カンブリア宮殿,串カツ田中
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家族連れで連日大盛況~串カツ専門のチェーン店

横浜市の人気の街、たまプラーザ。住みたい街ランキングの常連で、若い家族連れが目立つ。日が暮れて静まり返った住宅街の一角に、煌々と灯る赤提灯の店が。大阪伝統の味・「串カツ田中」だ。店内は、昭和レトロなインテリア。お父さんが通う居酒屋かと思いきや、ほとんどが小さな子供を連れたファミリー層だ。

客の目当ては揚げたての串カツ。串カツは全部で約30種類。1本100円(税別、以下同様)~で、一番高いものでも200円。肉や、エビ・かきなどの海鮮系、レンコンやとうもろこしなどの野菜、さらにバナナなどもカラッと揚げる。夏のキスなど、季節の食材も豊富だ。特に人気が高いのが串カツ牛(120円)だという。

子供向けのサービスも充実している。通常390円のたこ焼きは、小学生以下の子供がいれば無料。自ら盛る通常250円のソフトクリームも、小学生以下はやはり無料になる。

実は串カツ、最近は幅広い客層に受けて外食の中でもブームとなっており、チェーン店も増えている。その中でも串カツ田中は202店と、断トツの店舗数を誇る。

東京・目黒区の都立大店。店内には若者のグループや子供連れのほか、3世代家族の姿も。年配層に串カツはヘビーのように感じるが、「あっさりしているからいっぱい食べられる」と言う。

油を軽く感じるのには理由がある。営業中の厨房では、フライヤーの油を「落とす」作業が行われていた。油の行く先は、下に置いてある独自に開発した食用油ろ過機。ここで汚れた油をきれいにしているのだ。

機械の中には油をろ過するフィルターが2つ。この中を循環させることで、揚げカスだけでなく、使ううちに混じった細かい不純物も取り除くことができると言う。きれいにした油は再びフライヤーへ。この間、およそ10分。串カツ田中ではこの作業を1日2回、行っている。

パン粉はオリジナル。混ぜるパンの耳や水分の量を微調整し、甘みと香ばしさを引き出すという。さらにパン粉の付け方も独自。均等につけてサクサク感を出すことが大事。これを全店で徹底した結果、他の店の串カツと比べると、串カツ田中の方はネタと衣の間に隙間がなく、衣も薄い。これがサクサク感の秘密だ。 そして串カツの味の決め手がソース。決して濃くはないが、不思議に後を引く味。何が入っているのかは企業秘密だそうだ。

茨城県土浦市には、串カツ田中の契約農家がある。収穫の時期を迎えたのは、大ぶりのキャベツ。切ると水分がどんどん溢れ出す。みずみずしいのは「土がいいから。キャベツが水分を含んでよく育つ」と言う。

実はこの畑の土には、店舗で出た野菜くずや揚げカスなどを堆肥として混ぜているので、栄養たっぷりなのだ。このこだわりのキャベツは店でお通しとして出している。おかわり自由の食べ放題だ。

カンブリア宮殿,串カツ田中
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大阪B級グルメを全国に~ダントツ人気の舞台裏

カンブリア宮殿,串カツ田中
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大阪の味を打ち出す串カツ田中だが、本社は東京都品川区にある。創業は2008年で社員はおよそ250人。店舗スタッフを合わせると3000人を超える。

本社の一角では秋に向けた新作串カツの試食が行われていた。社長の貫啓二は「毎日食べるが、飽きないし、胸焼けもしない。それは自信があります」と言う。

新しい店舗の場所も積極的に探している。出店戦略部では6人のエキスパートが物件探し。「幅広く網を張って、串カツ田中に合う場所を探していく」(貫)のだ。

まずストリートビューで気になるエリアをくまなくチェックする。そこには独自のポイントも。串カツ田中の店舗の6割は住宅街にあるのだが、スーパーや駐輪場の近く、バス通りに面した物件が狙い目だという。

「近くにスーパーは自転車置き場があると、例えば自転車を置いたときに店舗が気になるものなんです。家に帰って、家族と『行ってみようか』と。バスに乗っていて車内から見えるところも串カツ田中に向いています」(出店戦略部・近藤昭人部長)

もちろん住宅街だけでなく、繁華街も狙う。7月にはサラリーマンひしめく東京・新橋の駅前にも進出。オープン当日、にぎやかなチンドン屋さんの声と共に営業開始すると、店舗はあっという間に仕事帰りのサラリーマンでいっぱいになった。

