暖かい・軽い・安い~この冬、激売れのブルゾンとは?
埼玉県朝霞市のワークマン朝霞浄水場前店。朝7時のオープンなのに続々とお客がやってくる。客のお目当ての手袋は1組99円。靴下2足で199円。お手ごろ価格の衣料品がずらりと並ぶ。
いま話題のオリジナル防寒ブルゾンは2900円。7色あるこのブルゾンは去年10万着を販売。寒いこの冬もバカ売れしている大ヒット商品だ。重さはダウンジャケットの半分ほど。しかも生地に伸縮性の高い特殊なストレッチ素材を使っているのがウリだ。
やはり暖かいウィンドブレーカー「裏アルミウィンドピステ」は2500円。暖かさの秘密は、裏地に保温効果を高めるアルミ素材がついているからだ。
シニア層にも大人気のワークマンは全国に800店以上を展開。国内の店舗数ではあのユニクロと肩を並べる一大チェーン店だ。
そんなワークマンで、一番よく売れる商品が軍手。10組178円という安さだ。カゴ一杯に軍手を入れた客の職業は大工さん。実はこの店はワークマンの名の通り、そもそもは職人向けの衣料品専門店だった。軍手だけでなんと30種類も取り揃えている。
だから店にはさまざまな働く男たちがやってくる。消防士の男性が買い求めていたのは「クロスワーク」というシャツ。「密着して動きやすい」と言う。「線路の保全をする軌道工」という男性が選んでいるのは安全靴。つま先に鉄板が入った靴だが、今はミズノやプーマの製品もあり、ずいぶんお洒落になった。
プロが認める高品質なのにお手頃価格。これを放っておく手はないとばかりに、普段使いにする人たちも急増している。
釣りファンやバイク乗りに人気の「イージス透湿防水防寒スーツ」(上下で6800円)はワークマンオリジナルの防水防寒スーツ。「耐水圧10000ミリ」とあるから、大雨でも水を通さない。ちなみにナイロン傘は300ミリほどだ。「専門メーカーのものもあるが、値段が違う」と言う。バイク乗りにも人気の「イージス」。職人以外のアウトドアファンに広まった理由の一つが動画投稿サイトだ。商品を気に入った一般の人たちが、感想を勝手に動画でアップしているのだ。
最近は女性客も増え、それにあわせた商品も充実させている。子連れのママが見ていたのは「女性用レインジャケット」(2900円)。アウトドア製品並みに雨を通さず蒸れない。見た目は普通のエプロンも、燃えにくくて汚れにくい。こうした意外性のある品揃えで、いまや女性客が3割を占めるという。
プロの機能性×格安~ユニクロを追撃するチェーン店
ワークマンの本部は群馬県高崎市にある。創業は1979年で、従業員は243人。
安くて高機能な商品を開発している現場では、ちょうどウェア用の新しい素材を検討中だった。磨耗強度の実験のために取り出されたのは、ガラス細工の研磨などに使う電動サンダー、ヤスリだ。これを10秒押し当てて、穴が開いてしまった布は不合格に。こうしてワークマンで使える素材を探し続けているのだ。磨耗強度の実験に合格した生地は作業服になっていた。
今年1月、幹部社員が集められ、新年の恒例行事が始まった。高崎名物、だるまの目入れ式だ。社員の表情も明るい。それもそのはず、ワークマンは売り上げ742億円と、6期連続増収増益を達成したのだ。
その席上、社長の栗山清治(63歳)は「皆さんのおかげで業績が順調なことから、来期のベースアップは3%」とぶち上げた。これで「社員の年収を5年で100万円アップさせる」という計画も達成できることになった。
一方、東京・板橋区にある餃子専門店「ホワイト餃子」。味はもちろん、人気の理由はそのパリパリという食感にある。パリパリの秘密は油で揚げて仕上げているから。だが、油が撥ねて落ちるため、どうしても床はギトギトになる。店の人が「この靴に変えてから全然滑らない」と言うのがワークマンの「厨房専用シューズ」。靴底には油を吸わない特殊なゴムを使用。溝の形も工夫して滑りにくくしてある。黒と白があって値段は3300円だ。
その厨房シューズには意外な使い道も見つかった。見出したのは1歳になったばかりの子供がいる主婦の向井さん。弟さんからワークマンのことを聞いて、この靴を知ったという。以来、子供を抱っこして出かけるときはこの靴を履くそうだ。濡れた路面でも滑りにくいから、子供を抱えていても安心して外出できるという。
それをブログに書いたところ、小さな子供を持つママや妊婦から大反響。使う人がどんどん増えた。さらにワークマンからも書き込みも。ここから新たな展開が始まった。4カ月後。ワークマンの新作発表会に向井さんのブログからヒントを得た新商品が並んだ。
