長期閉会で議会の「合意なき離脱」阻止の機会は9月初旬と10月下旬に絞られた
8月28日、ジョンソン首相が、9月3日の英国議会の夏季休会明けを前に、5週間にわたる議会の閉会を決めた。9月11日にも閉会となる見通しで、10月14日に女王陛下が政府の施政方針を読み上げる「女王演説」が予定される新たな会期に入る(図表1)。
今議会の会期は340日余りと異例の長期にわたる。新たな首相が施政方針を示すために議会を閉会すること自体は異例ではない。また、9月の中旬から10月初旬にかけては、例年、議会は党大会のため3週間ほどの休会があるため、今回の決定で実際に削減される会期は数日間とも言われる。
それでも、異例の長期閉会の決定で、議会が「合意なき離脱」を阻止する機会は、「9月3日の夏季休会明けから休会まで」と「10月14日の「女王演説」から離脱日まで」に狭められたことに反発が広がっている。
9月初旬の「合意なき離脱」阻止の手段は期限延期の法制定にほぼ絞られる
議会の「合意なき離脱」阻止の手段は、(1)ジョンソン首相の合意の承認、(2)期限延期を強制する法案の制定、(3)内閣不信任決議だが、9月初旬の段階では選択肢は(2)に絞られる。
EUとの協議はこれからであるため、(1)の新たな合意は未だ存在せず、議会の過半数の賛成を必要とする(3)の内閣不信任決議には、与党・保守党の「合意なき離脱」反対派が慎重な姿勢をとっているからだ。
(2)の法案の制定についても状況は厳しい。閉会までにすべての手続きを終えなければ、新会期に改めて手続きを開始しなければならない。法案を通じて政府に離脱延期の要請を強いた前例はある。今年3月29日の当初期限延期後、新たな期限となった4月12日の「合意なき離脱」阻止のため、労働党のクーパー議員、保守党のレトウィン議員が提出した法案が4月3日に313対312の1票差で可決した事例だ。この法案は5日間でまとまったが、時間的に厳しいことは確かだ。
9月初旬の段階では、「合意なき離脱」反対派の足並みが揃わない可能性もある。ジョンソン首相がEUとの新たな合意を目指す姿勢ととっていることから、「合意なき離脱には反対」だが、「国民投票で選択した離脱はすべき」という考えの議員は、EUとの協議の結果を見ない段階では賛同し辛い。
ジョンソン首相はアイランドの安全策削除を求め、9月にEUとの交渉を加速する構え
ジョンソン首相は、「合意なき離脱」に突き進んでいるように見られるが、少なくとも建前上は、「合意あり離脱」を目指している。「離脱協定のアイルランドの国境の開放を維持するための安全策(バックストップ)を削除し代替策に置き換えた新たな合意」に基づく離脱だ。
安全策は、離脱協定に基づく合意をした場合、現状を維持する20年末までの「移行期間」終了後も、国境の開放を維持する方策が見つからない場合に発動される。(1)英国全体が関税同盟に残留し、(2)北アイルランドはさらにEUとの規制の調和を図るという内容だ。(1)は保守党内の強行離脱派が、EUが恒久的に英国を関税同盟に留め、離脱のベネフィットを得られなくなること、(2)は、保守党に政権協力する新英離脱強硬派の北アイルランドの地域政党・DUPが、北アイルランドと英国の他の地域との間に規制の乖離を生じさせるとの理由から嫌っている。
ジョンソン首相は、就任後初の外遊となった8月21~26日の欧州歴訪に先立ち、トゥスクEU首脳会議常任議長(通称、EU大統領)に書簡を送付して、安全策の削除を求める理由を「反民主的で英国の国家主権とも英国が望ましいと考えるEUとの将来の関係とも相容れず、アイランド和平のためのベルファウスト合意/グッド・フライデー合意がもたらした均衡を弱体化するおそれがある」と説明している。
ジョンソン首相は、8月29日に「9月は週2回のペースでEUと協議する」方針を明らかにしており、9月17日の国連総会の機会にトゥスク議長と再度会談する予定もある。
安全策「削除」で譲らなければ合意は困難。柔軟になれば合意演出の余地はある
ジョンソン首相が、「安全策」の「削除」という条件を譲らなければ、EUと合意することは難しい。ジョンソン首相の書簡には「代替策」について「柔軟で創造的」とあるだけで具体的な内容は記されていない。欧州歴訪中に会談した独仏首脳は「代替策の30日以内の提示」を求めたとされる。しかし、これまで「安全策」については、再三協議されており、英国政府が提示した高度なITによる管理などの「代替策」は、保険としての「安全策」削除には不十分と判断した経緯がある。
