カンブリア宮殿,千葉西総合病院,慶應義塾大学医学部
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予約不要・その日に治療~心臓血管のエキスパート

千葉県松戸市の千葉西総合病院、午後4時半。この日飛び込みで来院したサラリーマンの田中正美さん(58)が診察の順番を待っていた。会社で受けた健康診断で「不整脈」と言われ、診てもらいに来たと言う。

朝から様々な検査を受けて、午後5時に診察となった。午前中に撮った心臓のCT画像をチェックすると、細くなった部分で血管が詰まっているのが分かった。いわゆる「狭心症」の状態。時折、胸が締め付けられるのはこのためだ。

「心筋梗塞の一歩手前」という診断が下った。現在、日本人の死因第2位となっているのが心筋梗塞などの心疾患。年間20万人が亡くなっている。

そして田中さんはこの日のうちにカテーテル治療を受けることになった。普通、治療は検査の後日。数週間待たされることも珍しくないが、院長の三角和雄(60)は「『こんなのたいしたことない』『放っておいてもいいだろう』はダメなんです。特に心臓は命に直結しますから、絶対妥協できない」と言う。心臓血管の分野で25年トップを走ってきたエキスパートだ。

午後6時、田中さんのカテーテル治療開始。院長の三角自ら担当する。詰まった血管の治療に使うのがカテーテル。直径1.7ミリほどの細い管だ。まず手首の血管に入り口となる針を入れ、そこからカテーテルを送り込んでいく。動脈を通し、心臓の患部まで到達させるのだ。治療は実際の血管内部の映像を確認しながら行う。

治療を始めて25秒。カテーテルが血管の詰まった部分を通った。詰まった部分で使うのがバルーン。細長い風船だ。これを水圧で膨らませる。バルーンが膨らむと、回りについているステントという金網も開く。これで詰まっていた血管を広げる。途切れそうだった心臓の血管に無事ステントが入った。

治療は手首のみの局所麻酔で行われるので、患者は意識もしっかりある。治療を始めて30分。三角は田中さんに咳をするように促す。咳で血圧が上がり血流が良くなる。治療はこれで完了。田中さんの詰まっていた心臓の血管は太くなり、血流も改善された。

治療を終えた田中さんはそのまま歩いて退室。「思ったより痛くなかった」と言う。今夜は様子を見るために入院となるが、翌日には退院。退院しようとする田中さんに治療の痕を見せてもらうが、傷跡はほとんど分からなかった。この治療は保険内。飛び込みでやってきて1泊2日ですべてが終わった。

「うちは予約はないんです。予約していたら、こういう患者さんはどんどん後になってしまう。それではダメなんです。待っていて良くなる可能性はない。そのままか悪くなるかのどちらかなんです」(三角)

千葉西総合病院では初診は予約の必要なし。誰でもその日のうちに必ず診てもらえる。

類を見ない同時6元カテーテル治療~「優しい治療」で日本一に

カンブリア宮殿,千葉西総合病院,慶應義塾大学医学部
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千葉西総合病院の心臓のカテーテル治療数は年間3,000例を超え、8年連続で日本一(出典:週刊朝日ムック『いい病院』朝日新聞出版)となっている。

それを可能にしているのが、三角が自ら設計した「カテーテル・スタジオ」という部屋。6つのカテーテル治療室があり、最大6人の患者を同時に治療できる。三角は指令席に陣取り、それぞれの治療室の状況をリアルタイムのモニター映像で確認する。

このときは5部屋で治療が同時進行中。ランプが点灯しているのは三角に相談したい部屋の番号だ。三角はモニター上に何やら指示を書き込む。すると指示を受けた治療室にも同じ画面が映し出された。三角はこうして全ての治療に目を配りながら、頸部などの特に危険な箇所の治療は自ら受け持つ。

世界でも類を見ない同時6元カテーテル治療。こうして三角は1日30件もの治療に携わり、患者に負担をかけずに画期的な早さで治し続けている。

三角が医者を目指すきっかけは、小学2年の時にかかったリウマチ熱。「病気を治してくれる医者っていいな」と思うようになった。小さな頃からコツコツ勉強する子供で、小学生の時には緻密な心臓の絵を描いていた。

東京医科歯科大学に進み、夏期研修でアメリカへ。そこでカテーテル治療に出会った。

「こういうことを身につけておけば、患者さんに対してより体に優しい治療ができると考えました」(三角)

当時、日本の心臓治療は胸を開く手術が主流。カテーテルの技術は10年遅れていた。三角は大学を卒業後、再び渡米。12年間、ひたすら症例を重ね技術を磨いた。

中でも最も高い技術を必要とするのが、ロータブレーターという装置を使った血管内部を削る治療法。カテーテルの先端に小さなドリルが付いている。三角がこれを使うと、卵の殻を削っても中の薄皮は削らない。つまり血管を傷つけず、詰まった部分だけを削ることができる。

