家族3世代が殺到する~行列のできるハンバーグ店
横浜市保土ケ谷区のハングリータイガー保土ヶ谷本店。お昼時に店内を覗くと、待合スペースに行列が。客の目当ては鉄板でジュージュー音を立ててやってきたハンバーグだ。目の前でカットしてもらい、待つこと60秒。最初にこのやり方を始めたのがこの店だ。
客の8割が頼むハンバーグ。「ハンバーグレギュラーセット」(平日ランチ)はライスとドリンク付きで1350円だ。添えられるのは肉汁をベースにしたグレイビーソース。創業以来変わらない醤油仕立てで、この味に病みつきのファンも多いとか。このソースはおかわりも自由だ。
ハングリータイガーは神奈川では知らない人のいないハンバーグレストラン。やってくる客層はライバル店といささか違う。3世代で訪れる客が多いのだ。子供のころから連れてこられ、「ここでナイフとフォークの使い方を覚えた」という母親が、今は自分の子供に同じことを。親子2代にわたって、ここで婚約者を家族にお披露目したという客もいる。
客単価は平均2220円。ファミリーレストランの平均が1000円前後なので、2倍以上するが、それでも客が押し寄せる。
人気の秘密の1つは、こだわりの炭火焼にある。ハンバーグのパテはオーストラリア産の牛肉100%。つなぎやタマネギなどは一切入っていない。牛肉だけだと焼いた際に型崩れしてしまうことが多いが、ハングリータイガーのハンバーグは綺麗な形を保っている。
その理由は、あえて客に丸見えにしてあるハンバーグを焼く炭焼き台にある。使うのはナラやクヌギの炭。800℃以上の高熱になり、焼きムラも出やすいとされる。焼き手には、火力によって置く位置や時間を変えるなど、職人としての技術が要求されると言う。
その焼き方は、ハングリータイガー独特の8面焼きだ。まず広い面を、向きを変えて2回焼きクロスの焼き目を入れる。ひっくり返して裏面も同じように。さらに側面、反対側の側面と焼いていく。縦の面も焼いて全ての面を焼き上げる。炭火で一気に焼くので型崩れしなくなる。表面を高熱で焼くことで、うま味たっぷりの肉汁を閉じ込める効果もある。
もう1つの人気の秘密は、ワンランク上の接客にある。例えば出来上がった料理を客に出す際、スタッフは誰が何を頼んだのか、確認をせずに出している。客は黙ったままでいい「サイレントサービス」だ。
接客の要となるのが、店を見渡す炭焼き台にいる「チャコールマン」だ。炭火と向き合って29年の小平勝志は、保土ヶ谷本店の店長。肉を焼きながら、チラチラと客席の方を見ている。そしてあるテーブルの客のスープやサラダの進み具合を見ると、スタッフにハンバーグを焼いていいか、聞きに行かせた。チャコールマンは店全体に目を配り、客の望みを実現していく、いわばサービスの司令塔なのだ。
小平がまたホール係を呼んだ。用意したのはハンバーグソース。それを客席へ運ばせた。客に「分かっているね。お客の側に立っている。すごいと思う」と言わせた小平。客がソースの器を持ってかき出す仕草を見て、おかわりを指示したのだ。
驚異のリピーター率~神奈川県民熱愛のハンバーグ
そんなハングリータイガーを作りあげた男は、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州の牧場にいた。大草原をバイクでかっ飛ばし、牛を追い回してゲートに追い込んだ。
ここはおいしい牛肉を作りたいと、創業者の井上修一(76)が2003年に始めた牧場。ようやく今年から店での提供を始めると言う。牛は放牧で育て、草だけを食べさせている。どうすればおいしい牛に育つかを追求しているのだ。
「できるだけ自然に育てた牛肉を、日本のお客様に楽しんでいただければいい」(井上)
井上には、日本でも欠かせない仕事がある。店の味の最終決定だ。
この日、保土ヶ谷本店で開かれたのは新メニューの検討会。用意されていたのは、牛の肩肉の薫製「ブリスケット」というアメリカ料理だ。狩人のように大きな塊肉にかぶりつくのが理想という井上。スタッフから「手づかみで食べる」という提案を受け、気に入った様子だ。
井上がハングリータイガーで目指すものはひたすらシンプル。
「『満足だよ、おいしかった、また来るよ』と言っていただける状況に全てを仕上げていく。それが究極の目的です」(井上)
ハングリータイガーは神奈川県内、10店舗だけの展開で年商23億円に達する。