それが厨房シューズを改良したマタニティ用のシューズ。「目からうろこじゃないですけど、知らないところでいろいろな使い方をして頂いている」と、商品部の加藤健は言う。
その名も「ノンスリップシューズ」(1900円)。町なかで履くことを意識してデザイン性もアップ。使う人の声が新商品の開発に繋がった。
働く人を幸せにする店~北関東で生まれたワークマン
埼玉県深谷市で30年以上続くワークマン深谷店。この日も朝から、地元の人が次々とやってきた。この店で売れているのが99円の「ウレタン背抜き手袋」。手のひらの部分にウレタンの滑り止めがついている。
何に使うのかといえば、農作業だった。深谷といえば「深谷ネギ」。深谷は日本一のネギの産地で、今が収穫の真っ盛りだ。普通の軍手だと泥が入るので、使いやすいワークマンの手袋が必需品となっていた。
深谷店は親子2代に渡って続いてきた。2年前、後を継いだ大沢史威は、以前は群馬県でサラリーマンをしていたが、地元で働けると脱サラ。父・健から店長の座を譲り受けた。
妻の梨恵も家事や育児の合間を縫って働いている。「全く別の仕事だったので、多少不安だったんですけど、お父さんとお母さんがやってらしたので、そこは安心かな」と言う。
ワークマンの店のほとんどはフランチャイズ。しかも夫婦で加盟するというのが原則だ。
「夫婦でスタートすると、お互い助け合って良い経営ができます。地元のお客さんも、ワークマンのファンになってくれる」(栗山)
ワークマンには夫婦で働きやすいシステムがある。夜8時になると閉店。店長も10分で退勤するのが決まりだという。ほぼ残業はない。大沢もサラリーマン時代は、午前様になることも多かったが、今では毎日8時半には帰宅できるようになった。
「定時に帰れて子供のかわいい姿が見られ、こうして良かったと思う瞬間です」(大沢)
働くオーナーの幸せも実現しながら816店まで成長を遂げてきた。そんなワークマンは、北関東の雄「ベイシア」という巨大流通グループの一員。ホームセンターの「カインズ」もその傘下にある。グループの前身は「いせや」。「ベイシア」に衣替えする時、作業服部門を切り離し独立させた。そして1980年にできたのがワークマンだ。
当時、作業着や靴などをワンストップで買える店はほとんどなかったため、現場仕事の男たちに重宝された。吉幾三さん出演のテレビCMも打ち知名度を上げていった。
社長の栗山が入社したのは1985年。千葉の衣料品チェーンからの転職で、今とは随分様子が違ったという。
「店に入ってドアを開けたらセンターに軍手を置いていた。ニッチなところで生きようという、逆の部分ですよね。やってみたら意外とこれが面白かった」(栗山)
業績は右肩上がり。店舗数も急速に拡大し、2008年には600店を突破した。だが、そこにピンチが訪れる。リーマンショックの激震だ。建設業界が不況に陥り、職人たちの仕事が減った。そのあおりを受け店の売り上げが激減したのだ。
そんな危機的状況に対応するため、2009年、社長に就任したのが栗山だった。栗山が真っ先に心配したのは加盟店のことだった。
「加盟店の場合は、サラリーマンと違って売り上げが悪いと手取りが減っていく。そのままでは困るわけです、何か手を打っていかないと」
作業着専門店の大改革~アウトドア、女性用カジュアルへ
栗山から抜本改革を任されたのが、当時、商品開発を担当していた小濱英之取締役だ。
「労働人口も減っている。うちで買ってくれた職人が減りつつありました。客層を拡大しなければいけない。今までにない商品を増やしていかなければいけなかった」(小濱)
客層を拡大する商品とは何か。小濱はある店長の言葉を思い出した。それは「職人さんたちは休みの日もうちの作業着を着ているらしいんですよ。釣りにはちょうどいいんだそうです」というものだった。
普段でも着られる服。そこで小濱が目をつけたのが、防水機能に優れた作業用のカッパだった。開発に着手した小濱は、作業服にはないカラフルな色とデザインを配し、プロ向けの防水性や耐久性はそのままに、アウトドアで動きやすいよう特殊なストレッチ素材を採用した。CMも全面刷新。スポーティーなイメージを打ち出し、これまでの作業着臭さを消した。
小濱は加盟店向けの新商品展示会でこのカッパを意気揚々とプレゼンした。ところが「そんな一般客向けのウェアが、本当に売れるのか?」と、一般の客を相手にしてこなかった店長たちに不安が広がっていた。