ロータブレーターを駆使しなければいけない女性患者(79)がやってきた。血管の中でコレステロールが石のように固まる石灰化が進んでいる。こうなるとステントを入れても血管は広がらなくなる。そこでロータブレーターの出番。心臓の血管を破らないようにして、石灰化した部分だけを削っていくのだ。

三角はこの治療でおよそ6,000人を救ってきた。この数は現役医師では世界一だと言う。かつては胸を開く大掛かりな外科手術が必要な症例だったが、あっという間にこの女性の血管は太くなり、血流も改善した。

「『私、失敗しないので』という台詞がありますね。私に言わせれば、そう思っている医者に名医はいない。名医は怖がるんです。非常に臆病です。だから気を付ける」(三角)

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スゴ腕心臓ドクターが築いた「地域の安心の砦」

土曜日の朝、千葉西総合病院の前にバスが到着した。降りてきたのはこの周辺に暮らす住民たちだ。三角の講演を聞きに来たのだ。三角は無料で月に2回、心臓の病気について知っておくべきことを話している。

例えば、どんな症状が出たら病院へ行くべきか。参加者は熱心にメモまで取っている。講演の最後に配ったのはマグネットのついた連絡カード。書かれているのは三角らの携帯番号だ。今回の取材中にも三角の緊急用携帯が鳴った。かけてきたのは救急隊員。心筋梗塞の疑いがある患者の受け入れ要請だった。

「地域の安心の砦」。こんなやり方ができるのも信頼できるスタッフが揃っているからだ。

「それぞれがある程度能力を持ってないと絶対無理なんです」(三角)

弟子の医師たちが優秀なのは、三角のやり方によるところが大きいと言う。

「症例の数は相当なもの。数が全てとは思いませんが、数に勝る経験はないと思います」(海老原敏郎医師・36)

「ここはいわば(カテーテル治療の)虎の穴、腕を磨くには一番いいところでしょうね」(登根健太郎医師・43)

三角は「たくさんの症例があるといろいろなケース、トラブルに対応できる。それが最大の強みです。普通のことを当たり前にやればいいんです。ヒーローはいらない」と言う。

河口康信さん(69)は足を患っている。去年の10月、足が痛くて三角の元を訪ねたのだが、「足より心臓が最優先」と言われ、その日のうちに心臓のカテーテルの治療を受け、事なきを得た。足の痛みは血管が詰まっていたためだが、心臓の血管も詰まっていたのだ。実はこのパターンは珍しいものではなく、3人に2人程度、見られると言う。

そして今回はもともと痛かった足の血管を治療することになった。病名は閉塞性動脈硬化症。中高年に多い足の血流が悪くなる病気だ。河口さんの場合は血管内が石灰化していた。放っておくとつま先などが壊死することもあると言う。

この治療で三角が使うのはクロッサーという別の秘密兵器。先端がキツツキのように動き、詰まった血管を貫通させる。これを足の付け根から挿入。足の血管にクロッサーが入っていく。だが、思ったより石灰化が進み、硬くなっていた。15分に及ぶ格闘の末、クロッサーが石灰化部分を貫通した。ここでさらなる問題が。削った後のカスを集める器具がステントに引っかかってしまったのだ。もし回収できなければ切開手術になってしまう。

珍しく苦戦したが、「よし取れた」と三角。「ホッとしました。結果はよかった」と言う三角の指令席にあったのは、去年亡くなった父親の腕時計だった。ノーブランドの安物で、しかもカレンダーは壊れているが、大事に持っている。

「お父さん、助けてくれないかなと思うこともある。こういう仕事をやっている人はその傾向があると思います。人知を超えた何かがある」(三角)

老眼と白内障を一挙解決~眼科界の革命児

カンブリア宮殿,千葉西総合病院,慶應義塾大学医学部
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不動産業を営む原正人さん(60歳)は、ひどい老眼に加え、遠視、乱視、さらに白内障も患っている。辛いのがパソコンの作業。絶えず目と首を動かし、下半分の老眼のレンズでパソコン画面の一行一行に、焦点を合わせての作業になる。「仕事して1日を終えると首筋から肩が異常に疲れる。ほぼ毎日マッサージや鍼をやっています」と言う。

原さんは東京都港区の南青山アイクリニック東京で手術に踏み切った。

それは白内障の手術がベースとなる。白内障はレンズの役割をする水晶体が白く濁る病気。80代ではほぼ100%の人がかかる。その濁った水晶体の代わりにレンズを入れるのだが、原さん用は世界最先端。白内障だけでなく、老眼も遠視も乱視も一挙に解決できるという。

