外国人観光客にも人気~絶景列車&日本一の山
山梨県大月市。駅前は人気も少なくガランとしているが、駅の中はお客でごった返し、大賑わいとなっていた。特に目立つのが外国人。カナダ、ベルギー、イギリス、フランスと、さまざまな国籍の人が富士山観光に訪れている。アルゼンチンから来たカップルのお目当ては「パゴダ」だと言う。外国人の間で人気スポットになっているらしい。
電車に揺られること20分。車窓には富士山がクッキリ顔を出した。この絶景列車を走らせているのが富士急行。富士急は、山梨県内の大月駅から河口湖駅まで、富士山の裾野の26キロを結んでいる鉄道会社だ。
アルゼンチンから来たカップルは下吉田駅で途中下車。すると、現れたのは真っ赤な五重の塔。「パゴダ」とは英語で仏塔を指す。外国人に人気になっていたのは、五重の塔ごしに見える富士山の景色だったのだ。
2013年に富士山が世界遺産に登録されると、外国人観光客のフジヤマブームも加熱。富士急は彼らの便利な足となっている。
富士急が手がけているのは鉄道事業だけではない。山中湖で富士急が仕掛けたアトラクションが、名物バスの「山中湖のカバ」だ。2011年に運行開始。車体が高く、見晴らし抜群。ガイドつきで自然の景観が楽しめる。そして「山中湖のカバ」は水陸両用。車体の後ろにスクリューが付いていて水の中も進むことができる。週末は予約客で満席になる水上バスクルーズだ。 さらに季節限定の絶景スポットも。5月の「富士本栖湖リゾート」には、多くの観光客が集まっていた。その足元に広がるのが、ピンクの絨毯のような芝桜。芝桜ごしに富士山が見えるビューポイントは、カメラを持った人達でいっぱいだ。今年で11年目を迎えたこの「富士芝桜まつり」(4月中旬~5月下旬)には、毎年50万人がやってくる。
富士山にあの手この手の仕掛けを加え観光客を呼び込む富士急行。その創業は大正末期の1926年。富士の裾野にレールを敷くことから始まった。掲げた合言葉は「富士を世界に拓く」。富士山一帯を世界的観光地に開発しようと設立した会社なのだ。
現在、富士急は交通に加え、レジャー、宿泊など多岐にわたる事業を展開。グループ企業は36社にのぼり、富士山の総合観光会社となっている。
絶景と絶叫の融合~知られざるフジQ
その中でも最大の集客数と売り上げを誇るのが「富士急ハイランド」。入園者は年間230万人にのぼり、全国のテーマパーク・遊園地の売り上げランキングでは5位に食い込む。
看板は世界一のジェットコースターだ。その1つ、「高飛車」は落下角度が世界一。最大121度でギネスにも認定された。一方、「ド・ドドンパ」の世界一は加速力。スタートからわずか1・5秒で時速180キロに達する。さらに「ええじゃないか」は回転数が世界一。その場で回りながら合計14回転。空に放り出されたような感覚になるらしい。こんなスリル満点の絶叫アトラクションが12種類も揃っている。
富士急行社長の堀内光一郎(57)は、投入してきた絶叫マシーンについて、「富士山をきれいに見てもらえるか、見せ場をつくれるかを考えながらつくるんです。頂上から見た富士山は絶景です」と言う。
堀内が教えてくれたのは一番人気のジェットコースター「フジヤマ」。2200万人を絶叫させてきたキング・オブ・コースターだ。確かにその頂上からは、何も遮るものなく富士山の景色が広がる。「フジヤマ」以外も、園内の全てのジェットコースターは富士山が見えるように設計されているのだ。
富士山を楽しんでもらう仕掛けは他にもある。「富士急ハイランド」の隣にある「フジヤマミュージアム」。飾られているのは全て富士山の絵と言う美術館だ。葛飾北斎の「冨嶽三十六景」や、生誕150年の横山大観など、日本を代表する画家の作品も展示されている。
のんびり富士山を楽しめる「ふじやま温泉」(入館料大人1400円/平日)も開発した。高濃度の炭酸泉で、肌がツヤツヤになる保湿成分がたっぷり含まれている。
そしてお土産も。河口湖畔のお菓子工房で作っているのは富士山の形をした「フジヤマクッキー」(130円~)だ。富士山麓で採れた蜂蜜やチーズを隠し味に入れこんだ手作りの逸品。焼きあがったクッキーは工房の隣の店舗で販売している。本物志向の味は徐々にファンを増やし、山梨の新たな名物菓子になろうとしている。