串カツ田中では、サイドメニューにも大阪の庶民の味が揃っている。お好み焼きのような一皿は、大阪のB級グルメ、「葱まみれチー平焼き」(390円)。卵の中にはトロトロのチーズがたっぷり入っている。「かすうどん」(640円)は揚げもつの入った大阪流シメの一杯だ。

店内で「チンチロリンハイボール」が始まった。2つのサイコロを振って、出た目の合計が偶数ならハイボールが半額。ゾロ目なら無料になる。ただし、奇数なら料金は倍。とはいえジョッキも通常の倍のメガサイズで出てくるから、何が出ても損はしない仕組みだ。

ファミリー層だけでなくサラリーマンの心も掴んだ串カツ田中。創業から10年で、年内には221店舗になる予定。売り上げも右肩あがりで去年は55億円を叩き出した。

「1000店舗の出店を計画しています。焼き鳥、焼き肉、ラーメン、寿司に匹敵する、日本を代表する食文化に串カツを育てられたら、と思います」(貫)

カンブリア宮殿,串カツ田中
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夢は1000店舗の串カツ店~串カツ田中が生まれるまで

高級店が軒を連ねる大阪・北新地に、貫が串カツの研究のために食べに来る店がある。8年連続でミシュランの星を獲得しているという串カツの名店、「串かつ凡」だ。

ウニやキャビアなどの高級食材を使い独創的な逸品に仕上げている。ズッキーニの串カツは、大根おろしを上に載せ、さらにフォアグラも。食材が豪華なだけではない。その味わいを生かす技術も秀逸だ。

「フォアグラって油っこいでしょう。揚げ物と油っこい素材というのは普通は合わない。でもうまく仕上がっている」(貫)

貫の隣にいる副社長の田中洋江は、串カツ田中の味に大きく関わる商品開発の責任者だ。

「串カツ田中のものをこうしようと思っているわけではないですが、やはりいろいろなことを知っておくほうがいいと思う」(田中)

串カツの誕生は90年前までさかのぼる。最初は通天閣のお膝元、大阪・新世界の飲食店で、お金のない肉体労働者のために考え出されたという。具材は薄くても、衣やソースでカロリーがとれるようにというアイデア料理だったのだ。新世界には現在も70軒もの串カツ屋さんが集まり、味と安さを競っている。

そんな大阪庶民のソウルフードとも言える串カツ文化で、貫は全国に打って出た。しかし、その成功の影には山のような失敗もあった。

1971年、貫は大阪の町工場の二男として誕生。高校を出るとトヨタグループの物流部門、トヨタ輸送に入社する。だが、仕事に面白さを感じられず、趣味で始めたイベント企画にのめりこむ。

「バーベキューに100人ぐらい連れて行ったり、スノーボードに50人ぐらい連れて行ったり。すごく楽しくて、サービス業がいいなと思っていました」(貫)

人を楽しませる仕事がしたいと27歳で脱サラ。大阪の心斎橋でショットバーを開業、3年後にはデザイナーズレストランをオープン。起業して会社組織にすると、さらに拡大を目指して2004年には東京にも進出。表参道の一等地に京懐石の高級店を開いた。

ところが、行き当たりばったりのワンマン経営から次第に社員の心は離れ、予期せぬ事態も起きた。

「社員が全員、辞めました。自分のエゴで会社を作ってきたので、社員はなんとなく働いて、なんとなく私に怒られて、という感じだったと思う」(貫)

去っていった社員を見返してやろうと必死に働いたが、そんな時に起きたのが2008年のリーマンショック。高級志向の店には閑古鳥が鳴き、膨らんだ借金は7000万円に。倒産目前となった。

「常にキャッシュがギリギリの状態。半年もたないなというところまでいきました」(貫)

カンブリア宮殿,串カツ田中
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倒産危機から奇跡の復活劇~失敗を糧にサバイバル

カンブリア宮殿,串カツ田中
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しかし、土壇場で奇跡が起こる。どん底から抜け出すきっかけを作ったのが副社長の田中だった。創業メンバーの田中は、危機に陥る前から何度も、貫に「串カツをやりましょう。東京にないからはやりますよ」と、進言していた。

田中が串カツに可能性を感じていたのには理由があった。彼女は串カツ文化のど真ん中、大阪の西成出身。忘れられない味が、今は亡き父親・勇吉がソースから手作りしてくれた串カツだった。田中の舌の記憶を頼りに、試作を重ねた。

だが、「試食もいっぱいしたのですが、全然おいしくない。串を打ってパン粉をつけて揚げただけの串カツで、さすがにこれはお客には出せない。商売にならない、と」(貫)

