平穏な相場環境からの突然の急落
2020年2月、高値圏での推移が続いていたグローバル株式市場は、新型コロナウイルスの感染拡大により急落した。図表1は米国の株式指数であるS&P500指数と、そのボラティリティを示すVIX指数の推移を示している。これを見ると、VIX指数は2008年10月リーマンショックの際に59.9に達した後、低下傾向が続いている。直近3年程度、新型コロナウイルスの感染が拡大する前までは、過去20年間の中でもかなり低い水準で推移していたことが分かる。特に2017年9月には、VIX指数は9.5まで低下し、変動の小さい「適温相場」と言われた。
こうした株式市場のボラティリティが低い状況は、果たしてリスクが低いと言っていいのだろうか。
ボラティリティが低下する一方でテールリスクは上昇
図表2は、S&P500指数のオプションから推定されるリターンの分布の歪度(1)を示すシカゴ・オプション取引所(CBOE)が公表するCBOE SKEW指数(SKEW指数)の推移を示している。SKEW指数は簡単に言うと、値が大きいほど、市場参加者は急落のリスクが大きいと見ていることを示している(図表3)。
図表2を見ると、VIX指数が低い一方で、直近3年程度のSKEW指数は過去20年の中でも高い水準で推移していたことが分かる。これは、通常の株価の変動は小さいが、大きな下落のリスクがあることを示唆している。
株式などの金融資産のリターンは、確率的にほとんど起こらないはずの大きな下落が起きるリスク(テールリスク)があることが従来から指摘されている(2)が、近年の金融市場ではテールリスクがより大きくなっている可能性がある。
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(1) 歪度(スキューネス)とは、分布の左右対称でない歪み具合を表す。値のマイナスは左側に寄っていることを示す。尚、SKEW指数は下記の式で算出される。 SKEW指数 = 100 - 10 × S
n:対象データの数、μ:平均、σ:標準偏差、S:歪度
(2)「我々はテール・リスクにどのように対応すべきか」2011 年 6 月 日本銀行 白川 方明
ボラティリティ低下とテールリスク上昇の背景
ボラティリティの低下には、様々な要因が考えられるが、先進国各国の経済の成熟によって経済成長が低位で安定しやすくなったことが背景となっていると考えられる。製造業の在庫循環や設備投資循環は景気循環の背景となってきたが、世界経済のサービス化進展に伴ってこうした製造業の景気循環への影響は弱まってきていると考えられる。
また、各国中央銀行・政府による金融緩和、財政政策による金融市場の下支えが積極化していることも金融市場の安定化に寄与していると考えられる。図表4は米連邦準備制度理事会(FRB)、日銀の資産額の推移を示している。これを見ると、FRBは2008年のリーマンショックから積極的な資産購入を行っている。その後、FRBは2014年に量的緩和第3弾(QE3)の終了を決定、2017年には資産縮小を発表し、資産額は一旦減少傾向となっていた。しかし、足元では、新型コロナウイルス感染拡大への対応のため、FRBは再び大規模な資産購入を開始している。長期的にみると、資産額は2003年12月末の9254億米ドルから、2020年3月末では5兆3025億米ドルにまで達している。日銀は米国からやや遅れて2013年量的・質的金融緩和政策(異次元緩和)からほぼ一貫して資産額は増加傾向が続いている。資産額は2003年12月末の111兆円から2020年3月末では、604兆円となっている。このような中央銀行による金融市場の安定化策はボラティリティを低下させてきた可能性がある。
しかしながら、新型コロナウイルス感染のような災害による、一般的な景気循環とは異なるメカニズムの株式市場の急落が起きるリスクは依然として潜在していたと考えられる。実際、新型コロナウイルスの感染拡大は、実態経済に強い影響を与え、各国中央銀行の資産買い入れなどにもかかわらず株式市場は急落した。
足元では、新型コロナウイルス感染拡大によりボラティリティは急激に高まっている。しかし、感染が収束した際は、再びボラティリティは低いがテールリスクが大きい状況が繰り返す可能性はある。背景となっているグローバル経済の低成長化や金融緩和は継続すると考えられるためだ。
多面的なリスク評価の必要性
VIX指数やSKEW指数の他にも、経済・金融市場のリスクを計測する指標として、経済政策不確実性を示す経済政策不確実性指数(EPU: Economic Policy Uncertainty Index)が挙げられる。EPU指数は、スタンフォード大学のNick Bloom教授らによって開発され、経済政策の不確実性に言及した新聞記事の数を基に算出された経済政策の不確実性を示す。
図表5はEPU指数とVIX指数の推移を示している。これを見ると、2008年のリーマンショックおよびそれ以前の期間では、EPU指数とVIX指数は連動性が高かった。しかし、その後は両者の動きは乖離し始め、2014年前後からEPU指数がやや上昇している一方で、VIX指数は、低い水準での推移が続いている。
2019年には米国による対中関税の引き上げといった米中貿易摩擦などによる経済見通しの不透明さが強くなり、EPU指数は大きく上昇する場面が見られた。その一方で、FRBの金融引き締めの終了期待、2019年後半に利下げに転じたことなどから、米国株式市場の下落は抑えられ、VIX指数は比較的低水準での推移が続いた。経済の見通しが不透明な中で、米国株式市場が金融緩和を支えに高値圏で推移していたことが伺える。
このように、適温相場ではボラティリティが低下していた一方で、テールリスクや経済の不確実性が高まっていた可能性があることが分かる。価格は上がるほど下がるリスクが大きくなり、価格が長期的に安定していくほど、何かあった時のショックは大きくなるという単純なことなのかもしれない。現在の複雑な要素が絡み合う金融市場においては、リスクの指標としてボラティリティだけではなく、複数の指標から多面的にリスクを評価・分析し、それに備える必要性が高まっていると言えるだろう。
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原田哲志(はらだ さとし)
ニッセイ基礎研究所 金融研究部 准主任研究員
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