こんな富士山戦略で、富士急は去年、過去最高の526億円を売り上げた。
「私どもは富士山の伝道師という意識があるので、富士山という最高の素材と、それを取り巻くソフトやハードで、その素晴らしさを感じ取っていただけることを少しずつやっていくのが我々のミッションだと思っています」(堀内)
富士山とともに90年~進化する富士急の観光戦略
「富士急ハイランド」の駐車場は、ところどころに木が生え、車もちょっと止めにくくなっている。これはもともとこの場所に自生していた木だ。富士急では施設を開発していく際、こうした木を切ってはいけないという創業以来のルールがある。
「よほどのことがない限り切らない。切っても植えるか移設します。ここまで大きくなるのに20年、30年かかりますから」(堀内)
今でこそ富士山麓には緑豊かな森が広がっているが、この一帯は富士山の噴火による溶岩で覆われていた。富士急はそこに土をまき、木を植え、90年という歳月をかけて緑の森を作ったのだ。
その礎を築いたのは、富士急行の創業者で堀内の祖父にあたる良平だ。良平が富士山にのめり込んだきっかけがある。故郷の御坂町から東京に出る際に通った御坂峠。太宰治の「富嶽百景」にも描かれているそこから見た景色が、その後の良平の人生を変えた。
「御坂峠を越えた辺りで富士山の姿を見て感動して、後年になって当時の夢を叶えるかたちで、富士山の観光開発を進めていったということです」(堀内)
1926年、良平は富士急行の前身、富士山麓電気鉄道を設立。そして富士山麓の5つの湖を「富士五湖」と命名し、時刻表などに載せた。鉄道を通した後には外国人観光客を呼び込もうと山中湖の湖畔に「山中湖ホテル」を開業。さらに富士の裾野にゴルフ場もオープン。環境を壊すこともあるリゾート開発だが、良平は逆に自然を豊かにした。
「オープン当時のゴルフ場には木がほとんど生えていない。植樹をして、今では林間のようになっていますが、自然をどう守るか、創業当時から注意を払っていました」(堀内)
1969年には「富士急ハイランド」をオープン。富士急行は富士山観光のパイオニアというポジションを揺るぎないものにしていく。
現社長の堀内は1960年、先代・堀内光雄の長男として生まれた。大学を卒業後、銀行に就職するが、27歳の時に富士急行に入社。翌年には先代の退職を受けて社長に就任した。その直後にバブルが崩壊。人々は財布の紐を締め、観光業界には逆風が吹き荒れた。全国の遊園地から客足が遠のき、2000年代に入ると閉鎖する施設が相次いだ。
そんな遊園地受難の時代にも堀内は攻めに出た。1996年には30億円を投じて「フジヤマ」を導入。すると高さ79メートル、最高速度130キロなど、4つの世界一がギネスに認定された。これが若者に受けると、堀内はその後も別の世界一を次々に導入。「富士急ハイランド」を絶叫アミューズメントパークに変貌させた。
「バブル崩壊後の方が投資のコストは低く済みました。他社が慎重になっていた時期だったので、世界に驚きをもって取り入れられるようなコンテンツをつくりたいと思って」(堀内)
その一方で、絶叫マシーンとは真逆の家族3世代向け施設も作った。例えば入園無料のテーマパーク「リサとガスパールタウン」。フランスの子供たちの人気者が迎えてくれる。絶叫マシーンは無理な小さな子供がいる家族連れも、ここなら安心だ。
富士五湖の1つ、西湖のほとりに新しく作った施設は「PICA富士西湖」。一見、普通のオートキャンプ場だが、その一角にはコテージが。ここは豪華なホテル感覚でキャンプ場に泊まれる今話題のグランピング施設だ。リビングからひと続きの大きなデッキテラスがあり、備え付けのグリルでバーベキューも楽しめる。価格は1棟1万700円~6万2200円(4人で利用の場合)。
メインイベントは明かりのない西湖の湖畔で楽しむ天体観測。天体望遠鏡を通して見た木星には帯状の模様までクッキリ。知らない間に富士山観光は進化し続けている。