ところがあるとき、田中が荷物を整理していたら、父親の串カツのレシピが出てきた。ソースのことまで細かく書かれていたそのレシピ通りに作ってみると、父親が作ってくれた串カツの味になった。   貫はこの串カツで最後の勝負に出ようと決める。ただし、手元の資金は尽きていた。金策に走り、新たに350万円を借金。今までのような一等地への出店は諦め、家賃の安かった住宅街の物件を借りた。

それは以前、スナックだった14坪の居抜き物件。改装には、ほとんどお金をかけられず、テーブルは手作り。椅子はもらった酒のケースにスポンジを貼ったものだった。厨房機器はネットオークションで安かった物を購入。そして、田中の亡き父のレシピに敬意を表し、串カツ田中と名付けた。

「当初、若めの1人暮らしの人をターゲットにしました。でも、不安で、不安で……」(貫)

いざ店を開いてみると嬉しい誤算が。近くに住んでいた子供連れのファミリーが押し寄せたのだ。東京では珍しかった大阪スタイルの串カツが子供にも受け、2ヶ月で出店費用を回収した。

手応えを感じた貫は「家族が幸せになれる店を目指そう」と決める。そして無料ソフトクリームを始め、小さな子供が喜ぶ仕掛けや、「おこさまプレート」(390円)のようなメニューを次々と開発していった。家族向けには、客が自ら握る「田中のおにぎり」(480円)のようなメニューもある。

「家族が幸せになれる店」は大当たり。オープンから2年後の2010年2月には2号店の東京・尾山台店を、同10月には3号店の東京・都立大店と出店。以後も店を増やし続け、今ではハワイやシンガポールを含む200店舗のチェーンに成長させた。

勢いに乗る貫だが、社員が全員辞めてしまった過去の苦い経験も忘れていない。

貫は年に1回、257人の社員全員と面談。希望や不満を聞き出している。さらに一人一人のモチベーションを上げてもらおうと、表彰や賞品の授与まで行っている。

今年の春には、東京・日本橋に新入社員のための串カツ田中小伝馬町研修センター店をオープンさせた。一見、他の店と変わらないように見えるが、「全て新入社員で構成されております」(研修センター長・石川一希)と言う。ここで1カ月、仕事をみっちり教えてから店舗に配属するのだ。

新人研修の場ということで、この店はすべてのドリンクが破格の200円。「元気があっていい」「自分の1年目の頃を思い出す」と、客からも好評だ。

絶対絶命の危機を乗り越え、過去の失敗も糧にして、貫は串カツ田中を作ったのだ。

カンブリア宮殿,串カツ田中
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居酒屋業界の先陣を切る~串カツ田中の禁煙宣言

今年6月1日、貫は大きな決断を実行に移した。その日、串カツ田中の東五反田店には報道陣が集まっていた。貫の口から発表されたのは、6月から約9割の店舗で全面禁煙に踏み切ることだった。

禁煙を決めた理由は、子供に受動喫煙をさせたくなかったから。「中長期戦略の中で、一番はお子さんを大事にするということで取り組んできたので、全面喫煙には違和感を抱えていたんです」と言う。

「居酒屋の全席禁煙」はインパクトが強く、マスコミも注目。SNSでは「素晴らしい決断」と称賛する声、「もう行くことはない」と落胆する声などが飛び交った。

禁煙実施から3週間後、荻窪店を覗いてみた。「ママ友達から禁煙になったと聞いて」という初めて来店した親子連れがいる一方、禁煙になったことを知らずに入店して不満を漏らす客や、店を出ていってしまう客もいた。吸えないなら入らないという客は確実にいる。

 貫の決断は果たしてどんな結果を生むのか。スタジオで貫は「そういうお客さんもいますが、新しいお客さんも増えているので、ほぼ影響はないと思います」と、答えている。

~村上龍の編集後記~

「串カツ田中」は、長い遠回りの末に誕生した。だが、貫さんは、紆余曲折を経て串カツに「目覚めた」わけではない。最後の最後で「もうやるしかない」という地点に立ってしまったのだ。

特別なことではないと思う。明確な目標を持ち、中長期的なプランを練り、確実に一歩ずつ、などとよく言われる。しかし、現実というのはそれほど単純ではない。

重要なのは、意識するしないにかかわらず、「もうこれをやるしかない」という瀬戸際まで行くかどうかだ。

「串カツ田中」は奇跡的にレシピを得たが、人生にはレシピがない。

<出演者略歴>
貫啓二(ぬき・けいじ)1971年、大阪府生まれ。1989年、トヨタ輸送入社。1998年、脱サラ後、心斎橋でショットバー開業。2004年、東京で京懐石専門店開業。2008年、串カツ田中1号店オープン。

放送はテレビ東京ビジネスオンデマンドで視聴できます。

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