しかし、首相が多少柔軟になれば、EUとの新たな合意を演出する余地はある。ジョンソン首相は、トゥスク議長への書簡で「解決策」として求めた「将来の関係の一部として、移行期間の終了前に可能な限り速やかに代替策を実施する」ことについてEUに異論はない。「政治合意」は、離脱協定と異なり、法的拘束力のない叩き台であるため、EUは英国が望めば修正に応じる構えだ。離脱協定の2度目の採決を控えて、メイ前首相と交わした「付属文書」にも明記されており(1)、ジョンソン首相は3度目の投票では賛成票を投じている(2)。現在の議会の議席構成では、安全策がある限り、野党の協力を得なければ協定の過半数確保の目処が立たないことは確かだが、首相自身、何が何でも反対ということではないはずだ。
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(1)Joint Statement supplementing the Political Declaration setting out the framework for the future relationship between the European Union and the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland , 11 March 2019 ( https://ec.europa.eu/commission/sites/beta-political/files/joint_statement_.pdf )
(2)メイ前首相の離脱協定案は19年1月15日(賛成202票対反対432票)、3月12日(賛成242票対反対391票)、3月29日(賛成286票対反対344票)の3度採決が行われ、いずれも否決された。メイ前首相は、2度目の採決には、EUと交渉しアイルランドの安全策の発動回避に努力することを記した「付属文書」を得た上で臨み、3度目は協定案が承認された場合、辞任する意思を表明することで支持を呼びかけた。3度目の採決ではジョンソン首相は賛成に票を投じている( https://commonsvotes.digiminster.com/Divisions/Details/664?byMember=false#noes )
10月下旬は合意があれば「承認」なければ「不信任決議」が「合意なき離脱阻止」も手段に
「女王演説」後は、演説の内容について数日間の審議が行われ、21~22日に政権への信認投票の意味合いを持つ採決が行われる。
10月17~18日にはEU首脳会議が予定されており、この時点までに、ジョンソン首相がEUとの合意に漕ぎ着けていれば、(1)のジョンソン首相の合意の承認も「合意なき離脱」阻止の手段となってくる。
他方、首相の「合意なき離脱」を目指す姿勢が鮮明になっていれば、「女王演説」の否決、さらに、(3)の内閣不信任決議が選択肢となる。
「2011年議会任期固定法」 では、現政権が改めて信認されるか、新たな政権が信認されないまま14日が経過すると解散総選挙となる。離脱期限2週間前の首脳会議の結果を待って、「合意なき離脱」阻止のために不信任動議の可決を目指す場合は、反対派が暫定政権の樹立で足並みを揃える必要がある。
「合意なき離脱」反対派の弱さは、離脱に対する考え方の違い
8月14日には、最大野党・労働党のコービン党首が、野党の党首や「合意なき離脱」に反対する保守党の議員らに宛てて、EUへの期限延期申請と総選挙の実施を狙いとする期間限定の暫定政権の樹立を呼びかける書簡を送った 。しかし、「再国民投票・離脱撤回」を掲げて、支持率で労働党に迫る自由民主党は、左派色の強い政策を指向するコービン党首が暫定首相となる提案を拒否、保守党議員も慎重な構えを崩せず、法案の制定を通じた阻止を目指すことでようやく一致した。
「合意なき離脱」の反対派は、離脱派で固めたジョンソン政権に比べて、一枚岩になりきれない弱さがある。そもそも「離脱期限を延期した後」についての思惑も異なる。自由民主党、スコットランドの地域政党スコットランド民族党(SNP)、ウェールズの地域政党プライド・カムリ、環境政党・緑の党は、「再国民投票・離脱撤回」を支持するが、最大野党の労働党内は「ソフトな離脱派」と「再国民投票・離脱撤回」で割れている。世論調査では「ソフトな離脱派」への支持は少なく、労働党には「再国民投票・離脱撤回」支持への圧力が強まっているが、「再国民投票・離脱撤回」に寄れば、離脱派の議員が離れるジレンマがある。