安くて便利な新しい旅~新スタイルのホテル
栃木県の東北自動車道「佐野サービスエリア」。地元名物のお土産やグルメがいっぱいとあって大盛況だ。その「佐野サービスエリア」の隣、駐車場の脇道を入った先にあるのが旅籠屋だ。宿泊料金は大人2名、子供2名の家族4人で1万800円(レギュラーシーズン)。1人当たりなら2700円の安さだ。
部屋はビジネスホテルのシングル・ルームのほぼ2倍の広さで、大きなクイーンサイズのベッドが入っている。浴槽も特注サイズでゆったりしている。ただし旅籠屋にレストランはなく、隣のサービスエリアで食事を済ませる客も多い。
受付ロビーを通らず、直接、部屋に戻ることができる造りも特徴の1つ。建物は2階建てで、すべての客室は外廊下に面している。実はこのスタイルにはお手本がある。それはアメリカのモーテル。映画などにもたびたび登場する車の旅行者向け簡易ホテルで、アメリカには1万軒以上あると言われている。ロードサイドにあり、安さが魅力。旅籠屋は日本では唯一無二のモーテルチェーンで、その安さと気軽さが人気となっている。
朝7時。いい匂いと共に焼きあがったのはクロワッサン。朝は全店でパンや飲み物を無料でふるまっている。これが焼きたてでおいしいと好評だ。
こんなやり方でファンを掴み、創業23年で今や全国65軒にまで拡大。リピーター率は驚異の6割以上となっている。
旅籠屋に惚れ込み、特別な使い方をしている人もいる。長野県のリゾート、白樺湖にやってきたのは天野耕作さん(68)、和子さん(60)夫婦。栃木県足利市に住んでいて、ご主人は既にリタイア。3か月に1度、愛犬と一緒にドライブ旅行を楽しんでいる。
今回は去年7月にオープンした茅野蓼科店にやってきた。ペットOK(2、3室限定)というところも気に入り、10年前から年に3~4回は利用していると言う旅籠屋のヘビーユーザーだ。この日は週末。料金は夫婦と犬で1万1880円だ。
旅籠屋は、それぞれの宿でパンフレットを作っている。裏には周辺の飲食店などの情報が。天野さん夫婦はその中の1軒「食菜喜多山」を選び、夕食に出かけた。注文したのは「山賊焼き定食」。山賊焼きは、鶏肉をニンニク入りの醤油ダレに漬け込んで揚げた長野の郷土料理だ。「好きなものを好きなだけ食べるのがいい」(和子さん)と言う。
「食菜喜多山」の店長、森山幸枝さんは、旅籠屋ができてから「夜は閉めていたのが、開けることができました。週末も平日の夜もお客様に来ていただいて、とても助かります」と言う。地域にも旅籠屋効果が出ていた。
天野さん夫婦は今回、旅籠屋に3連泊。ちなみに連泊するとさらに1000円割引になるそうだ。郊外のロードサイドに多い旅籠屋は駅前や市街地からは、離れているが、例えば茅野蓼科店なら、車で45分圏内に諏訪湖、八ヶ岳、美ヶ原高原といった人気観光地がある。理想的な場所に立つ別荘の感覚で利用できるのだ。天野さん夫婦のように、旅籠屋を拠点にして観光地を周遊する旅が人気となっていると言う。
自由で気ままな旅を~新感覚ホテル誕生秘話
関東有数の観光地、日光・鬼怒川。その賑わいから離れた場所に旅籠屋1号店がある。バイクでやって来たのは旅籠屋社長の甲斐真(66)だ。日光鬼怒川店は1995年に開業。当時は自ら住み込んで運営に当たった、思い出深い宿だ。
「ここに3年間、住んでいました。お客さんが少なくて、年末だというのに2日続けてお客さんがゼロの日があり、この商売はダメかな、日本では無理なのかなと、しみじみしていたこともあります」(甲斐)
甲斐は大学を卒業後、住宅メーカーに就職。10年間勤務し、不動産関連の知識を身につけた。40歳を過ぎ、独立を考えだした頃、アメリカから帰った知り合いから、「アメリカにはモーテルが全国どこにでもあって、とても安い。だから家族で毎週のように泊りがけの旅行ができる」という話を聞く。興味を持った甲斐は自分もアメリカへ。そして2週間、モーテルを泊まり歩いた。この旅が転機になった。
「宿の側では先回りしてサービスをしないんです。自由にしなさい、好きに泊まっていい、ただし我々はそれ以上のサポートはしない、と。どういう人生を生きていくかはあなたの問題だと突き放された感じがして、カルチャーショックを受けました」(甲斐)