驚くべきは80%にもなるリピーター率だ。なかには「週に3回は来る」「19日連続で来ている」という客も。そしてよく見るのが、食事を終えた客が、肉を焼いているチャコールマンのところへ行き、「おいしかった」と伝えている光景だ。
外食ブームに乗って拡大~一転、相次ぐ苦難で倒産寸前に
ハングリータイガーのスタッフは毎日、油断ができないようだ。それは井上が突然やってくるからだ。この日はまっすぐ店に入るかと思いきや、植え込みの中へ。ゴミを見つけた。予告なしの店舗チェックというわけだ。
もちろん料理もチェックする。チェックの中で最も重点を置いているのがハンバーグの焼け具合。「まず、真ん中を割って焼き加減を見て。赤いのはダメ。生焼けを宣伝しているところもあるが、非常に危険です」と言う。生焼けのハンバーグは絶対に出さない。そこにこだわるのは、過去にあってはならない失敗、苦すぎる経験があったからだ。
1942年、神奈川県で生まれた井上。実家は精肉店で、毎日肉を食べて育った。日本の大学を卒業後、当時は珍しかったアメリカ留学へ。そこでレストランの経営学を学んだ。
「アメリカの学校へ行ってみたら、バーベキューが普通にあった。そのような文化を再現できれば、日本のお客様もびっくりするだろう、と」(井上)
帰国後の1969年、27歳でハングリータイガーをオープンした。
すると時代の追い風が吹く。井上が店を開いた翌年にファミレスの元祖、「すかいらーく」1号店がオープン。さらにその翌年には「マクドナルド」の1号店がオープン。外食がブームとなり、身近になったのだ。
ハングリータイガーも次第に客足を伸ばし、井上は勢いに乗って多店舗化を進める。創業から5年後の1974年には東京・六本木に進出。CMまで作った。
「東京から全国に広げていけるチャンスがあると思いました。100店舗の展開ができるかもしれないと」(井上)
実際、最大33店舗にまで拡大した。しかし、そこに思わぬ落とし穴が潜んでいた。
2000年、ハングリータイガーで食事をした14人の客がO157による食中毒に。原因はアメリカから輸入していたハンバーグのパテ。アメリカの工場で加工する際、O157の菌が混入したのだ。これで全店が営業停止に。死者は出なかったが、子供を含む4人が入院する事態となった。
「入院された患者さんの容体が伝わってきて、症状が重い方もいると聞き、本当にとんでもないことをしてしまったと思いました」(井上)
さらにその翌年、2001年には、国内でBSEに感染した牛が見つかり、消費者の牛肉離れが進む。焼肉店など、牛肉を扱う店は相次いで潰れ、ハングリータイガーも深刻な影響を受けた。
「もう潮が引くようにお客様がいなくなって、前年対比の売り上げが60%、50%に。このまま死のうかというようなことが頭をよぎることもありました」(井上)
銀行にも背を向けられて金策に窮し、ハングリータイガーは倒産の危機に陥った。
3店舗からの出直し~人気ハンバーグ店の復活劇
そんなとき、井上に再び前を向かせたものがあった。それはファンだという地元の客から届いた励ましの手紙だった。井上はそれを朝礼で読んだ。
「私の人生で家族との楽しい思い出は、全てハングリータイガーにありました。誕生日、クリスマス、そしてプロポーズ、みんなハングリータイガーでした。……こんなことで消えてしまうほど情けない営業はしてこなかったと私は思っています。頑張ってください」
聞きながら泣き出す者も。食中毒以来、世間から冷たい目で見られていた従業員の心に、優しい言葉がしみた。
「今でも思い出すと胸が詰まります。こういう方がいらっしゃるのは本当にありがたいことだと思いました」(井上)
井上は出直しを決断した。2002年、従業員ごと店を引き取ってくれる別の外食チェーンを見つけると、3店舗を残して売却。残した3店舗から再び歩き出したのだ。
「店を愛してくれる客に応えよう」と誓った井上がまず見直したのは、肉の仕入先だった。O157の原因となったアメリカ産牛肉をやめ、衛生管理が徹底されているオーストラリア産に切り替えた。
さらに調理法も根本的なところから見直した。実は炭火で丁寧に焼いても、「焼き上がっても中心の温度は20℃前後なんです(営業部次長・石田直也)と言う。外はこんがり焼けていても、中心部分はまだ生の状態なのだ。