ジョンソン首相が、異例の長期の休会という切り札で、議会の対応の余地を狭めたことが、反対派の危機意識を高めて、より協調的な行動へと変わるのかに注目したい。
鍵を握るジョンソン首相の意思
反対派の協調行動の可否以上にブレグジットの行方に影響を持つのはジョンソン首相の意思だ。
筆者は、ジョンソン首相の誕生は必ずしも「合意なき離脱」につながるものではないと考えてきたし(3)、今も、最終的には回避の力が働くことを期待している。詳しくは別項で論じる予定だが(4)、英国とEUの「合意なき離脱」対策は、一方的、暫定的であり、事前に予期できない困難を引き起こしかねない。ジョンソン首相は、10月14日の「女王演説」に、凶悪犯罪対策やNHS(国家医療サービス)の強化、教育、インフラ投資の拡大、生計費の削減などを優先課題として取り組む方針を盛り込むつもりとされる。離脱前にせよ離脱後にせよ、近い将来の総選挙は不可避であることを強く意識しているようだ。しかし、「合意なき離脱」となれば、事態の収拾に多大な政治的資源を費やさざるを得なくなり、優先課題の取り組みは後回しとならざるを得ない。スコットランドでは独立、北アイルランドでは、アイルランド統一への意欲を高め、連合王国の分裂危機への布石となるおそれもある。
しかし、ジョンソン首相にとって「3度目の延期」は極めて困難な選択肢でもある。英国内では、国民投票から3年余りにわたる混迷と2度の期限延期による「離脱疲れ」が広がる。世論調査では、議会が可決できるような協定の変更が得られない場合の「10月31日の合意なき離脱」を支持する割合は全体では45%だが、首相が重視する離脱支持者、保守党の支持者は8割近くが支持する(表紙図表参照)。
「合意なき離脱」こそがジョンソン首相の真の狙いという見方もある。離脱推進派のエコノミストらは、「合意なき離脱」による「クリーンな離脱」こそが、EUの保護主義的な関税や規制、EU予算への拠出、EUの未熟練労働者の流入から解放される「成功へのレシピ」と主張する(5)。
EUとの協議は単なるポーズ、責任転嫁のためのアリバイ作りに過ぎないとの見方もできる。首相は、EUが受け入れられない要求を出して、「合意なき離脱」の責任をEUに転嫁しようとしているとの見方だ。世論調査を見る限り、離脱支持者は、「合意なき離脱」に陥った場合の主な責任はEU、残留派にあると考えるだろう。
しかし、混乱が生じれば事態の収拾に陣頭指揮を執らなければならないのはジョンソン首相であり、「合意なき離脱」は得策ではない。首相が目指す次期総選挙での勝利にもつながらないと思うのだが、果たしてどうなるだろうか。
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(3)伊藤さゆり(2019)「ジョンソン首相誕生は「合意なき離脱」への道か?」Weeklyエコノミスト・レター 2019-7-24( https://www.nli-research.co.jp/files/topics/62104_ext_18_0.pdf?site=nli )をご参照下さい。
(4)9月3日に基礎研レポートとして発行する予定。
(5)Minford, Patrick(2019), “No Deal is the best deal for the UK”, Economists for Free Trade, Mar 11, 2019 ( https://www.economistsforfreetrade.com/wp-content/uploads/2019/03/No-Deal-is-the-best-deal-for-the-UK.pdf )。
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伊藤さゆり(いとう さゆり)
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 主席研究員
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