そこで社長の栗山は会社として店舗改革に乗り出す。これまで店のセンターに置いていた軍手を初めて移動。さらにガラス張りにして店の中が見えるよう改装。そして入り口そばの目立つところに新商品を置いた。
すると明るい雰囲気にひかれてか客が吸い寄せられ、どんどん売れていった。
「店長たちもびっくりしていた。突然売れたので一気になくなったんですよね。やったなあという気持ちでした」(小濱)
ワークマンはさらなる改革に動き出す。
新商品展示会では、カラフルなウィンドブレーカーなど、女性をターゲットにしたカジュアル商品も注目を集めていた。加盟店のオーナーたちにプレゼンしていたのは入社4年目の柳澤千栄子。最近増え始めた女性社員の一人だ。「作業服にそもそも触れたことがなかった。全然知らない世界が逆に面白いかなと思って」入社したと言う。
ある日、柳澤ら女性社員が集められた。呼んだのは開発担当者の商品部・山下貴史。レインウェアの色について、彼女たちに意見を求めたのだ。
「ピンクとか、どぎついピンクとか出てしまっているので、落ち着いた色が欲しいですね」と、率直な感想を述べる柳澤。山下は、彼女たちの意見が大いに参考になるという。
「(男性には)『女性はこうだろう』という思い込みがすごく強い。商品の管理は自分がするけど、選ぶのは、レディースの商品に関しては女性がやると決めています」(山下)
「意見を反映して頂いて、それが商品になるっていう楽しみはあります」と、柳澤。女性パワーを生かして、ワークマンの進化は続く。
災害必需品も~いざというとき頼りになる
1月22日、久しぶりの大雪に見舞われた東京。電車は運休が相次ぎ、道路には車が立ち往生、首都圏は大混乱となった。
そんな中でも煌々と明かりをつけ、ワークマン江戸川船堀店は営業していた。すると客が続々とやって来る。作業服の人もスーツ姿の人も、みんなのお目当ては長靴だ。この日1日で普段の8倍、40足も売れたという。いざというとき頼りになるのがワークマンだ。
一方、九州の熊本市には、2年前にオープンしたワークマン熊本新外店がある。店長は地元出身の段浦崇史。妻と母、16歳になる娘の3世代で切り盛りする家族経営の店だ。
そんな店を2年前、あの熊本地震が襲った。最大震度7。甚大な被害が出た。段浦一家も被災し、避難生活を余儀なくされた。店は倒壊を免れたものの大変な状況だった。
その窮地にいち早くかけつけたのが、福岡にいた営業企画部の林知幸だった。
「あの時は本当にうれしかったですね。物資が何もなくて店も閉まっている状態で」(段浦)
加盟店の安否を確認した林には、もう一つ大きな任務があった。すぐさま被災地の状況を調べ、本部に連絡したのだ。すると地震発生から3日後には、本部スタッフが支援物資とともに現地入り。被災者に軍手やタオル、Tシャツなどを無償で提供した。
その拠点となったのが群馬県伊勢崎市の物流倉庫。ワークマンでは東日本大震災を教訓に、在庫から地元の要望に沿った物資を届ける体制を整えていたのだ。
段浦の店は震災2日後に再開すると、大勢の客がやってきたという。
客が求めたのは、ガラスでも切れない厚手のゴム手袋や、余震が続いたことから頭を守るためのヘルメット。さらに瓦礫をいれる土のう袋など、被災地の必需品が揃っていた。もう一つ、被災地で役に立ったのが靴の中敷。中に0.5ミリのステンレス板が入っていて、釘の貫通防止になるというインソールだ。
「早く店を開けることができてお客さんに喜んでもらえて、『良かった』と言ってもらった時はかなりうれしかったですね」(段浦) いざというときには、プロが認めるワークマンが頼りになる。
~編集後記から
「ワークマン」の防寒用ブルゾンは、室内だと汗が出てきた。デザインも優れている。
2900円と知って、本当に驚いた。高級店のマグロの握り2貫より安いかも知れない。
「多店舗と標準化」「スケールメリットを活かしたPB」「利益は社員と加盟店に還元」などなど……多くの「強み」を持つが、実現はむずかしいものばかりだ。 経営は決してぶれることがないが、変化しないということではない。ぶれないためには、
進化が必要だ。
商品と同じく、栗山さんのお人柄にも親しみを感じたが、経営の切れ味は鋭く、成功への過信もない。
<出演者略歴>
栗山清治(くりやま・きよはる)1954年、千葉県生まれ。京都府立大学文学部卒業後、1979年、株式会社シノヤ入社。1985年、株式会社ワークマン入社。2009年、代表取締役就任。
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