エルザ・スキャパレリ
Elsa Schiaparelli(1890〜1973)

●「ショッキングピンク」を発明したアーティストデザイナー

シャネルと同時代に活躍し、一時はシャネルよりも高く評価された時代の寵児であったがゆえに、シャネルが猛烈に嫉妬したのが、7歳年下のエルザ・スキャパレリである。

シャネルが修道院育ちでお針子から成り上がったビジネスウーマンであるとすれば、スキャパレリはローマの裕福な家庭に育ち、芸術家とも協力して作品を創ったアーティスト。シャネルがモノトーンならば、スキャパレリはショッキングピンク。シャネルが活動しやすく、装飾をそぎ落としたデザインを極めたとすれば、スキャパレリはシュールレアルで前衛的なアート感覚で突き抜けた。

生い立ち、ファッションに対するアプローチ、ひいては作るものも、まったく対照的であった。だが、二人とも女性を自由にした革命家であった。シャネルは女性の身体を、スキャパレリは女性の感性を、それぞれ解放したといえる。

●シュールな発想から生まれた「ジッパードレス」

1929年のウォール街大暴落をきっかけに、1930年代は不況期に入る。不況に入ると人々は守りに入る一方、心のどこかでは逃避主義的な傾向が生まれるのだろうか。「ここではないどこか」に向かいたいという願望が、この時代に隆盛したシュールレアリスム(超現実主義)のアートに通底しているように感じられる。

芸術界において当時のシュールレアリスムを代表するのは、イタリアのサルバドール・ダリだが、そのダリとも交流のあったスキャパレリは、ダリとの協働でシュールレアルな作品を作る。ポケットが引き出しのようになった「デスクスーツ」や、靴を頭に載せたように見える「シューハット」は、それを着用する女性をアート作品のように見せる。

シュールな発想が実用として定着した例もある。1936年の「ジッパードレス」(ファスナードレス)である。当時、工業用品であったファスナーを服にあしらうのはかなりショッキングなことであり、このドレスは驚きをもって語られたのだが、結果として現在、洋服には不可欠な実用品として何の違和感もなく定着しているのは皮肉なことである。

●スキャパレリの目指した「感性」の解放

また、香水「ショッキング」(1936年)が当時の社会に与えた衝撃も大きかった。女優メイ・ウエストのボディをかたどったシルエットもさることながら、目の覚めるようなピンクという色がボトル※に使われていた。「ショッキングピンク」の誕生である。

(※このボトルの形は、のちにジャン=ポール・ゴルチエが模倣している)

エルザ・スキャパレリ
1936年のメイ・ウエスト(本書31ページ)(画像=日本実業出版社)

「あり得ない」ものが与えるショックによって驚きや笑いを引き起こし、心を、ひいては人生を、活気あるカラフルなものへと生まれ変わらせる。

こうした、いわば感性の解放がスキャパレリの目指すファッションだったのだ。実用・機能に徹して女性の身体を解放したシャネルとは目指した方向が違う。

常識を飛び越えて常にセンセーショナルな話題を振りまき、大胆不敵に個性を発揮した時代の寵児スキャパレリは、シャネルのように後継者に恵まれなかったために時とともに影が薄くなっている。しかし、ショッキングピンクとファスナーの発明者としてばかりでなく、ファッションとアートを自由奔放に結びつけた先駆者としても、スキャパレリの功績はもっと高く評価されていい。

中野 香織(なかの かおり)
服飾史家/株式会社Kaori Nakano 代表取締役/昭和女子大学客員教授。ファッション史やモード事情に関する研究・執筆・講演を行うほか企業のアドバイザーを務める。1994年、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得満期退学。英国ケンブリッジ大学客員研究員・東京大学教養学部非常勤講師・明治大学国際日本学部特任教授を務めた。 著書に『ロイヤルスタイル 英国王室ファッション史』(吉川弘文館)、『紳士の名品50』(小学館)、『ダンディズムの系譜 男が憧れた男たち』(新潮社)、『モードとエロスと資本』(集英社)などがある。

(提供:日本実業出版社)

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