自由を感じたモーテル文化を日本にも。甲斐は42歳で起業する。しかし、そこに大きな壁が立ちはだかる。
「役所の開業の許可を取るのが大変でした。すんなり取れると思ったら、最初は『許可できない』と言われまして」(甲斐)
事業計画書を携え、日光の地元保健所へ営業申請に行くと、思いもよらない言葉を投げかけられた。「これはラブホテルでしょ」。問題となったのが、乱立したラブホテルの出店を規制する旅館業法。そこには、新しい宿を作る際、フロントを通って客室に向かう造りにするなどの規制があり、甲斐の計画は違反していたのだ。
「狙っていることはわかったけど、ここはアメリカではない。日本でやっていけるのか、と。いくら誰でも泊まれる宿にしたいと言っても、『結局はカップル専用の宿になるんじゃないですか』と言われました。今でも言われます」(甲斐)
アメリカのモーテルは、駐車場から直接、部屋に入っていける。しかし、この形態は旅館業法に引っ掛かるため許可できないというのだ。そこで甲斐は柵をつけるという、苦肉の策で食い下がる。こうして粘り強く訴え、ついに営業許可をもらい、オープンにこぎつけた。
その後も地域の特例として認めてもらう形で、創業から23年で65軒に。売り上げも右肩あがりで19億円を突破した。
出店依頼が殺到~地域に貢献するモーテル
東京・台東区にある旅籠屋の本社を、北海道赤平市の商工労政観光課、林伸樹さんが訪ねていた。赤平市は札幌と旭川の間の、かつて炭鉱で栄えた町。観光資源は少ない。旅籠屋には、こうした観光客を呼び込みたい地方の自治体が出店してほしいとやって来る。
「旅籠屋は泊まるだけの宿なので、泊まった方は周りで食事をします。周りで遊びます。必ず地元にお金が落ちます。できて困る人は誰もいないです」(甲斐)
さらに、地方の自治体から頼りにされる理由がある。
「地方のお店だと毎年赤字の店もいくつかありますが、撤退はしない。トータルしてやっていければいいので、赤字でもその地域にとって大切であれば、営業し続けます」(甲斐)
そんな旅籠屋の最新の店舗が岡山県井原市にある。これといった観光名所のない山あいの田舎町。しかも国道から一本、道を入った住宅街にあった。
井原市はこの宿に期待している。旅籠屋を誘致したかった井原市は、今回、土地代と工事費の半分、最大1億円まで補助金を出すことにしたのだ。瀧本豊文市長も「井原市にとっても、宿泊施設が少ないので、大きな観光の拠点になっていくと思います」と言う。
7月12日にオープンした65軒目の旅籠屋井原店。先日の豪雨の影響が心配されたが、週末は「新しくできた旅籠屋はチェックしている」と言うリピーターや、「実家が今回の大雨で被災したので手伝いに来た」という客で、ほぼ満室となった。
大阪から来たという家族は倉敷の美観地区へ。自粛も考えたが、観光も支援だと思いやってきた。観光客は少なかったが、そこには以前と変わらない町並みが広がっていた。
~村上龍の編集後記~
富士山は、日本一の観光資源だろう。しかし「富士急行」は、富士山に依存していない。施設開発では、木を切らないで逆に植え続けたことで、価値を付加した。絶叫マシーンは、不思議なくらい富士山にフィットした風景を作り出す。
「旅籠屋」はアメリカのモーテルをモデルに、旅館業法の規制に怯むことなく「自由な旅」を提案してきた。「気兼ねなく、好きなときに、好きなところへ」。自由は、多くの人に受け入れられた。
観光は時代によって変化する。より重要なのは、単なる対応ではなく、変化を「生みだす」ことだ。
<出演者略歴>
堀内光一郎(ほりうち・こういちろう)1960年、山梨県生まれ。1983年、日本長期信用銀行(現新生銀行)入行。1988年、富士急行入社。1989年、代表取締役社長就任。
甲斐真(かい・まこと)1952年、福岡県生まれ。1978年、日本ホームズ入社。1994年、旅籠屋設立。
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