濁った水晶体を取り除いた上で、代わりに特殊なレンズを折り畳んだ状態で入れ、中で開く。一般的な白内障用のレンズは、入れた後、ピントは1箇所でしか合わない。しかしこのレンズなら、近くから遠くまでピントが合うので、多くの場合、メガネがいらなくなる。ちなみにこのレンズに保険は適用されず、全額自己負担。両目で120万円がかかる。

慶應義塾大学教授で、このクリニックでも腕を振るう坪田一男(62)は「目を通して、目の先にある患者さんのクオリティー・オブ・ライフとか、痛みがない、よく見えるとか、目から人生をごきげんにしたいと思っています」と言う。

100年の伝統を持つ慶應義塾大学医学部。坪田は14年前に教授に就任、教壇に立ちつつ最先端の研究を進めてきた。その分野も幅広く、著書を40冊も出してきた眼科界の革命児だ。

中でも坪田の名前を有名にしたのがドライアイの研究だ。ドライアイとは涙の不足などで目が乾く病気で、痛みや充血を伴うことも。パソコンやスマホを長時間見る現代ではオフィスワーカーの3人に1人が悩んでいると言われている。

坪田は30年前からこの症状に着目し、その名前と治療法を広めてきた。論文は世界の研究者の中で引用数トップ。この分野の第一人者となっているのだ。実は坪田自身もドライアイ。保湿メガネ「JINS MOISTURE」(5,000円~、税別)も考案した。

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近視&老眼を撲滅せよ~情熱ドクターの眼科革命

坪田の研究テーマはドライアイにとどまらない。「革新的近視研究プロジェクト」では、「近視がどのように起きて、どのように予防できるかを研究しています」と言う。現在、日本の近視人口は4,000万人以上と言われ、しかも年々増える傾向にある。

「原因が分かって、うちの研究室から世界の近視を撲滅できたら、こんな素晴らしいことはないじゃないですか」(坪田)

坪田の研究チームが独自に開発したのが、デスクライトだ。そこから出る紫色の光、バイオレットライトが近視予防の決め手になると、坪田は考えている。

バイオレットライトの効果を実証するために協力してもらっているのが東京都江東区立元加賀小学校だ。休み時間はカーテンを全開に。バイオレットライトは太陽光に含まれている可視光線の一つなのだ。世界の研究者の間では、2時間以上外で遊ぶ子供に近視が少ないことは分かっていた。坪田の研究チームはヒヨコなどを使ってその理由を探し、一昨年、バイオレットライトではないかという答えに行き着いた。

「今は近視は治せなくても、治せるとしたら、その間の橋をどう架けるか。老眼もまだ治せないけど、これもどうやって橋を架けるか。考えるのは楽しいです。新しい発想でチャレンジするわけだから」(坪田)

中高年が気になる老眼。老眼人口は実に7,000万人に達する。そもそも老眼とは、レンズの役割をする水晶体が年とともに硬くなり、近くの物にピントが合わなくなった状態のこと。対処法としては老眼鏡や遠近両用のコンタクトなどもあるが、あまり知られていない方法もある。

「僕は老眼の症状はないんです。遠くも近くも見える。モノビジョンと言うのですが、右で近くを見て、左で遠くを見ているんです」(坪田)

モノビジョンとは、片目は遠くを、もう一方の目は近くを見やすいように視力を調整する方法。こうすると両目で見た時も、自然と遠近両方見えるようになると言う。モノビジョンの状態にするには、左右のコンタクトレンズの度数に差をつけたり、レーシック手術などの方法がある。

14年前に坪田からモノビジョンのレーシック手術を受けた元井益郎さん(71)。手術前はあまり読まなかった本を、今は月に5冊以上読むようになった。「手術をやって不自由がないので、活動的になったと思います」と言う。目が良くなってから登山を始め、デナリ(旧名マッキンリー)などワールドクラスの山も制覇。どんどん若返っている。

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「一人でも多く救いたい」~角膜移植に道筋を

鮫島和典さん(74)は大手の設計事務所に所属する現役の建築家。これまで羽田の国際線ターミナルなど国内外の空港を設計してきた。半年前から左目の視力が急激に落ち出し、ほとんど見えなくなったと言う。病名は水泡性角膜症。国内に1万人の患者がいる。

鮫島さんの角膜は水分量を調節する機能が壊れ、腫れて濁ってしまった。元の状態にすることは難しいと言う。坪田が提案したのは角膜移植。この分野でも第一人者なのだ。

手術当日。鮫島さんに移植するのはアメリカから届いたばかりの角膜だ。手術は局所麻酔。患者は意識があるまま手術を受ける。まず、トレパンと呼ばれる器具で濁った角膜を丸く切除。古い角膜を取り除き、そこへあらたな角膜を乗せていく。そして縫合。厚さ1ミリ以下の角膜を見事な精度で縫い合わせていく。1時間で手術は完了、1〜2ヵ月で視力も回復する。

