「君いいキャラしてるね。」
言われたことがある人も多いはずだが、反応に困る言葉だったりする。「個性的だよね。」と同じニュアンスがあるからだろう。「個性」は自分と社会の間で成立する。まわりと比較して浮・い・て・し・ま・う・と・「個性が強い」と認識されるが、どちらにしても個性はコミュニティ内において自身を唯一な存在として保証してくれるものとなる(1)。時に個性は「アイデンティティ」という風に呼ばれることもある(2)。「アイデンティティ」とは、「自分はこういう存在である」という自分自身の認識のことである。しかし、いくら「ハンサムで、ダンディでイケおじ(イケてるおじさん)だ!!」と自分を評価していても、他人が認識していないとそれはアイデンティティとは呼べない。言わばアイデンティティは他人(社会)と適応していくための名刺代わりといっても過言じゃないだろう。
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(1)佐貫浩(2013)「個性論ノート<補足>―私の個性論の意図と方法について―」『法政大学キャリアデザイン学部紀要』, 10, 法政大学
(2)厳密に言えば違うのですが、一般的には同じ意味合いで使われていますね。
本来の自分とコミュニケーションにおけるキャラ
さて、通常アイデンティティは、あなたそのモノを映す鏡のようなものであり、一貫性を持っている。しかし実際は、我々の人間関係は、解体と再構築を繰り返し、新たに出会う社会に対して、自身の存在意義とアイデンティティを再構築する必要がある。例えば、家に帰れば「良き親」で、会社に行けば「後輩思いの良き上司」、仕事後は「仲間と飲むのが好きなパリピ(パーティーピープル)」で、休みの日は「フットサルチームで汗を流す」のがあなただとしよう。あなたは家、職場、友達、仲間に対してそれぞれ違う顔を見せているだろう。我々は、自身の所属するコミュニティに対して、そのコミュニティが必要としている「人間」を演じなくてはならない(3)。そのために本来の自分とは違う何か・・違う「キャラ」を演じることでコミュニケーションを円滑化させる傾向がある。
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(3)片桐雅隆(2011)『自己の発見 社会学史のフロンティア』世界思想社
あなたのキャラは「ジャイアン?」「スネ夫?」それとも「のび太?」
スクールカーストという言葉を聞いたことがあるだろうか?ドラえもんで言えば、ジャイアンというクラスの中心がいて、それを取り巻くスネ夫、そして彼らがいじめるのび太がいるように、見えないけれどもみんなが認識している学校内にあった階層をスクールカーストという(4)。学校のクラスの中にイケているグループがあったり、目立たない子達のグループがあったり、どの子がクラスの中心であるかというのは感覚的にわかったのではないだろうか。
このスクールカーストと「キャラ」には深いつながりがある。「キャラ」は若い世代にとって集団内の「役割」に近いものになっているなど、特に学生生活においてキャラを演じることは、大きな意味を持っている。学生生活においては、自身のキャラ設定が、学生生活を大きく変える。自分のお子さんが中学校、高校に入ってから「雰囲気が変わったな~」とその変化を寂しく思ったり、あるいは、浮ついてると懸念をしたことのあるお父さん、お母さんも多いのでは?また自分自身に置き換えても、若いころは周りと仲良くなるために「いじられ役」をしていたな、と思い出すことができる方もいるかもしれない。
スクールカースト内において積極的にキャラを受け入れることは、自身のコミュニティにおける立場を生み出す作用があり、仲間はずれにされたり、クラスで浮いてしまう、という最悪な事態を防ぐことができるとされている(5)。実際に2015年に行われた調査では、約半数の学生が「自分が『キャラ』をもっている」と自覚しているという(6)。キャラを演じることはコミュニケーションを円滑にするのみならず、防衛的な目的でも用いられているのである。
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(4)鈴木翔(2012)『学校内カースト』光文社新書
(5)本田由紀(2011)『学校の“空気”-若者の気分』岩波書店
(6)千島雄太・村上達也 (2015)「現代青年における “キャラ ”を介した友人関係の実態と友人関係満足感の関連 ―“キャラ”に対する考え方を中心―」『青年心理学研究』,26,pp.129-146
キャラの性質
キャラを演じる上で人々は無意識のうちに、その性質を理解している。
(1) 「キャラ」は基本的に他人が貼るレッテル
(2) 「キャラ」は遊びの延長線上にある
(3) 若い世代にとって、自分の「キャラ」の確立は重要な項目である
(4) 「キャラ」は相手がどういう人間だかわかりやすくし、相手のことを捉えやすくする効果があると考える若い世代が多い
(5) 「キャラ」を身にまとうことで、多少の中傷や暴言などを受け入れ、「笑い」に変換し、傷つかないようにする効果がある
(6) 同一グループ内に同じ「キャラ」はいらない
(7) 会話は「キャラ」をベースに進むことが多い
