問われる。

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(32)小山路男編著(1985)『戦後医療保障の証言』総合労働研究所pp281-282。
(33)総合的なガバナンスのイメージや論点については、拙稿レポート「都道府県と市町村の連携は可能か」を参照。
http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=57965
(34)『地方財務』1957年5月号。
(35)『社会保険旬報』2612号 2015年8月11日における厚生労働省の唐澤剛保険局長インタビュー。

三原岳(みはら たかし)
ニッセイ基礎研究所 保険研究部 准主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任

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