記事は2020年1月21日発売の『ZUU online magazine』3月号に掲載されている特集からピックアップしています。

www9945さん PROFILE
年収300万円程度の清掃会社勤務時代に貯めた資金で1993年から株式投資をスタート。最初の10年間はトントンの状態が続いたが、バリュー株投資に開眼して以降、資産が急拡大。徐々に高配当株やベトナムなど外国株への投資にシフトし、現在では年間1500万円超の配当を得ている。街歩きをヒントに有望銘柄を探す手法も得意。著書に『年収300万円、掃除夫の僕が1億円貯めた方法』(宝島社)。

株式投資歴が四半世紀を超えるwww9945さん。最初の10年間はほとんど増やせず、バリュー株投資で成功した後も何度か挫折を味わう。開花したのはリーマンショック以降。成長株への集中投資と高配当株へのインカム狙いを組み合わせた独自手法を確立させ、5億円超の財を成すことに成功。

2000年代前半、バリュー株で資金を大きく増やしたが…

株で1億円をつくった“億り人”トレーダーたちの素顔
(画像=jesterpop/shutterstock.com,ZUUonline)

1993年に100万円を元手に株式投資を始めて以来、積立投資に先物・オプション取引、低位株狙い、割安中小型株のリバウンド狙いなど、2002年までいろいろな手法を試してきた。しかし、ほとんど成果なしというのが悲しい現実だ。その間に、2万円台だった日経平均株価は8000円台まで下落した。

大きな転機となったのは、パソコンでオンライントレードを行える環境が整い始めたこと。そして、儲かっている個人投資家たちがヤフー掲示板や2ちゃんねる(現5ちゃんねる)で手掛けている銘柄名を公表していたので、彼らのマネをしてみたのが事態好転のきっかけだ。   さらに、「モノ言う株主」の村上ファンドやスティール・パートナーズなどがキャッシュリッチな割安株にTOB(株式公開買い付け)を仕掛け、増配や自社株買いなどを企業側に迫っていた。その追い風に乗って割安株を狙ったところ、2002年末には資金が1000万円に増え、2006年1月のライブドアショック前日には5200万円まで膨らんだ。

ところが、それから2008年秋のリーマンショック前までバリュー株の崩壊が続いてしまった。なぜなら、統率者が証券取引法違反で逮捕されて、ライブドアや村上ファンドといったバリュー株の“触媒”が続々と消滅したからだ。

2012年以降は高配当株に資金をシフト

そこで矛先を変え、クレディセゾン傘下でサービサー(債権回収会社)を展開するジェーピーエヌ債権回収に着目。当時、勤務先の清掃会社で自動車ディーラーの掃除を担当していて、世の中が不景気になっていく様子を肌身で感じていたからだ。新車が全く売れず、勤務先に依頼してくる掃除の回数が激減。ついにトイレ清掃は自社の従業員にやらせ始める始末だった。

不景気になれば債権回収の仕事は自然に増えると考え、2007年の秋から同社に現物株と信用取引の“2階建て”で全力買いを仕掛けた。ところが、同社はその翌年の第1四半期にマイナス50%の減益を計上し、株価はストップ安に……。週明けの月曜日にようやく寄り付きはしたが、2日間で25%もの損失を被り、壊滅的なダメージを受けてしまった。

その年の秋にはリーマンショックが待ち受けているのだが、その前にすでに大きな損失を出してしまったわけだ。焦ってニトリ(現ニトリホールディングス)やファーストリテイリングといったディフェンシブな内需大型株にシフトしたが、セリングクライマックスではそうした銘柄も売られたため、結局損をするハメになる。ここまで追い込まれると、集中投資で勝負しなければリカバリーは困難だろうと考え、西日本で格安スーパーを展開する大黒天物産に総資産の5割をぶち込んだところ、これが奏功。年間では日経平均がマイナス50%台の騰落率だったのに対し、その半分程度の損失に食い止めることができた。

とはいえ、2009年の時点で資金は2660万円まで減少していた。もともと私が立てていた目標は、「配当利回り5%で年500万円程度の収入を確保し、会社を辞めて暮らす」というもの。3000万円を下回っているようでは、会社を辞めることもできない。