出所:瀬沼文彰(2007)『キャラ論』STUDIO CELLOより引用
このキャラの性質で着目したいのは「同じグループに同じキャラはいらないという点である。」確かに、グループにボケ担当がたくさんいたら、ボケが渋滞してしまう。若者はそのコミュニティ及びカースト内でキャラクターが被らないように、その場、その場でキャラクターを選択し、演じる必要があると、直感的に捉えている。
オタクキャラの台頭とオタクを演じることの意味
さて、前置きが長くなりましたが、いよいよ本題です。「深夜アニメ見てるから俺オタクだわwww」「ボカロ(初音ミクをはじめとしたボーカロイド)聞いてるし、ニコニコ動画見てるからオタクって思われちゃう笑」と居酒屋や夜の駅のホームで騒いでる大学生をよく見ることがある。周りも「お前オタクかよ、キモ!!」と茶化しているが、言った本人は満更でもなさそうだし、グループに笑いが生まれている。実際に隠したかったらそんなこという必要もないし、むしろ彼は「オタク」というネガティブなイメージを持たれかねないキャラを演じることで、そのグループ内に居場所を見出しているのである。
では、なぜ「オタク」というキャラが好まれるようになったのか。この背景には2つの要因があると筆者は考える。
(1) まずオタク的な文化を、多くの人々が目にするようになった点である。その代表がニコニコ動画という動画サイトであり、デジタルネイティブ層の間で普及し、これがある種のマスメディア的装置として機能している。ニコニコ動画の特徴はアキバ系オタクが好むアニメを放送している点、創作欲のあるオタクがMADと呼ばれるアニメをはじめとした動画を加工し投稿している点、オタクの情報収集の場とされる大型匿名掲示板のように閲覧者が、再生中の動画に対して再生画面上にコメントを即時的に書き込むことができる点などがあげられる。近年においては、オタク文化をキュレートするような役割を持っており「オタク的な」情報や流行が生まれる場所であると考えられる。その結果、スクールカースト上の「新中間層」としてそういったオタクコンテンツを嗜好するライトオタクが台頭してきた(7)。彼らはオタクという言葉を積極的に人間関係形成のために使用しているのである。
前述したように物心つく前からネット環境が整っているデジタルネイティブにとってニコニコ動画をはじめとしたオタク的文化は様々なSNSを通して容易に触れることができるため、従来オタクにあった世間との隔たりを越えることが可能になった。そのため比較的容易に手にすることができる「オタク」という記号がキャラにつかわれるのである。ステレオタイプとしてのオタクは社会的に懸念されむしろ、カーストでは下位に当てはまる。しかし、アニメを見る、秋葉原に行く等、ネタ消費としてオタクを消費することは自身を取り巻く人間関係に対して「オタク文化を自ら体験してネタを収集するくらい面白い人間である」といったアピールをすることができる。現代社会においてはそういったネガティブな表象自体が「ネタ的コミュニケーション」(8)に利用されている(9)。
(2) キャラとしてのオタクの選択はあくまでも手段であり、下層階級への差別化が目的にあるという点である。前述した通り、キャラ化は防衛的反応であり、自身より上の階層の人に気に入られることを目的にしたり、自身の階級を下げないために行われる。個性を承認されなかったり、需要のあるキャラを演じることができない「キャラが薄い」とき、若者のコミュニティにおいては自身の居場所を見いだせなくなったり、いじめの対象になる。そのため若者は実際以上に明るくふるまったり、自虐的な行動をしたりすることで笑いを得ようとする(10)。この一環として、ネタ消費の対象にしやすいオタクを消費し、気軽にオタクというアイデンティティを得ようとするものが現れた(11)。「オタクキャラ」もしくは「ライトオタク」になることで、根暗やコミュニケーションが苦手でいわゆる「オタク」と包括されてしまう層から一線を画し、下層階級との差別化、排他的な意図のもと、あえて「オタク」という記号を消費している。
オタクというキャラを演じることで、「俺は、あえてオタクを演じてるから、根っからのオタクであるお前らとは違う」、という意識を持った層がネタとしてアキバを消費しに秋葉原へ来る。これはオタクの社会的な地位が向上したわけではなく、ますますオタクが世間から色眼鏡で見られていることを示唆している。
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(7)濱野智史(2012)「デジタルネイティブ世代の情報行動・コミュニケーション」小谷敏編『若者の現在 文化』株式会社日本図書センター
(8)鈴木謙介(2005)『カーニヴァル化する社会』講談社現代新書
(9)松田いりあ (2008)「消費社会と自己アイデンティティ Z.バウマン・フレキシビリティ・商品化」『社会学評論』,59,日本社会学会
(10)千石保(1991)『“まじめ”の崩壊 平成日本の若者たち』サイマル出版
(11)森川嘉一郎(2012)「メディアが起した“アキバブーム”が秋葉原を変えた」『日刊SPA! 2012年7月9日』
廣瀨 涼
ニッセイ基礎研究所 生活研究部 研究員
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