坪田は1955年、東京の下町・両国に生まれた。実家は祖父の代から続くガラス問屋だった。慶應大学の医学部を卒業し、ハーバード大学に留学。角膜移植の研究に取り組んだ。アメリカの医師免許も取得し、外来患者も診て腕を磨いた。 帰国後は角膜移植の専門医として総合病院に入ったが、「アメリカで十分学んで帰ってきて、角膜さえあれば目の前の患者さんを治せるのに、その角膜が手に入らない」(坪田)。

1980年代後半、日本で行われていた角膜移植は年間1,500件ほど。その影で2万人の患者が待っていた。一方、アメリカで行われていた角膜移植は年間4万5,000件。角膜提供の仕組みが法的に整っているので、ほとんどの患者は待機なしで手術できた。

坪田は行動に出る。向かったのは空港の税関。「アメリカから角膜を輸入したいんですが、どうしたらいいですか?」と尋ねたのだ。「目の前の患者さんを助けたい一心。法律に『輸入してはいけない』とは書いてないし」という思いだった。

アメリカで移植に使う角膜の保存期間は提供から1週間程度だが、実際には使い切れない状況で角膜が余っていた。坪田はアメリカ時代の人脈を生かして現地の協力を取り付け、航空会社の手配から空港でのピックアップまで一人でこなし、移植手術にこぎつけた。

ただ、手術は無事成功したが、「救えたのは一人だけ。それではダメだ」と強く感じた。

「輸入は緊急事態として必要ですが、輸入に頼ってはいけない。亡くなった方にアイバンクがアプローチするシステムがまだ確立していないんです」(坪田)

そこで坪田は国にかけあい、その後勤めた東京歯科大学市川総合病院に1995年、アイバンクを設立した。それまで日本にはいなかった移植コーディネーターという専門職を置き、手術までスムーズに進むシステムを作ったのだ。

このアイバンクには、病院内で患者が亡くなるとすぐに連絡が入る。アメリカと同じスタイルだ。連絡を受けた移植コーディネーターは病棟に行き、遺族に直接、角膜提供の意思があるかどうか確認する。1割程度の遺族が同意してくれると言う。角膜を摘出する際も眼科医に同行。コーディネーターが持ち帰った角膜は1週間以内に移植される。

電話は24時間、いつ鳴るか分からない。移植コーディネーターの西迫宗大は「電話を取らないことには始まらない。絶対ミスがあってはいけない」と言う。坪田が構築したシステムによって患者の待機期間は大幅に短くなり、今は平均1年になった。

坪田は、移植によって「ドナーの遺族も救われる」と言う。

名倉真悟さん、恵子さん夫婦は角膜ドナーの遺族だ。15年前、最愛の息子を亡くした。事故に遭い、運び込まれた病院で14年の生涯を閉じた健人さん。その時、夫婦は息子さんの角膜の提供を申し出た。

「どこかで彼が見ていたのと同じ景色を見ている気がする。その角膜を通して、例えばきれいな風景、感動するシーンを見ていることを想像すると、うれしいです」(真悟さん)

「いいことをしたという感覚では全くないです。どこかで体の一部が生き続けていて、コーディネーターを含めて皆さんに助けられたという思いが強いです」(恵子さん)

在りし日の健人さんの写真を、夫婦は感謝の気持ちを込めてアイバンクに提供した。それは角膜提供の登録用紙となり、角膜を待つ人の希望に繋がっている。

健康保険証や免許証の裏側には角膜などの臓器提供の意思をチェックする欄がある。もしもの時に、自分の体の一部が誰かを救い、一緒に生きていく。そんな道もあるのだ。

カンブリア宮殿,千葉西総合病院,慶應義塾大学医学部
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~村上龍の編集後記~

三角先生は緊急の連絡があるかと、収録中も携帯を気にされていた。病院からスタジオに駆けつけ、また病院に帰られた。

お二人とも、アメリカでの臨床・研究経験が豊富で、日本では希有な独自のシステムを作り上げた名医であり、優れた経営者でもある。

日本の医療は崩壊の危機にあるとも言われ、世界に誇る国民皆保険も財政の逼迫で維持は簡単ではない。

お二人は希望を示す象徴的な存在だが、わたしたち患者の側も予防やケアを学ぶ必要がある。医療崩壊を防ぐためには、国民全体の意志と合意が不可欠だと思う。

社会医療法人社団木下会千葉西総合病院 所在地・千葉県松戸市金ケ作107―1。病床数・608床、常勤専門医・81名。
慶應義塾大学医学部眼科学教室 常勤医師・30名、研究員・33名、検査スタッフ・17名、大学院生・32名他。

放送はテレビ東京ビジネスオンデマンドで視聴できます。

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