そこでハングリータイガーは業界初となる機械を独自に開発した。炭火で焼いたハンバーグをこの機械にセットすると、上下の金属板の間で電気が流れる。結果、ハンバーグの中心部分は、50℃前後まで熱くなる。
仕上げは280℃に熱した鉄板での余熱調理。切り分けて加熱すると、中心部は75℃に。これで1分間待てば、O157を含む、すべての細菌を死滅させることができる。この方法なら肉も固くならず、かつ安全。同じ過ちを犯さない仕組みを作り上げたのだ。
もう一つ、出直しの中で井上が決めたことがある。
「不満をなくすレベルではお客様には来ていただけない。満足していただくための知恵を絞っていかなければいけない」(井上)
例えば週末のピーク時、客は2時間以上待つことになってしまう。その待ち時間も楽しいモノに変えられればと、本店の地下を改装して待合室を作った。ゲームなども各種そろっており、おじいちゃん、おばあちゃんは孫と楽しいひと時が過ごせると好評だ。
こうした姿勢で多くのファンを取り戻したハングリータイガー。客の満足を追いかけるようにして復活ロードを走っている。
原動力は社員の幸せの追求~家族も喜ぶ働き方改革
過重労働が問題となる外食業界にあって、ハングリータイガーの従業員はみんなイキイキと働いている。井上は早くから働き方改革を実施。従業員が幸せに働ける環境を作ってきた。
例えば勤務シフトは全員が週休2日制。さらに年に2回は4連休をとっていいことになっている。しかも4連休をとった時は3万円のお小遣いまで貰える。
うらやましい社員制度はまだある。湘南辻堂店の店長、室伏優司がこの日、家族と共に出かけたのは、横浜にあるキッズスペースが充実した話題の飲食店「長津田農場」だ。子供たちとたっぷり遊んだ後は、夕食を大盤振る舞い。6歳の息子さんは2100円の牛たんプレートを注文。家族全員、値段を気にせずご馳走を楽しんだ。
料金はしめて1万2340円。だがハングリータイガーでは、リポートを提出すれば視察費用(店長)として年間12万円まで会社がもってくれる。家族の分もOKだ。
「時間さえあれば利用できる。すごくいい制度だなと思います」(室伏)
従業員のやる気を刺激する制度もある。それが始めて10年になるオーストラリア研修。一人につき50万円の費用がかかるが、自分たちが提供する商品の生産現場に行き、牛と触れ合う意義は大きいと言う。
ららぽーと海老名店主任の市原幸太らはこの日、生後2ヶ月の子牛にタグをつける作業のお手伝い。こうした仕事を通して生産者の苦労や思いを共有するのだ。
「もっとお肉を大切に扱わないといけないと思いましたし、感謝しないといけないと感じました」(市原)
井上の持論は「社員が幸せでなければ客を幸せにできない」。かくして明るく強い組織が生まれたのだ。
そんな井上の長年の夢が、自分たちで育てた牛の肉で料理を出すこと。オーストラリアの牧場で子牛から出荷するまで、餌など全ての過程を自分たちで確認してきた安心安全な肉だ。その夢が、15年の時を経て現実になろうとしている。
「相当おいしいよ。やわらかくもあるし、肉汁もある。理想のハンバーグに近い」(井上)
まずはこの春から、数量限定でステーキ「ジブラルタルプライムビーフ」を先行販売。いつかは店で出す全ての料理をこの牛肉で――井上の夢は未来へと続いていく。
~村上龍の編集後記~
人も企業も、程度の差はあれ、いつか必ず危機に直面する。そしてそれまで、どれだけの信頼を築いてきたか、厳しく問われる。
ハングリータイガーが遭遇した危機は、ほぼ致命的なものだった。
ところで、「強さ」とは何だろうか。「弱さ」を自覚できることではないか。自らの弱さをわかっているから、他者との信頼を築こうとする。
「飢えた虎」は獲物に出会うまでジャングルを彷徨するが、「ハングリータイガー」の顧客は店に行くだけで、満腹と幸福を同時に得ることができる。 顧客の信頼が、店を救い、今も支え続けている。
<出演者略歴> 井上修一(いのうえ・しゅういち)1942年、神奈川県生まれ。1964年、青山学院大学経済学部商学科卒業。1966年、ロサンゼルス・トレード・テクニカル・カレッジ卒業。1969年、ハングリータイガー創業。2003年、オーストラリアで牧場経営を開始。2017年、社長を長男に引き継ぎ会長就任。
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